2-1. sole
朝早くから魔法使いは空を飛んでいた。魔法学校からさらに東に行くと建物の高さが段々と高くなってくる。通り過ぎていく街並みに人々が空を指差したり手を振ったりするのが見えた。
「みんなゼラさんのこと知ってるんですか?」
シオンは少し恥ずかしそうに口元を隠しながら聞いた。
「まぁね。シオンちゃんもすぐにこうなるよ」
「こんなに広い街で、む、無理ですよ」
ゼラは笑って首を振った。
「ぜーんぜん無理じゃない。これからたくさん時間があるんだから。あ、見えてきたよ。あれだ」
ゼラは通りに並んで建つ中の、濃い茶色の店を指差した。数えてみると窓が三階分あって、家の入り口には通りに向かって看板がぶら下げてあった。名前はカラットというようだ。
ゼラは飛行速度を落としてそのまま空を歩くように店の前に着地した。扉を引いて中に入っていく。
「ルイスさん、いるー?」
店の入り口は二階までの吹き抜けになっていて、壁には骨董品の類が飾られていた。宝飾品が並んでいるショーケースが店の奥まで続いていて、その奥から朱色のベレー帽を被った男性が顔を出した。
「ゼラじゃないか。久しぶりだね、この店に来るのは」
「そうだっけ? この間エトにお遣い頼まれて来たの、そんな前だったか」
「今日はどんな用で?」
ルイスはそこまで言って、ゼラの後ろから不安げに顔を出している少女に気が付いた。何か悟ったのか、ベレー帽を取って二人に近付く。
「もしかして、シオンちゃんかい?」
「あ、えっと」
「その髪飾りやっぱりそうだ。爺ちゃんのモノクルも。大きくなったね。僕、覚えてる? ルイス・クローゲル」
「す、少しだけ」
「ほんとに面識あるんだ……」
ゼラは口をだらしなく開けて二人を交互に見る。ルイスは優しく笑った。
「僕がクローゲルを出た時はまだうんとちっちゃかったからね。爺ちゃんから手紙もらった時はびっくりしたよ。結構早く着いたんだね」
「昨日着いたんだよ! 私の家に泊まってから朝イチで来たんだ」
「そっかそっか。いきなり揉まれてるね。疲れたでしょ、この人うるさくて」
「むっ」
シオンは何も言わず控えめに首を横に振った。たん、とショーケースの木の枠が鳴った。ゼラが両手をついたようだ。依然として輝きを忘れられない瞳がルイスを向いている。
「ね、聞いて聞いて、シオンちゃんも魔法使えるの! 私、魔法学校に推薦してきちゃった」
ルイスは驚いたように目を開いた。
「えぇ、そうなのかい?」
「骨折してる男の子、治しちゃったんだ」
「そんなことできたの!? 昔からだっけ?」
「いや……わかんないです」
「才能ピカイチ!」
ゼラはシオンの後ろからお腹に腕を回して、愛おしそうにくねくね身体を捻った。シオンは戸惑いながら左右にゆらゆら揺られた。
「魔法学校、目指すのかい?」
「うん! 一緒に魔法使いになるんだ、ねー」
ゼラは頭をこてんと倒して彼女の方から顔を出した。
「ま、まだ行けるって決まったわけじゃ」
「大丈夫だって。楽に考えてこ」
「なれるならなったほうが絶対いいよ。無理だったらうちの看板娘でもいいし」
「え、やっぱシオンちゃんって可愛いよね?」
「うん。お母さんにそっくり」
「そ、そんなことないです……」
顔を赤らめて俯くシオン。
「さ、立ち話もなんだし入って入って。もう部屋は用意してあるから」
ルイスは店の奥に二人を案内してくれた。カラットは一階と二階の一部までが店舗になっていて、その裏は住居になっていた。ルイス以外に誰かが住んでいるような雰囲気はなかった。二階を裏庭側に抜けた外に三階に続く階段がかかっていて、それを上がるとこじんまりとした秘密基地のような小部屋があった。通り沿いに窓が付いていて、差した陽が薄い色のフローリングに落ちている。
「元は宝飾品の修理とか検品をする部屋だったんだけど、地下にある倉庫に作業台とか全て移してここを空けたんだ。あんまり広くはないけど、好きに使ってもらっていいよ。とりあえず僕はお店に戻ってるから、何かあったら一階に降りておいで」
「はい、ありがとうございます」
シオンは急いでルイスに頭を下げた。静かに扉が閉まった。
「えーいいないいな。私もこういうとこに住みたいなぁ」
シオンでも背伸びすれば届くくらいの天井に樫の木が組んであって、ガラスの玉が吊るされていた。シオンはその玉を指先でそっとつついてみた。それは音もなく少し揺れてすぐに止まった。
「こ、これは……?」
「これはね、魔法を使った灯りだよ。ガラスの裏に銀色の取っ手があるでしょ。そこを引っ張ってみて」
シオンが指を裏に回すと小さく何かが弾けるような音とともにガラスの中がぱっと明るく輝き始めた。細かい光の線が無数にガラスの玉の内を行き交っている。
「電気、っていうんだっけな。専門じゃないからわかんないんだけど、雷から着想を得た魔法の仕組みを利用してるんだって。頭のいい人はすごいね」
「も、燃えてないのに明るい……」
「蝋燭と違って灯りが消えないから、寝る時とか消すの忘れちゃダメだよ」
シオンはこくりと頷いた。
「どうする、少し休んでいく? それとも、始める?」
「が、がんばります」
シオンは瞼を持ち上げて両手を握った。ゼラは嬉しそうに笑うと、魔法の灯りを消してずれたローブを綺麗に羽織り直した。
少しずつ街が暖かく育ち始めていた。行きの時間にはあまり多くなかった黒いローブの数が少しずつ増えた。箒に跨って空を飛んでいる魔法使いともすれ違った。しばらく飛んでからシオンはゼラが魔法学校とは違う方向に飛んでいることに気が付いた。ゼラに聞くと紹介したい場所があるとのことだった。五分も飛ばないうちに建物の隙間から山のように盛り上がった大地と広い緑が現れた。
「森、ですか?」
「公園だよ。ここがヘレンの真ん中なんだ」
二重の濠に水がたたえてあって、中心にある大きな広場に高い塔が立っている。二人は緑の絨毯の上を滑って中央の広場に下りた。木陰で子ども達が走り回っていた。至って静かで綺麗な広場だ。
「ここが太陽の園。平和記念公園のシンボルです! まずは魔法の簡単な歴史と心得を学びましょう」
ゼラは人差し指を天に立てて、塔の足元に立っている石碑の前へシオンの手を引いた。
「はい、声に出して読んでみて」
シオンは石碑の文字を追う。
「ラムダの恵み、千代にその心に在らんことを」
「よくできました」
小さな黄色い拍手が起こる。ゼラはひとつ喉を鳴らすと、ローブをばさっとはためかせた。
「ずっと昔のそのまた昔、人の暮らしは今みたいに平和じゃありませんでした。人を喰らう魔族や魔物がいたからです。魔族や魔物は時に賢く人を騙し、時には暴力で人を襲い命を奪いました。極めつけに彼らは魔力という特殊な力で魔法を使うことができました。人間はもう歯が立ちません」
ゼラはシオンから一歩遠ざかるように下がると両手を広げた。その身体に陽の色の光が宿って、瞳の奥がゆらゆらと波打った。
「そこで太陽と心の神ラムダは人の魂にソールという特別な力を授けました」
ゼラの手に法術杖が現れる。
「人はこのソールで魔力による魔法に対抗すべく魔法術を発明。瞬く間に多くの魔法使いが誕生しました。ソールは人の魂に由来しているため、その力も十人十色。たくさんの種類の魔法が編み出されて発展していきました」
ゼラの体を覆い尽くす光は無数の結晶になって空へ飛び立った。そうしてしばらくして音もなく強く輝きながら散った。
「ついに魔法使いは魔族の王を倒すことに成功しました。それから残された魔族や魔物は勢力を失い、現在に至るまで各地の魔法使いによって次々に討伐され、人の暮らしには平和が訪れました。人は魔王の城があった土地に都を築き、城跡はラムダを崇める記念公園として、人の平和を見守る役割を果たしています」
「え、じゃあここは……」
「そう。もともとは魔王の城があったところ。濠はその時の名残」
シオンは穏やかな広場を見渡した。
「もう昔の話だよ。来年で五百年になる」
「そんなに」
シオンは服の胸元を握った。
「今も魔物はいるんですよね」
「うん。昔に比べたら減ったけど、全部倒し切るのは難しいからね」
「私も、魔法使いになったら戦ったりしなきゃいけないですか?」
「シオンちゃんは戦いたくない?」
「こ、怖いなぁって」
ゼラはにやりと笑ってみせた。
「そんなシオンちゃんに朗報です。実はね、今は魔力に対抗して戦う以外魔法の方も発展してるんだ。だんだん戦いの機会が少なくなってるから、戦いだけじゃなくて人の暮らしに役立つ魔法をみんな考え出してるんだよ」
「さっきの灯りも」
「そう! そういう魔法を理法術っていうんだ。今は魔法学校にも魔法術科と理法術科があって、エトとかは理法術科の卒業生で先生やってるから戦うのは苦手。シオンちゃんのあの回復術が得意魔法だったら、理法術科でやっていけるかもね」
ゼラは手に持った杖をぱっと消してもう一度現してみせた。
「そして大事な大事な入学試験のことなんだけど。シオンちゃんが本番出さなきゃいけないのは私が今持ってるこれ」
「法術杖、ですよね」
「よく覚えてるね。私の触ってごらん」
ゼラの杖はさほど高くない彼女の身長とほとんど変わらない大きさだった。材質は硬くしっかりとした木で持ち手の部分に髪と同じ明るい黄色の布が巻いてある。
「意外と軽いです」
「そ、そう? ずしっとこない?」
「はい」
ゼラは不思議そうに首をかしげる
「他人の杖は結構重く感じるはずなんだけどな。実は力持ち?」
「全然そんなことないです」
シオンは杖をゼラに返して、手持ち無沙汰になったのか指を結んで揉んだ。
「どうやって、出すんですか?」
ゼラは自分の左胸に指を立てた。
「法術杖は自分のソールから作り出すんだ。自分の魂の力。それが実体になることで身体の中のソールの流れが整って精度の高い魔法に繋がる」
シオンもゼラを真似て小高くなった左に手を当てた。
「自分の心臓が動いてるの感じる?」
「はい」
「どんな感じ」
「とくん、とくん、って」
ゼラの表情が綻ぶ。
「ソールは心臓から来るんだ。だから意識も常に心臓に向ける。シオンちゃんはまだ自分のソールを知覚できてないと思うから、まずはそれを掴むところからだね。さあ、やってみよ!」
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