第3話


 両家はとっても仲が悪いが、領地は隣同士である。

 そのままでは余計ないざこざで民が困るということで、両家の領地の境には、王領の街がぽつんと存在する。


 わたくしがその街に辿り着いたのは、昼を少し過ぎた時間帯。思い立ってすぐ飛び出したので、侍女のマイケが半泣きでお腹を空かせている。


「ここで少し休憩しましょう。軽くお昼にして、手土産も購入するべきかしら…」

「手土産など落ちている毬栗でいいではありませんか…!」

「攻撃の意思表示しかないわ…」


 宣戦布告に来たわけではないので、それは却下である。


 侯爵令嬢として単身適地に乗り込むような真似は悪手なのだが、声を掛けてから出てきた方が物々しい護衛を引き連れることになりかねない。だってガチ敵地。


(流石に領民に石を投げられるようなことはないと思うけれど、どうやってヒルベルト様に会いましょう。わたくし本当にかの方について知らないのよね。ヒェイト一族らしく、緑の目をしていることくらいしか知らないわ)


 困ったことだ。絵姿すら手に入らない。

 手に入っても陰謀が込められていて原型がないのが前提だ。絵姿の意味。

 とにかく移動は気付かれる前に早急に。


 わたくしはなんとなく人の流れに乗って適当な食堂に入ってマイケと並んで座り、見よう見まねで注文をとることに成功した。なんだかそれだけで満ち足りた気分。ええ、ただいま大冒険中よ。

 わたくしは慰問などで外に出ている方の侯爵令嬢なのでなんとか移動できたけれど、日を跨いだ移動は経験がない。とにかく一度ヒルベルト様と顔を合わせて、今までの不誠実な対応を謝罪しないと。

 でないと何も始まらない。始まらないのだ。


「あとはヒルベルト様がご不在でないことを願うばかりだわ…」

「うう、もうお嬢様ってばそんな必死になって…」

「やだマイケ、当たり前じゃない。そんなに不満そうな顔をしないで」


 注文したボリュームたっぷりな野菜サンドイッチ。細かいニンジンをこぼすことなくかぶりつくのは至難の業だわ。どの角度から挑めば攻略可能かしら。

 なんて食事に集中していたら、後ろから攻撃された。


「だってフィロメナお嬢様があまりにも婚約者が大好きなので…」


 思わず、手にしたサンドイッチを皿に戻した。

 待って。

 待って?


「…マイケ? 今何と…」

「お嬢様があまりにも婚約者が大好きなので…」

「待って。え? わたくしが?」


 誰を大好きですって?


「突然何を言うの…?」

「だって何度も手紙を出して、諦めず交流しようと必死で。お守りするため妨害しているのにお会いしたいなんて。あちらもずっと手紙を送ってきますし、実は相思相愛なのではと使用人達の間で騒がれていたのです」

「え え え?」

「私はお嬢様が真面目で責任感の強い、素晴らしい淑女だと知っていますが…まさか会ったことのない婚約者にまで真面目に想いを寄せるとは思っていませんでした」

「な、え、な、ええ?」


 何を言っているのだこの侍女は。

 わたくしは反論しようとして、全く言葉にならず意味のない言葉を繰り返した。


「かかかかか、勘違いしないで頂戴っわたくしはただ一族のために王命を果たすべく婚約者と友好的な繋がりを持つため手紙を送っていたのであってそんな想いを寄せるなど会ったこともないのに無理な話」

「諦めず手紙を送り続けるなんて余程お気持ちが強いのだろうと」

「お気持ちがお強い!?」


 訳:根性があるな。

 誤訳:お好きなのですね…?


 わたくしは震えた。まさかそのように見られているとは思っていなかった。


「わ、わたくしは、わたくしは」


 そのとき、街の教会の鐘が鳴る。


「あら、不思議な時間に鳴りますね。結婚式でもあったんでしょうか」


 教会の鐘は基本的に三時間ごとに鳴り響く。しかしこの小さな街では、祝い事があれば幸せを願って鐘を鳴らす習慣があるらしい。

 そう、結婚式とか。

 結婚式。

 結婚。

 …今から結婚相手に会いに行く。


(そんな意識全く無かったわ…!)


 とにかく一度でも謝罪をしないといけないという危機感しか抱いていなかった。


(しまった…そうよ、婚約者だもの。結婚相手だわ!)


 その認識すら危うかった。


(そしてわたくし…周囲から見ると、そんなに相手に懸想しているように見えていたの…!?)


 周囲の邪魔を掻い潜り、なんとか婚約者と手紙のやりとりを願う令嬢の姿は、健気に相手を慕う少女にしか見えていなかったらしい。

 そんなことも知らず、誰にも言わず家を出たフィロメナ。

 果たしてその姿は、家の者…いや、一族にはどう映っているのか…。


「わ、わたくしは…ただ務めを果たさねばと思っただけで――!」

「あ、お嬢様! お嬢様ァ――!?」


 わたくしは思わず席を立って走り去った。手つかずのサンドイッチと油断していたマイケを残して。


(ああ! 恥ずかしい。恥ずかしいわ!)


 わたくしは首を竦めて身体を小さくしながら小走りに街の中を歩き回っていた。

 急に飛び出して悪いことをした。混乱して思わぬ行動をとってしまったが、護衛もいないのに歩き回るわけにはいかない。

 大変恥ずかしいが、念のためにはぐれたときの集合場所を決めていて良かった。


(そう、街のどこにいても見える教会の鐘。あれを目指して進めば必ず教会に辿り着くから…)


 わたくしは子供のように飛び出してしまったこと。そして周囲の勘違いに羞恥を覚えながら、青い空に浮かぶ教会の鐘を目指して歩を進めた。


 そして辿り着いた、こぢんまりとした教会。

 十人ほどしか入らない小さな礼拝堂。けれど周囲を囲う庭は見事で、道に沿って植えられているコスモスが見頃で美しい。恐らく季節によって花が違うのだろう。街の人たちのこだわりが感じられた。


(美しいけれど、先程の鐘は何だったのかしら。祝い事があったようには見えないけれど…)


 そう思っていたら、再び鐘が鳴らされた。

 わたくしは鐘の音に導かれるように、顔を上げた。

 軽やかに鳴る鐘。青空を羽ばたく鳩の姿。

 こぢんまりとした教会…その扉から出てきた、黒い髪を靡かせた、緑の目をした男性。

 わたくしの視線は吸い寄せられるように、かの人へと向かっていた。


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