2-3. cyan

 魔法省のヘレン本局の三階に見習い魔法使いの窓口があった。艶やかな大理石の床と清楚な白い壁に包まれた静かな廊下に黒樫の扉が開く音が響いた。部屋の中から小綺麗な白髭の老人がゆっくり現れた。

「シオン・テラス様、お待たせしました。準備ができましたのでお入りください」

「は、はい」

 シオンは唾を飲み込んで案内された部屋に入った。魔術的な紋様が描かれた赤紫のカーペットに足音が吸われる不思議な部屋だった。部屋の中央に置かれた机にが用意されていた。

「改めまして、この度はヘレン魔法術大学校へのご入学おめでとうございます。シオン様の学生証と理法術科の学生服とローブ、それからルーンをご用意させていただきました。学生証は魔法省から認可を受けているという証明書になりまして、ルーンとローブは見習いの魔法使いという自分の立場を一般の方々に向けて示すものになります。どちらも無くさないよう、特に魔法活動の際は身に付けておくようお願いいたします」

 老人は机の上の物品を一つ一つ示し、最後に丁寧に一礼して一歩下がった。シオンはゆっくりと机に近付いた。真新しい布の匂いが心に踊り方を教えてくれた。

「もう、着てもいいんですか」

「もちろん。お手伝い致しましょうか」

「は、はい」

 シオンは学生服をさっと着て、首にタイを通してルーンを留めてもらった。

「最後にこれを」

 老人はローブをシオンに向けて開いて持った。シオンは不慣れな手際でゆっくり袖に手を入れた。瞬間、肩にローブの重さが乗って上品な香りが立つ。

「わぁ……」

「鏡でご覧になりますか」

 老人は姿見をシオンの目の前に立てた。

 紺色のセーターの内に覗く襟の正された白いシャツ。首元に輝くシアンのタイに結ばれた綺麗なあま色のルーン。黒いローブにはタイと同じ色の月の花の紋様が浮かんでいた。

「よくお似合いです」

 シオンは右手に法術杖を出した。少女は魔法使いに変身した。口元がふっと緩む。

「本日のご案内は以上になります。ご案内が完了した旨はフェルク・レイア先生にも伝えておきます」

「ありがとうございます」

 シオンは老人に礼をして部屋を出た。深く吸った空気が澄んでいるのを感じた。華奢な身体に纏った慣れないローブの重みに揺られながら階段を下ると、一階のエントランスの柱に寄りかかりながら魔法省の職員と話している黄色い先輩が見えた。シオンが近寄っていくとちょうど話が終わったのか、離れていく職員にゼラが手を振った。

「あ、あの、ゼラさん」

 シオンの声にゼラがぱっと振り向いた。と同時に、その瞳が星屑を撒いたように輝き出す。

「わぁ〜、可愛い!」

 ゼラはシオンのローブの襟や袖を弄って近くで見たり離れてみたりしながらどこか悶えるように唸った。耐えきれずシオンの頭を撫でる。

「シオンちゃん、ちっちゃくてかわいいねぇ」

「身長は、ゼラさんと変わんないです」

「そうだけどぉ……そっかぁ、魔法使いになったんだね」 

「まだ見習いですよ。ゼラさんみたいにすごい見た目じゃないし」

 シオンはゼラのルーンとローブの縁に輝く金色を見ながら呟いた。

「ルーンの色、青でした」

「あ、教えてなかったっけ。魔法術師が赤、理法術師が青、教育者とか公職者は緑なんだよ。決まってるんだ」

 シオンはこてんと首を傾げた。

「ゼラさんのは……?」

「金色のルーンは特別。魔法術師としても理法術師としても優れた成績や実績を持ってる証。ヘレンでも持ってる人は少ないんだよ〜」

 ゼラはいつもの得意げな笑顔でルーンのタイを摘んで持ち上げる。

「なんでも屋さんってことですか」

「そうだね」

 シオンは少し残念そうに俯いた。ゼラはその肩を優しく抱いた。

「いつか、お揃いのでお仕事しようね」

「無理そうです、けど」

「無理なんかじゃないよ。だって今、ルーンを下げてるんだから。ローブも着てる。その全ての人に可能性があるんだよ」

 シオンの肩にかかった手が彼女の両頬を包む。魔法使いは包帯の奥の温もりの形をすでに知っていた。

「ほら、笑って? 魔法使いさん」

 シオンは不器用に口角を上げる。

「えへへ、下手っぴだねぇ笑うの。でも可愛い」

「魔法と、どっちを練習したほうがいいですか」

「どっちも」

 上手に笑う魔法使いの包帯の巻かれた左手が三度シオンを手を引いた。

 魔法省の建物を出ると平和公園の木々の緑が目の前に広がった。道を行く人達の隙間を新緑の風が吹き抜けていく。新品のルーンが空の色に呼応するようにきらりと一つ輝いた。


 扉の向こうで三つ硬い音が鳴った。続いて声が届く。

「マーシャ・ヴィオーラです」

「入れ」

 フェルクの声が扉を押すと、すぐにそれは引かれた。

 現れた魔法使いは静脈を流れるような濃い赤を瞳に持っていた。澄ました端正な顔に、髪は赤いシュシュでまとめられている。

「今月の決算書です」

「ご苦労」

 フェルクは丸い眼鏡を持ち上げて彼女から紙を受け取った。白いクイルペンの先が署名欄に走る。

「この間の試験、合格にしたんですね」

「あぁ、編入にはなるが理法術科に一人増える」

 黒いローブに浮かぶ太陽の紋様が揺れた。フェルクは学籍書類の中から一枚の紙を取って差し出した。濃い赤が二つ、紙面に向いた。

「シオン・テラス……」

「ゼラの推薦だ」

「学内でも街でも話題になっています。特別な子なんですか」

 フェルクはクイルペンをスタンドに戻した。

「まだ、ゼラにしかわからん」

「ゼラ様にしか?」

「魔法使いとして十分な気質は持っている。私が断言できるのはそこまでだ」

「大丈夫、なんですか」

「ゼラ・ガーデンに推薦されているということの価値。主席の君ならわかるだろう」

 フェルクの目が赤く染まったルーンから上へなぞるように動く。凛とした顔は崩れることなく縦に動いた。

「ええ、もちろん」

「まだ魔法自体には慣れていないようだからしばらくは体系的に魔法を学習させるが、そのうちゼラに同行させて様子を見るつもりだ。エトも彼女の魔法を調べたいと言っていたしな」

 フェルクは机に肘をついて手を組んだ。

「もし彼女が困っていたら、少し気にかけてやってくれ」

「私がですか」

「贔屓はしなくていい。生徒会長の役目の範囲で十分だ」

「ゼラ様の方がいいのでは」

「あいつは学内まで気を回せるほど暇じゃない」

 フェルクはもう次の仕事の書類を机に出していた。書類に目を落として眼鏡を持ち上げる。

「君の能力を信頼しての願いだ、マーシャ」

 彼女の瞳が揺れるように動いた。白い手袋が胸元のルーンを包む。

「わかりました。覚えておきます」

 マーシャは目を閉じて頭を下げるとローブをはためかせながら校長室を後にした。

 扉が閉じて、灯りを務める炎の音が聞こえるような気がするほど部屋は静まり返った。フェルクの手元から木の擦れる音が育つ。引き出しの中に一つ、少しだけ欠けた赤いルーンが眠っていた。

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