3-3. garden
横殴りの強い雨がゼラの防御魔法を叩いていた。灰色の空が時より雷鳴とともに恐ろしく光った。ヘレンの街を北上すると徐々に建物が少なくなって、少し標高が高くなるあたりに森が見え始めた。シオンがゼラの腰に抱きつくような格好で二人は森の向こうを目指して飛んだ。
「シオン、腕疲れてない?」
「はい。ゼラさんこそ、魔法掛け持ちして大丈夫ですか?」
「全然平気」
ゼラが森の奥の方に立つ白い建物を指差した。
「あれが花園院。着いたらとりあえず負傷した子ども達の状況を確認する。シオンに担当してもらう子は私から指定するね」
「わかりました。が、頑張ります」
ゼラは頷いて真剣な表情のまま雨の中を進んだ。
花園院は白い壁で囲まれた広い園庭を持つ孤児院だった。建物部分は東側の大部分が破壊されて崩れかかっていた。園庭にグァンターレの黒い死体が三体転がっている。
「もう魔法術師達が倒した後みたいだ。私達の出番ってわけだね」
ゼラは庭園に着地して防御魔法を解いた。シオンも恐る恐る地に足をつけて周りを見渡す。黒いローブがいくつか見えるがそのどれもが赤いルーンを下げている。
「ゼラ・ガーデン!」
若い男性の声が響いた。ゼラはローブのフードを脱いで声の方を向く。目線の先でオレンジの髪が風に吹き上がっていた。
「ヴェルト! どう、状況は」
ヴェルトは自分の杖を消してウエストバッグから小さな紙を取り出した。
「襲ってきた魔物のはグァンターレ三体のみ。対象の討伐は完了。周辺にも他の魔物がいないか調査中だ。被害を受けなかった子ども達は院の先生らが避難させている。現在の負傷者は三十八人。犠牲者は三人。皆ここの子どもだ」
「え」
シオンが思わず声を漏らす。ゼラの顔も歪んだ。
「生活棟の一階を処置室にして負傷者を安置している。院在中の看護医が一人、処置にあたっているが人手は足りてない」
「そっか、わかった。すぐ行く」
ゼラはシオンに目配せをして生活棟の方へ走り出した。シオンも急いで後に続いた。
生活棟の一階は子ども達の泣き声や呻き声が混ざったものが漂っていた。シオンは自分のローブを強く掴みながらゼラの背中を追って部屋に入った。
「ゼラか! 心強いのが来た」
子ども達の応急処置をしていた看護医が顔を上げた。黒髪を後ろで結んで露わになった頬に掠れた血の跡がついていた。
「アルバ! 現状は?」
「まだ半分くらいしか処置できていない。この部屋に十五人、隣に五人。それから廊下を挟んで反対側に十八人」
ゼラは部屋をぱっと見回した。大きな傷を抱えた子や手足の一部を欠損した子。冥界生まれの言葉でしか形容できない光景が広がっている。
「思ったより厳しい子が多いな。手分けしよう。シオンちゃんは隣の部屋をお願い。できるだけ傷が酷い子から優先的に見てあげて。もし五人見終わったら、こっちに戻って来てほしい」
「わかりました」
「頼んだよ」
シオンは杖を両手で持って隣の部屋に向かった。
その部屋は白い壁と天井に囲まれた質素な空間だった。入って正面の壁に寄りかかるようにして腕を抱えている少年がシオンの目に留まった。シオンは右手に杖を持ち替えて少年に近寄った。少年の腕には肘から手首にかけて大きく裂けるような傷があった。血の赤が痛々しく服を染めている。
「うっ、ぐ」
大粒の涙が少年の目を覆っていた。
「お姉ちゃん、治せるの」
背後から少女の声が降った。シオンが振り向いた途端、ローブの袖が掴まれた。
「早く、早く治して。イルマ、かわいそう」
シオンは少年に目をやった。胸の名札にその名前が書かれていた。
「う、うん。すぐに治すね」
声が震えた。その胸の奥で心臓が暴れるように鼓動を打っていた。シオンは深く息を吸って少年の腕に手を伸ばす。
「ねー早く! 早くしてよぉ」
少女はシオンの腕を大きく揺すった。
「わ、わかってるから」
「お姉ちゃん!」
「うん、うん、ごめんね、すぐ……」
少年のものだと思っていた荒い息遣いはいつの間にかシオンのものになっていた。震える指先で少年に触れる。いつものように琥珀色の光が現れてすぐに消えた。
「あれ?」
傷は癒えないままだった。もう一度触れる。結果は同じ。
「どうして」
少女の声が近くなったり遠くなったりした。責め立てるように心臓が肋骨を叩いて、焦燥が喉元を駆け上がった。視界がぼやけ出す。いや、はっきりと傷は見えている。しかしその痛々しさを頭がうまく受け入れてくれなかった。
少年の腕にもう一度手を伸ばそうとした瞬間、それは何かに掴まれた。その無機質な肌触りをシオンは知っていた。
「大丈夫だよ」
金色の花が香って、同時に琥珀色の光が息を吹き返した。少年の傷はあっという間に治って、少年は眠りについた。
「イルマ!」
少女がその方を揺さぶった。黄色い魔法使いがその背中に手を当てた。
「眠っているだけ。もう痛くないよ」
「ほんと……?」
「うん」
魔法使いは少女の小さな額に手を当てた。琥珀色の光と共に彼女も眠りについた。
「ゼラさん……」
「少しパニックになっちゃってたね。きっと怖い思いをしたんだ。こっちまで流されちゃうとソールがぶれちゃうから、冷静に」
「ごめんなさい」
「ゼラ! ちょっとヘルプ!」
隣の部屋からアルバの声が響いた。
「ごめん戻るね」
「あ」
ゼラは急いで部屋から出ていった。部屋には白い静寂だけが残った。
シオンは俯いて唇を噛んだ。杖が消えて震える手だけが余る。微かに部屋に響く誰かの啜り泣く声に気が付いた。シオンは弱々しくそちらに顔を向けた。部屋の隅で子ども達がお互いの手を握りながら震えていた。シオンの足は自然と子ども達の方へ向いた。子ども達の目はシオンの目を真っ直ぐ捉えた。
魔法使いは何も言わず子ども達の手を握った。大きな琥珀色の光があたりを包んだ。それはやがて少しずつ小さくなって子ども達の胸の辺りで弾けるように消えた。子ども達は黒いローブにしがみついた。魔法使いは華奢な身体を目一杯大きく広げて子ども達を受け止めた。
「もう、怖くないからね」
シオンはしばらく子ども達を撫でてからローブを整えて立ち上がった。子ども達は顔を上げてひっついてくる。
「行っちゃうの?」
「うん」
「やだ。ここにいてよ」
「ま、まだお怪我してる子がたくさんいるから……少しだけお留守番できる?」
子ども達は寂しそうにシオンを見上げていた。
「すぐ戻ってくる?」
「戻って来たら遊んでくれる?」
シオンは優しく口角を持ち上げて子ども達の頭を撫でた。
「うん、たくさん遊ぼうね」
子ども達の指は黒いローブから離れて落ちた。シオンは子ども達に小さく手を振って部屋を後にした。
四つのベッドの上に大きな白い布がかけられた。アルバが立ち尽くしたまま顔を伏せて静かに啜り泣く隣で、ゼラは手を組んで祈りを捧げていた。しばらくして曇った陽の色がアルバに向いた。
「アルバ」
「……ゼラが気にすることじゃない。救えなかったのは私」
ゼラはアルバの背中に手を当てて唇を噛んだ。医務室の清潔な匂いに血肉の生臭さが溶け始めていた。盛り上がった白い布の向こうにその答えがあるだけだった。アルバは何度も深く息を吐いて涙を拭った。
「助けてくれてありがとうね、ゼラ」
「う、うん」
「それと片っぽ眼鏡の女の子も」
「シオンって言うんだ。私のパートナーだよ」
「シオンちゃんか。あの子はどこに?」
「今は先生と一緒に子ども達の面倒を見てくれてる」
アルバは懸命に笑みを作って頷いた。
「そっか。じゃあありがとうって伝えておいて。私はしばらくここを離れられないから」
「わかった」
ゼラは医務室の扉を引いて廊下に出た。雨が上がったのか天井と壁の隙間から陽の光が漏れていた。黒い螺旋階段を下って生活棟の一階に戻ると、近辺の調査をしていた魔法術師達が園庭に集まっているのが見えた。その中にヴェルトの姿もあった。ゼラは玄関から外に出て話を聞きに向かった。
「ヴェルト、どう?」
「あぁ、ゼラ。とりあえず周囲に異変はなし。魔法活動としては終了だ。負傷者の方は」
「一人助けられなかった。犠牲者は全部で四人。今は医務室でアル……看護医が見てる」
ヴェルトの顔に分かりやすく影が落ちた。
「そうか……」
「巡り合わせが悪かった。最善は尽くせたよ」
「ご苦労様」
「そっちもね」
ゼラは自分の顔より高いヴェルトのルーンを指でつついた。
「私達はとりあえず魔法学校に戻るけど、平気かな」
「あぁ、構わない。尽力に感謝する」
ヴェルトは日に照らされた白い生活棟を見上げて言った。気高い赤いルーンがその声と一緒に震えた。ゼラはヴェルトの背中を一つ叩いて、後は何も言わずに園庭を後にした。
避難場所になっていた別棟は生活棟から外廊下で繋がっていた。室内遊戯ならなんでもできる広い部屋が一つある建物だった。ゼラは樺の木材でできた華やかな扉を引いた。彼女に気付いた花園院の先生が駆け寄ってきた。
「ゼラちゃん。大丈夫だった?」
「全部終わったよ。とりあえず私はシオンと一緒に学校に戻るね」
「そ、それがね……」
先生は部屋の中心で子ども達に抱きつかれているシオンを指差した。
「え? 何あれ」
「子ども達があの子から離れないのよ。泣いてた子も、震えてた子も、喋れなくなっちゃった子も、ぜーんぶあの子が平気にしてくれて」
「シオン……」
ゼラが近寄っていくとシオンは気付いて顔を上げた。一つ瞬く間だけ目が合って、彼女の瞳はすぐにゼラから逸れた。
「帰ろう、シオン」
「はい……」
彼女が立ち上がると子ども達は糊で貼り付けられたようにローブに顔を寄せた。
「可愛いね」
シオンは苦い表情のまま少しだけ笑った。
「おねえちゃん行っちゃうの?」
「お姉ちゃん、忙しいんだよ〜」
ゼラは膝に手をついて子ども達に言った。
「ま、また今度ね」
「つぎはいつくるの?」
「えっ、えっと」
「いつかだよ! 楽しみに待っててね」
子ども達は寂しそうにして離れたがらなかったが、シオンが一人ずつ頭を撫でてなんとか諦めてくれた。子ども達との約束と先生への挨拶を済ませて二人は別棟を出た。
「めーっちゃ懐かれてたね」
「そ、そうですね。なんでかな……」
消え入りそうなシオンの声にゼラが後ろを振り向いた。
「……シオン?」
彼女は俯きながら足をもつれさせながらふらふらと歩いていた。ゼラは彼女の頬に手を当てて顔を覗き込んだ。引きつった顔に真っ赤な鼻血が垂れていた。そのままゼラの方へ倒れ込む。
「シオン!」
ゼラはシオンの咄嗟に支えた。左胸が壊れそうなほど強い鼓動を感じた。
「シオン! シオン……!」
肩を叩きながら顔を覗き込むゼラ。黒いローブに包まれた白い顔に長い髪が撒かれた。その隙間で光る紫の瞳はどんどんと遠くなって、やがて彼女の意識と共にぷつりと消えた。
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