第2話
その日、オリヴィア・スカーレットは死にかけていた。
仲間から餞別として渡された金銭を早々に使い果たし、食料に費やせるお金が一銭たりともなくなってしまったのである。
その結果、もう二日間はまともな食事をしていないという、彼女からしてみれば地獄としか言いようのない状況が生まれたのであった。
そのため、契約金なしで受注できる簡単な薬草採集のクエストをこなして日銭を稼ごうと考えたオリヴィアだったが、ダンジョン内でついに空腹が限界に達してしまったのだ。
「うぅ、おにぎり、もやし、ハンバーグ、もやし......」
なぜかもやしに対して熱いラブコールを送りながら、彼女はダンジョンの中をふらふらと進んでいく。
普段は18歳相応の容姿をしており、大人しくさえしていれば一応銀髪美少女と言えなくもない彼女であったが、刀を杖代わりにして歩いている今、彼女の銀髪は老化現象によるそれにしか見えなくなっていた。
(私は有名な冒険者にならなきゃいけないのに、こんなところで.......せめてもやしがあれば)
オリヴィアがかすみゆく視界の中でもやしを想った、その時だった。
「ゲコッッ!!」
岩場の陰から、二本の角を生やした巨大なカエルのような魔物がオリヴィアめがけて飛び出してきた。
魔物が近づいてきているにも拘わらず、空腹のせいで、それに気づいてすらいないのか、オリヴィアは未だに刀を杖代わりにしてよろよろと歩いている。
そんな彼女を捕食しようと、魔物はその舌を彼女に向って伸ばす。50センチ、30センチ、10センチ、5センチと、ほぼ彼女の眼前まで迫る舌。
「ぐげッ」
しかし、その舌が彼女の身体に触れる直前、魔物の体は縦に二つに裂け、情けない断末魔だけが洞窟内にこだました。刀を鞘から抜いた瞬間すら見せないその早業は、流石は元Aクラスパーティーの冒険者といったところだ。
「なんだ、エビルツノガエルか」
絶命しているはずであるのに、まだ微かに動く魔物の死体を見つめながら、オリヴィアが呟く。
エビルツノガエルは、ダンジョンの最も浅い階層によく出現するいわゆる”初心者向き”の魔物だ。とは言えども、魔物は魔物なので、まだ経験の浅い初心者がこの魔物に捕食されたり、毒のある外皮に直接触れてしまい大けがを負ったりといった事故もたびたび起こっているようだ。
いつもならば、体内で生成されている魔石を取って、後は放置するような魔物であったが、この日のオリヴィアは、それ以外の部分に目が行っていた。
断面から見える桃色の肉。普段であれば、それを見たとて食欲が煽られることなど絶対にありえないが、なにしろ二日間は何も食べていないという極限状態である。
「......鶏肉」
オリヴィアの口元には微かによだれが垂れ始めていた。
(だめだだめだ、魔物を食べるなんて)
彼女は頭をぶんぶんと振り、誘惑を振り払う。
この世界においては、魔物を食べることは一種のタブーとされている。これは特に科学的根拠がある話という訳ではないが、『魔物を食べると呪われる』という一種の呪い信仰のようなものが社会全体に強く根付いているのだ。
それは、わりと何でも見境なく食べるタイプのオリヴィアであっても、例外ではないようだ。
(しっかりするんだ私)
オリヴィアは、刀を鞘から抜いた。
(こいつは魔物、それもほぼカエルみたいなやつだぞ)
オリヴィアは、刀を振るった。目にも止まらぬ速さでカエルの体が捌かれていく。
(いくら空腹だからってこんなゲテモノを食べるなんて)
オリヴィアは、手を合わせた。目の前にはまるで刺身のように薄く切られたカエル肉が並んでいる。
(そんなことありえない!!)
「はむッ......美味いッッッ!!!!」
オリヴィアは身を震わせながら、その喜びの全てを叫んだ。
(何もつけていないはずのに、ちゃんと味がする!? 身が程よく引き締まっていて、甘味とうま味をはっきりと感じる。新感覚だ、これは......止まらない!!)
さっきまでの葛藤はどこへやら、一口目さえ行ってしまえば後はどうとでもなれと言わんばかりに、彼女はカエル肉の刺身をぱくぱくと口の中に放り込んでいく。
筋肉質ながらも、程よく脂の乗った肉。噛めば噛むほど、オリヴィアの口の中にうまみの詰まった肉汁が広がる。空っぽだった体が、どんどんと満たされていくのを感じていた。
(あ、そういえば.......)
その時、彼女は何かを思い出したようにアイテムバッグの中を探りだす。そして、中から白い粉のつまった小瓶を取り出した。
無論、それはヤバい粉.......などではなく、彼女が以前携帯食にかけるために持ち運んでいた塩であった。彼女は、塩を刺身に満遍なく振りかけ、それを口に放り込んだ。
「はうッ!?」
オリヴィアの情けのない声が洞窟内に響く。
調味料という最強の装備を纏い、カエル肉は、それまでとは比べ物にならないほどの衝撃的なうまみでもってオリヴィアの舌を殴りつけた。
「……あぁ、塩と肉の脂が手を繋いでくるのが見える。ダメだ、反則だぞ、それは」
オリヴィアは恍惚とした表情で天を見上げながら、弱々しい声で呟ぬ。やはり、あの小瓶に入ってたのはヤバい粉で間違いなかったらしい。
「はぁ、幸せだ」
やがて、外皮と内臓、骨だけを残し、綺麗に可食部を完食してしまったオリヴィアは、満足げな笑みを浮かべながら、しばらく寝転んでいた。
久しぶりの食事のおかげで完全回復したオリヴィアはその後、無事指定の薬草を採取しクエストをクリアした。そのついでに、帰り道の途中でエビルツノガエルを5匹平らげていたのは秘密だ。
〔※彼女は特殊な訓練を受けています。鳥刺し等はきちんとしたお店で食べましょう〕
***
翌朝、自宅のベット目覚めたオリヴィアだったが、その体には特に痛みや異変などは見られなかった。
(なんだ、魔物を食べると呪われるなんてのはとんだ迷信じゃないか)
彼女は心の中で呪いのくだらなさを笑い飛ばし、ベットから起き上がろうと手をついた、その時。
ピシュ
人差し指の先から何かが飛び出したような感覚があった。オリヴィアは慌てて、自分の手元を見る。
「え?」
白いベットシーツの上には、紫色の液体が飛び散っていた。
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