1-3. tea
西に沈んでいく陽を背中にして山を超え続けていると、ある時その向こうに無数の光が見えてきた。よく見るとそれは一つ一つが建物の灯りだった。
「見えてきた」
ゼラが風の隣で小さく呟いた。シオンは広がっても広がっても果ての来ない光の大地から目が離せなかった。
「これが、ヘレン……」
ゼラの魔法は街に面した山肌に沿うように二人を運んだ。その山の斜面に一際大きな石造の城のような建物があった。それはまるで山から街を見守るように、ただ静かに佇んでいた。ゼラは速度を落としてその建物に近付いていった。近付くとその建物は一つではなくて、山の一部を切り取るように多くの建物が群れをなしているのがわかった。大きな門と噴水のある中庭にゼラと同じような黒いローブを着た人影がたくさん歩いている。それはシオンやゼラに近い少年少女達のように見えた。
「あ、ゼラさんだ! おかえりー!」
声が地上から打ち上がる。ゼラは笑って彼らに手を振り返した。
「あ、あの、ゼラさん。ここ、ですか?」
「そう。私が魔法使いになった場所。そして、シオンちゃんが魔法使いになる場所」
ゼラは石レンガの隙間を器用に飛んで、バルコニーから屋根の下に入り込んだ。ずっと奥まで続いている大理石の廊下やいくつもの吹き抜けを飛び回って最上階まで上がると、前方に大きな黒樫の扉が現れた。ゼラは扉に向かって手を伸ばした。その瞳は輝きを増す。
「いっくよー!」
段々と迫ってくる扉にシオンは思わず目を瞑った。
扉は勢いよく開いた。一瞬の風に積み重なった紙が吹き飛んで、部屋の壁一面の本棚に詰まった書籍が静かにそれを受け止めた。天井から吊るされたシャンデリアが揺れる。
「ただいまー!」
二人は部屋の中に着地していた。
「もうちょっと静かに帰ってこれないのか、ゼラ」
部屋の奥の大きな窓を背中にして座るその声の持ち主は、顔を覆い尽くす紙を静かに剥がした。灰色の引詰め髪に少し皺の寄った顔。丸い眼鏡の奥に細く鋭い目が紅に光っている。
「えへへ、早く帰ってきたかったんだ〜」
「ん、あ、おかえり」
本を積み上げた机の向こうでソファに転がっていた白衣の魔法使いも顔を上げた。
「エト! ここにいたの?」
「ちょっと先生に用があったからね。てか、眠っちゃってた」
「ぐっすりだったな」
エトと呼ばれた白衣の魔法使いは立ち上がって大きく上に身体を伸ばした。綺麗に揃った髪先が肩に押し上げられて膨らんで、その隙間から明るい緑色が顔を出した。
「気付いてたんなら起こしてくださいよ先生」
「起こす理由がない」
うー、と口を尖らせたエトはゼラの隣にいる少女に気が付いた。
「あれ、ゼラその子は?」
「ふふふ」
待ってましたと言わんばかりにゼラは少女を前に差し出した。その肩をぽんと叩く。
「お名前どうぞ」
「え、あ、えっ、シ、シオン・テラスです……」
「将来、私を継ぐ偉大な魔法使いになるシオンちゃんです!」
ゼラはシオンの肩から顔を出して大袈裟に拍手をした。乾いた音が少し高い天井に響いて、すぐに湿った沈黙が降ってきた。
「……エト、人に冗談を言わせる呪いをかける魔物はいたか?」
「呪われてないよ! ほんとだもん!」
ゼラは甲高い声で鳴いた。
「ヘレンに来るって言うから一緒に帰ってきたんだけど、途中でグァンターレにやられた子たちがいてね。そしたらシオンちゃん、その子治しちゃったの! ノクスなしでだよ!?」
「あら、それはすごいね」
エトが耳にぶら下がった飾り物を指で揺らしながら言った。
「の、のく……?」
ゼラは困った様子で振り向こうとするシオンをさらに一歩前へ突き出す。
「魔法の勉強とか練習したことないんだって。それでこの才能、私ビビッと来ちゃったの!」
「ここで面倒を見てやれないか、とでも言うのか」
「その通り! 話が早いなー、校長は」
「こ、校長……?」
シオンは驚いてゼラを振り返った。
「こ、校長先生なんですか?」
「うん、そうだよ」
当たり前、と言いたげな微笑みが目の前にある。
「シオン・テラス、と言ったか」
「ひっ、はい……」
校長は机の上に肘をついて手を組み、その向こうからじっとシオンを見ている。その威圧感にシオンの膝が震えた。
「騒がしいやつとの旅は疲れただろう。とりあえず、そこに座るといい」
「えっ」
校長は組んでいた手を解いて立ち上がると隣の小部屋につながる扉を引いた。
「紅茶は飲めるか。もしよければ淹れよう」
「の、飲んだことないです……」
「え、ないの!?」
目を大きく見開くゼラ。
「なら、試してみるといい」
校長はそう言い残して小部屋に消えていった。ゼラは目を細めながらシオンの手を取って並んでソファに腰を下ろした。
「怒られるって思ったでしょ」
「はい、殺されちゃうのかなって」
「あはは、そんなことしないよ。怖いのは顔だけ」
「ゼラはやんちゃしまくっていっぱい怒られてるけどねぇ」
エトが後ろから顔を出す。
「うるさいなぁ」
頬を丸く膨らませるゼラに笑いながらエトは向かい側のソファに座った。
「シオンちゃんはどこから来たの?」
エメラルドのような透き通ったエトの瞳がシオンを捉えた。左頬に三本、赤い線の模様が縦に走っている。シオンはその雰囲気に圧されながら喉を絞った。
「オルカ地方の山奥の集落です」
「私と会ったのルーガだったからそれよりもずっと西の方だよね」
「へぇ、そんなに遠くから。長旅だったね」
小さくなっているシオンに笑みが溢れるエト。
「都会、緊張する?」
シオンは目を泳がせながら少しだけ頷いた。
「可愛いねぇ」
奥の扉が引かれて校長が戻ってきた。手に持ったトレイには三つのティーカップが乗っていた。白い湯気が立ち上っている。
「アールグレイという紅茶だ。最初のうちは味よりも香りを楽しむといい」
シオンの前にティーカップが置かれた。秋の葉を宝石にしたような澄んだ色。その色の目を持つ魔法使いをシオンは知っていた。
「私の分は?」
その魔法使いが顔を上げて校長に聞いた。
「売り切れだ」
「絶対、嘘」
「僕の分、飲んでいいよ」
エトはいじけるゼラにティーカップを譲った。わかりやすくその顔色が明るくなる。
「自己紹介がまだだったな。ヘレン魔法術大学校校長のフェルク・レイアだ。こっちは理法術科教師のエト・レルト。魔法研究の第一人者でもある」
「エトでーす」
シオンは未だ視点が定まらず目を泳がせていた。
「まず聞いておきたいのだが、君は魔法使いになりたいと思っているんだね? もし、その気がないのにゼラに勝手に連れて来られたのなら、正直にそう言ってくれ」
「な、なれたらいいな、とは思ってます」
「半ば強引に勧誘されたのか?」
「強引ってほどでは……」
シオンは先の見えない闇の中を手探りで進むように恐る恐る答えた。
「ここのことはなんて説明された?」
「魔法使いになれる場所、とだけ」
フェルクはため息をついて眼鏡を押し上げた。
「間違ってはいないが……ゼラ、お気に入りの子を見つけてはしゃぐ気持ちはわかるが、連れて来るならしっかり説明をしてから連れて来なさい。私も暇ではないんだ」
「で、でもぉ」
「返事は」
「……はぁい」
ゼラはひしゃげて小さくなった。その様子も次のフェルクの言葉の後には消え失せる。
「まあ、せっかく来てくれたんだ。魔法使いになる方法くらいは説明しよう」
「いいの!?」
「お前がこうやって人を連れてくるなんて初めてだからな」
一枚の紙が奥の机の脇の棚から流れてきてフェルクが手を差し出したテーブルの真ん中に着地した。その紙は何かの説明図のようだった。
「まずここがどこかという話から。ここはヘレン魔法術大学校"Helian Sologic Campus"。この国で最も大きな魔法学校だ。ここで魔法を学び無事に卒業することができれば、魔法省が認定する魔法使いになることができる。その他にもなり方があるにはあるが、ほとんどは魔法学校から魔法使いになる。そこの黄色い魔法使いもここの卒業生だ」
ゼラは元気に頷いた。
「ただ魔法学校は誰でも入れるわけではない。魔法使いとしての素質があるかどうかを判断するための入学試験がある」
「入学、試験」
フェルクは頷いた。
「学科試験と技量試験。全員平等に受けなければならない」
シオンは不安そうにゼラの方を向いた。
「シオンちゃんなら、大丈夫」
フェルクはゼラの方に一瞬目を流してから、手を組み直してシオンに目を戻した。
「初等教育は受けているね?」
「山奥の小さな分校ですけど……」
「十分だ。であれば学科試験は心配いらない。ただ、技量試験の方はかなり才能に左右される。受けてもらうのは自由だが、入学するべき素質でないと判断した場合には容赦なく落とす。ゼラの推薦があってもだ。それでも、いいか」
「おっけー!」
元気よく返事をしたのはゼラだった。
「私が絶対受からせてみせるから、任せて! シオンちゃんは落ちることなんて考えなくていいよ」
「言ったな」
棚からもう一枚紙が飛んできた。
「これが入学願書。技量試験は法術杖の顕現、それだけだ。その他心意気や精神的素質を見る。用意しておくように」
「楽勝じゃん。シオンちゃん合格おめでと」
「え、えぇ……?」
フェルクは立ち上がって机の方へ戻っていった。
「魔法や魔法使いのあれこれはその黄色い頭に聞きなさい。どんな魔法使いになりたいか考えるのに知識は必要だ」
「黄色い頭って……」
ゼラは指で髪先を弄る。
「私から話すことは以上だ。健闘を祈る」
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