3-1. endeavor
シオンが目線を落とした机の上に綺麗な手が乗った。金色のブレスレットがからんと鳴った。同級生のパメラだった。横に膨らんだベージュの髪が今日もふわふわ浮いている。隣にはいつも通り幼馴染のラゼルが立っていた。
「シオンちゃん。今日この後、私の部屋でボードゲーム大会するんだけど来ない?」
彼女は弾むような声で言った。
「あ、えっ」
シオンは戸惑うように目を泳がせた。その唇は何か言いたげに震えている。すかさずラゼルが口を開いた。
「無理だったら断っていいよ。こいつ暇なだけだから」
「ご、ごめんなさい」
「そっかぁ」
「あのっ」
俯きかけたパメラの顔が戻る。
「また、明日」
シオンは身体の前で両手を揃えて鞄を持つと、固さの残る小さな笑顔を残して教室を後にした。ラゼルが優しく手を振る横でパメラが再び項垂れた。
「うぅ、今日も無理だった……」
「なかなか強敵だね」
「あんたが暇なだけとか言うからでしょお? こっちは真面目に誘ってるのに、もう。ボードゲーム、興味なかったかぁ」
「緊張してるだけだって。強制しちゃ可哀想でしょ。きっとあんまり慣れてないんだよ」
パメラは寂しそうに口を尖らせた後、思い出したように笑った。
「でもさ聞いた? また明日、だって。あの子ほんと可愛い」
「わかる」
「ゼラさんの推薦なんでしょ? すごい子なんだよね」
「今のところあんまり片鱗感じないけどな。俺らと同じ初心者って感じがする。座学系も頑張って追いつこうとしてるし」
「でも理由なしで推薦なんて来るわけないじゃん」
「顔採用とか」
「ないない。ありえるけどありえない」
パメラは目を細くして首を横に振った。腕を組んで指先を顎に当てる。
「毎日早く出て行くけど、何か用事があるのかな」
「そうかもしれないな。それこそゼラさんとの何かか、学生寮に入ってないなら家に用事があるのかもしれないし」
「そういえばどこに住んでるのかも聞いてない! 明日聞こ」
「あんまり圧かけてやるなよ? より馴染んでくれなくなるぞ」
ラゼルは刈り上げた横髪を掻きながら苦く笑った。
小さな両手で握った杖の先、光の結晶が白く輝いて勢いよく飛んでいった。真っ直ぐだった軌道が左右にぶれて、的に当たる前に散った。杖を握る手の力が抜けて杖がその場に落ちる。シオンはすぐにそれを拾い上げてもう一度姿勢を作り直した。
「集中……集中……」
もう一度杖の周りに光の結晶が浮かび上がった。息を大きく吸って勢いよく放つ。
きんっ。
「え?」
矢のように飛んでいった光は途中で何かに弾かれたように明後日の方向へ折れた。
「冴えないわね」
シオンが魔法を放った先に防御魔法が展開されている。それが淡い光を放って消えた向こう側に一人の魔法使いが立っていた。
「ゼラ様のお墨付きと聞いたからどんなすごい子なのかと思ったら、かなり苦戦しているようじゃない」
彼女は表情一つ変えずゆっくりシオンの前まで歩いてきた。赤いシュシュが揺れる。
「ご、ごめんなさい」
「誰に何を謝っているのよ。貴方に謝られる筋合いなんてないわ」
「えっと……」
シオンは萎縮しながら目線だけを目の前の魔法使いに向ける。色の濃い赤色がじっとシオンを捕まえていた。
「貴方がシオン・テラスね」
「そ、そうです」
気が付くと白い手袋が杖を握っていた。鉄のような銀色の細い杖だった。彼女がシオンの横に立って的の方を向いた瞬間、的が光って破裂した。魔法使いの栗色の髪が風に吹かれた。
「基礎魔法、懐かしいわね。私も入ったばかりの頃はこればっかり練習させられたわ」
二つの赤が少し不気味にシオンを捉えた。
「ちょっと構えてみなさい」
「構え……?」
「いいから、ほら」
言われるがまま姿勢を作るシオン。魔法使いは静かに首を横に振った。
「力み過ぎよ。冴えないわね」
シオンの肩にそっと白い手袋が触れた。
「いい? 魔法は筋肉で使うものではないわ。いっぱい力入れても全く意味ないの。なんでか分かる?」
シオンは口を開けたまま黙って固まった。
「……杖を出すのにどこに意識を向けるって言われた?」
「心臓、です」
「そう。よく覚えてるじゃない」
彼女の声色は少しずつ優しくなった。
「貴方の心臓は貴方が力を入れて動かしてるわけじゃない。勝手に動いているものよ。魔法はその力を借りるの。別に貴方が意識的に力を入れなくてもいいのよ」
魔法使いはシオンの腕や肩を撫でるように触っていく。
「できる限り力を入れない。杖は持っているだけ。その状態で心臓の音を聞いてみなさい」
「はい」
シオンはじっと止まって目を閉じた。
「胸に手を当てなくても、集中して意識を向ければ聞こえるでしょう。その感覚がとても大事よ。その力を信じてもう一度基礎魔法を使ってごらんなさい」
シオンはゆっくり杖を的に向けた。さっきは全く聞こえなかった心臓の音がより大きくなって聞こえる。魔法使いは一歩シオンから離れて腕を組んだ。
光の結晶は真っ直ぐ的を貫いた。
「うん。さっきよりはずっと上手くいったわね」
「あ、ありがとうございます」
彼女は目を泳がせてもじもじしているシオンに首を傾げる。
「どうしたの」
「いえ、てっきり怒られるのかなと思って」
「なんでよ」
「それは……さ、冴えない、から?」
シオンは自分の杖を身体に寄せて抱えるように持った。魔法使いは小さくふっと笑った。
「貴方、思っていたよりもずっと真面目で素直ね。なんだか苦労しそうだわ」
「苦労、ですか」
「別に悪い意味じゃないわ。大切なことよ」
魔法使いは手袋を取ってシオンに手を差し出した。シオンは覚束ない手つきでそれを握った。
「魔法術科のマーシャよ」
紫に瞳が少し開く。
「マーシャさんって、生徒会長の?」
「あら、知っているの? 意外と勉強してるのね」
マーシャは訓練場の柵に手を置いてヘレンの街を見下ろした。
「毎日一人で練習してるの?」
「早くみんなに追いつかないとなので」
「そう。あのゼラ様の推薦を受けても、その姿勢があるなんてね」
シオンは首を傾げる。
「そんなにすごいことなんですか」
マーシャの端正な顔が再びシオンに向いた。
「……あなた、ゼラ様がどれだけ異常な魔法使いか知らないの?」
「い、異常?」
「ゼラ様、今何歳かわかる?」
「十五歳って聞きました」
「この学校に入学できる年齢条件は?」
「十六歳になる年度の春から……あ」
シオンの瞼が持ち上がってぴたりと止まる。
「あの人がこの学校に入ったのは十歳の時。三ヶ月後で魔法術科課程を修了して特別研究生になったわ。魔法術師として卒業しておいて専門は回復術。それも超一級品のね。それ以外に使える魔法の数も桁が違う。数多の魔法使いが一生かけても辿り着けるかわからない境地にいるのよ」
彼女の胸に金色のルーンが下がっていることを思い出した。
「わかりやすいのは飛行魔法。ゼラ様って身一つで飛ぶじゃない?」
「はい」
「普通は箒だったり何かしらの道具を飛ばしてそれに乗るの。身一つで飛ぶ魔法はソールの消費量が多いから。体力に換算するなら坂道を全力で駆け上がるくらい消耗する。私は連続で十二分が限界よ。それをあの人は日常の移動手段に使うじゃない。そんなことできる魔法使いなんて、この街にはいないわ。とても人間だとは思えない化け物じみた性能よ」
シオンはカラットの扉を開けた朝を思い出した。毎朝必ずそこには太陽のような笑顔があって、小さなシオンを優しく空に迎えてくれた。
「あんなに可愛いのに……」
「そうなの!」
シオンが何気なく呟いた途端に、マーシャは顔を向けて彼女の手を両手で包むように握った。その目は魔法をかけたように輝いていた。
「ゼラ様の本質はそれだわ。いくらなんでも可愛すぎる。あんなに無邪気に太陽みたいに笑われたらみんな大人しく月になるしか……はっ」
早口に捲し立てたかと思えば、びっくりしているシオンの顔で我にかえって咳払いをするマーシャ。勢いのままに掴んだ両手も少し恥ずかしそうに引っ込められた。
「と、とにかくっ、そんな魔法使いに選ばれるってことは、とんでもないことなのよ」
「は、はぁ……なるほど」
シオンは控え目に視線を流した。
「会長、こんなところにいたんですか」
訓練場の扉を開けて一人の理法術科生が入ってきた。背の高い穏やかそうな青年だった。大人っぽいマーシャよりもさらに大人に見える。
「あら、ハイセ。わざわざ探しにきたの?」
「ええ、仕事が溜まってますから。何してるんですか」
「なんでもないわ。ちょっと後輩の様子を見てただけよ」
ハイセと呼ばれた青年はシオンに気付いて小さく会釈をした。シオンも小さく返す。
「行きますよ。僕だけでは手が回りません」
マーシャはハイセに返事をすると、シオンの方を向き直って耳元に顔を近付けた。
「私がゼラ様の可愛さを崇拝してるってこと、絶対に他の人に言うんじゃないわよ。一応会長として気品のある印象でやってるから」
「は、はい」
「特に本人に言ったら退学させるわ」
「ぜったい言いません」
シオンは強く目を瞑って震えるように声を絞った。マーシャは優しく笑ってシオンの肩を一つ叩いた。
「それから、友達の誘いには乗ってみるといいわ」
「え?」
「苦労が少なくなるコツよ」
マーシャはそう言い残してハイセと一緒に訓練場を後にした。
ラムダの心臓 オパールパレット @opalpalette
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