2-2. exam

 恐る恐る扉をくぐると正面に大きく燕脂色の幕が下ろされた舞台が見えた。そこは大講堂だった。鏡のように綺麗に磨かれた木の床に大きな柱と石の壁。ステンドグラスを通ってきた陽の光。自分が十人いてやっと届くような高い天井。数百人は入れるだろう広い空間に二つ木の椅子が向かい合って置かれている。その片方にフェルクが座っていた。

「来たようだね」

 長い残響。低いか高いか判別のつかない細かい揺れまでを鼓膜が受け取った。

「はい」

「では、座って」

 シオンは椅子に向かって歩を進めた。足音一つ一つが信じられないほど響く。心臓の大きさはそのままに、図体だけが巨人になったような気分だった。

「失礼します」

 シオンは木の椅子に腰を下ろした。全身が小刻みに震えている。

「よくない顔をしている」

「えっ」

 フェルクは瞼をゆっくりと上げてシオンを見つめた。

「私は決して急かさない。君はただ自分に向き合って、魂に正直にいなさい。怖がらなくていい。焦らなくていい。ここは処刑台ではない。君が君でいることを許された場所だ。いいね」

「……はい」

 シオンは深く息を吸って、静かに頷いた。

「まずは名前を」

「シオン・テラスです」

「出身は」

「オルカ地方の山奥にある、クローゲルという集落です」

 鉛筆が紙の上を走る音が少し肌寒い空気の質感に溶けた。

「家族は」

「いません」

 紅い瞳がさっとシオンに向く。

「去年の冬、お母さんが病気で亡くなりました。お父さんは……会ったことがありません」

 フェルクはシオンに向けた目線を時間をかけて手元に紙に落とした。

「母親と二人で、集落に?」

「はい。お母さんは十五歳で私を産みました。すごく優しい人でした。でも非力で足も不自由でした。クローゲルは人の少ない農耕集落で、仕事のできない人はいじめられるような所でした。お母さんは内職で長老さんの手伝いとかをしていて、私が分校を卒業してから農作業の手伝いをしてました。役立たずだったのでいつまでも厄介者扱いでしたけど」

 床に反射した光が彼女のモノクルを照らした。

「ヘレンに来たのは、集落から逃げるためか」

「……逃げるというか、もうお母さんがいないので集落にいる理由がなくなったんです」

 白いワンピースに皺が寄った。半透明の心を乗せた透明な轍が彼女の頬に孤を描く。

「長老さんがヘレンに行くことを勧めてくれました。自由になっていいって。反対する理由もないので、集落を出ました」

 息を吸って吐く音が沈黙を埋めた。

「そうして、とある魔法使いに出会った、と」

「はい」

 フェルクは鉛筆を静かに離した。

「それでは、君が今日ここに来た理由を聞かせてくれ」

 二瞬間か三瞬間、静寂が流れた。少女は息を吸った。

「魔法使いになって、恩返ししたい人がいます」

 シオンの二つの瞳は初めてフェルクの紅を捉えた。

「その人が一緒に魔法使いになろうって、そうなれたら嬉しいって言ってくれたんです。こんな私にたくさん笑ってくれて。それがすごい嬉しくて。そんなの初めてだったから」

 シオンは右手を胸に押し当てて鼓動を手のひらに乗せた。

「正直、私は自信がありません。その人みたいにたくさんの人を守れるような立派な魔法使いにはなれないかもしれない。でも少なくともその人が笑ってくれるなら」

 シオンの体が白く光った。その光はゆらゆらと揺蕩うように、彼女の座る椅子から床に溢れて広がった。差し出した手のひらに木製の大きな杖が握られていた。

「その笑顔を守れるような魔法使いになりたいです」

 お互いの視線が向かい合う。じりじりと瞳孔が震えるのがわかった。

 フェルクは天井を見上げてゆっくり口を開いた。

「では、その魔法使いがもし死んだら、君は魔法使いをやめてしまうのか?」

 シオンを包む光が揺れる。

「……死なないと思います」

「なに?」

「その人は絶対に死なないと思います。もし会えなくなる日が来ても、ずっとみんなのそばにいるような魔法使いです。きっと、私のそばにも。だから私が魔法使いでいる限り、その人は笑顔でいてくれます」

 フェルクは口を結んで幾度か首を縦に動かした。心なしか微笑んでいるようにも見えた。

「わかった」

 フェルクは立ち上がった。すらりと高い背が今日は不思議と怖くなかった。

「合格だ」

「え」

「やったー!」

 驚く間もなく上から聞き慣れた声が降ってきた。シオンが声の方へ顔を向けると、舞台に向けて作られた二階席でゼラが飛び跳ねていた。その隣で座るエトもこちらに手を振っている。

「えっ、え?」

 シオンは抱きつくように飛び込んできたゼラを受け止めた。

「おめでとう、シオンちゃん!」

「み、見てたんですか?」

「うん!」

「いつから……?」

「うふふ、シオンちゃんの恩返ししたい人ってだれかな〜?」

 ゼラは嬉しそうににやけながらゆっくりシオンに顔を近づけた。

「や、やめてください! うぅ……」

 シオンは顔を両手で覆って俯いた。髪をかけた耳が赤く染まっている。

「ゼラ、新入生をいじめるのはやめなさい。それからエト」

 フェルクは二階席を見上げた。

「はーい。エトです」

「シオンを頼む。私は仕事に戻る」

「おまかせを」

「シオンはエトについていきなさい」

 ゼラは自分を指差して首を傾けた。

「私は?」

「お前は勝手に来ただけだろう。仕事に戻りなさい」

 少し寂しそうに肩を落とすゼラを横目に、シオンは校長の前に一歩踏み出した。

「あの、よろしくお願いします」

「期待している」

 フェルクは静かにシオンの肩に手を置くと、子どものようにはしゃぐゼラを連れて講堂から出ていった。その後ろ姿に思わずシオンの口角が上がった。

「おめでとう」

 耳元でしたエトの声にシオンはびくりと体を震わせた。彼女はいつの間にか音もなく隣にいた。両手を白衣のポケットに入れて不思議な笑みを浮かべている。

「じゃあ行こっか」


 エトに案内されたのは学内の医務室だった。多くのベッドが一列に並べられていて、何人か横になっている学生の姿が見えた。部屋の反対側には器具や薬品が陳列された巨大な棚がある。

「あ、そうだ。もう一度杖出せる? 僕もちゃんと見てみたい」

 棚の向こう側へ消えたエトが顔だけをこちらに見せた。シオンはベッドに座ったまま心臓に意識を向けた。試験の時よりも楽に杖が出て、シオンは少し驚いたように口を開けた。エトは身体測定の器具を担いでベッドの側までやってきた。

「おぉー。やっぱ一度出すとさっとできるようになるもんだね。どれどれ」

 エトはシオンから丁寧に杖を受け取った。その重さを下半身で支えるようにして杖を一通り眺める。

「すご、ゼラの杖にそっくり。二人でどんな特訓したの?」

「散歩、とか」

「え? 練習してたんじゃないの?」

「しましたけど、それよりもいろんなところに連れて行ってくれて」

「へぇ……なるほどね。じゃあ元々ソールがゼラと似てるのかな〜」

 一人でぶつぶつ言いながらいろんな角度から杖を眺めるエト。

「なんだか、恥ずかしくなってきました」

「ん、なにが?」

「ゼラさんの笑顔を守るとか大きなこと言って。そんなの私じゃなくても、別に」

 エトは優しく微笑んで隣のベッドに座った。

「シオンちゃんがゼラの話をしてた時、あの子隣で結構照れてたんだよ」

「え、照れ……?」

「それだけ嬉しかったんだよ。シオンちゃんが大事に思ってくれてることがさ」

 シオンの手元に杖が返ってきた。

「ゼラはシオンちゃんが魔法使いになる目的を見つけてあげたかったのかな」

「目的?」

「そう。魔法使いは目的がはっきりしている方がいいんだ。そっちの方が魂がぶれない。だからシオンちゃんにこの街を紹介して、何か一つでも自分の魂の拠り所になるようなものを見つけて欲しかったんじゃないかな。結果的にそれが自分だったって面白い話だけど」

 エトは立ち上がって片手を白衣のポケットに入れたままシオンの頭をゆっくり撫でた。

「ゼラのこと頼んだよ。魔法使いさん」

 さっと軽くエトの身体がベッドから浮いた。持ってきた器具に片手を添えて、反対の手でシオンを手招きする。

「さて、測定しよ。シオンちゃんにぴったりの制服が出来上がるからね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る