第2話
「このままではいけない!」
俺は焦燥感を胸に、何も書かれていない手紙を持ったまま立ち上がった。
「そうですねー」
控えている侍従のヨウプが、緊張感のない適当な相槌を返す。こちらの気も知らず呑気なことだと睨み付ければ、へらりと笑われた。
「いくら何でも…婚約者の家と仲が悪すぎる!」
俺はヒルベルト。ヒルベルト・ズワルトヒェイト。
背中まで流れる黒髪に、深緑の目を持つ由緒正しきズワルトヒェイト侯爵家の嫡男だ。
――元々はこの国の公爵位であったヒェイト家は、その昔大規模なお家騒動から爵位を降格された。その流れで分家が力を持ち、二つの家は今も激しく対立し合っている。
その本家がズワルトヒェイト。分家がウィットヒェイト。
ちなみにウィットヒェイトでは全くの逆。あちらが本家でこちらが分家と言われている。
お互いの家こそ本家と主張しているので、結局の所どちらが正しいのかわからない。それ程昔のことで、未だに頑なに争っている両家は王家も頭を抱える程だった。
貴族達の団結を乱すという理由から、とうとう王命が下された。
『長く続く争いを無くすため、両家の嫡子の婚姻を命ずる』と。
内乱を起こしたいのか。
長きにわたり衝突し合った両家がそう簡単に手を取り合えるものか。案の定、ズワルトヒェイト家では宿敵の家から嫁を取るなど断固反対と声が上がった。
しかし王命に従えば嫁を取った家が本家と認められる。そして該当するのが俺と、ウィットヒェイト家のフィロメナ嬢だった。
宿敵の娘など、娶りたくはない。きっと愛のない夫婦とやらになるだろう。しかし女性をあからさまに追いやって冷遇するほど、心が狭い男になるつもりもない。
とにかく婚約者として、最低限の交流は持つべきだろうと俺は筆を執り…。
「嫁に迎えたくないからと、やることが姑息すぎるだろう!」
本当に姑息だ。姑息すぎる。
宿敵の娘が嫁いでくるのを妨害したい親族が、一丸となって婚約者との仲を妨害してくる。
おい、王命の意味を調べ直せ。
最初は「気の所為か…?」と首を捻っていたのだが、それが続けば確信に変わる。
「このままでは、あまりの不義理にこちらの有責で婚約破棄されてしまう…! そんなことになれば自分たちの行いなど知らぬふりで相手を責め立て、平気な顔で令嬢の悪評を並べ立てるに違いない…!」
昔から敵対しているとはいえ、同じ国の同じ王に仕える貴族だ。同じ方向を向き手を取り合わねばならないのに、先頭に立って足を引っ張り合っては示しが付かない。今まで静観していた王家が介入してくるのも遅いくらいだ。どれだけ忠告しても変化が見られなかったので、業を煮やしたとも言う。
昔の因縁が付き纏って、小さないざこざが降り積もり、両家の中は壊滅的だ。そもそも歩み寄りを見せる姿勢すらとれなかったのだから余程だろう。
(相手が譲歩して嫁いでくるのだ。懐の広さを見せて受け入れれば、こちらが本家として国にも受け入れられるというのに…)
むしろ念願叶って本望だろうに、それを叶えるのが宿敵の娘というのが気に入らないのか。
そんな卑しい感情で、王命による婚約を邪魔するべきではないというのに。
「くそ、今日もまた手紙が処分された…!」
「懲りませんね~」
俺が「こちらの不義理で婚約破棄になる」と焦燥感を覚えているのは、主にこれが原因だ。
婚約してから一度も顔を合わせたことのない婚約者。流石に顔くらい合わせるべきなのに、一度も合わせていないのは訳がある。
そう、会おうとはしたのだ、一応。
そのため手紙を書いて…全く返事が来なかった。
元々同じ家だったこともあり、両家の領地は隣同士。その境界に両家の衝突を防ぐため王領となった街があるが、手紙を届けるだけなら一日もあれば辿り着く距離。
だというのに、手紙が返ってこない。
つまり結婚相手だろうと顔を会わせる気はないと言うことか…と苛立ちと不満を抱いていたが、使用人が焚き火にぽいっと手紙を放り投げているところを二度見してしまった。
目が合った使用人は、晴れ晴れとした笑顔で。
「ご安心ください! 我が侯爵家に寄生する害虫は消毒していいと奥様が許可くださいました!」
何処目線だ!?
(待て待て待ていつからだ? いつから消毒されている? 何通目だ!? それによって俺は会いたいと手紙を送っていながら日時を決めない口先だけ口説いているような不義理な男ということになり…そんな無責任な行いが許されるとでも――!?)
俺は慌てて手紙を書いた。宿敵だろうと関係ない。むしろ宿敵だからこそ、相手に付け入る隙を与えてはならないというのに。
だというのに。
「直接もってこいと何度言っても手元に届かないとはどういうことだ!」
「会う前から冷遇嫁になってますね~」
「断罪されたいのか!」
まさかの一年間、何通も手紙を送っているのにヒルベルトの手元に相手からの手紙が届かない罠。
返信がないわけではないのだ。返信はあるのに、親族総出で妨害しているのだ。
紙はよく燃える。インクは水で滲む。うっかり切り刻まれたり山羊の餌にされたりして全く手元に届かない。
「一体俺は何度『先程の手紙のご用件は何だろうか』と書けばいいんだ…!」
「腱鞘炎になっちゃいますね。これ貼りますか?」
「湿布を用意するな!」
俺は頭を抱えた。同じ用件の手紙ばかり送って、宿敵ウィットヒェイトではズワルトヒェイトの嫡男が残念だと思われていないだろうか。
直接顔を合わせて謝罪や弁明を行いたいが、その調整すらできない。だって手紙が届かないから。手紙の内容が確認できないのだ。日時を問うても答えがわからない。
(ああ…! このままでは一度も顔を合わせることもなく、婚約が破棄されてしまう…!)
王命といえど、これだけの不義理な対応をしていればその意思なしと判断されてしまいかねない。そうなれば笑われるのはズワルトヒェイトだ。それがわからぬ親族ではなかろうに、宿敵の娘を嫁に迎えたくないと意固地になっている。
本当に身内が敵。
負けてはならぬ。ここで負けたら泣くのも身内。
(何より俺が娘一人迎え入れられない甲斐性なしと思われてしまう…娘一人に会うだけでこれほど苦労するものか? 俺は一体どうしたら…)
手紙を出そうとして広げた何も書かれていない用紙。貴族らしく手紙には透かし絵が施されていて、雄々しく走る馬が描かれている。
(煮詰まっている。いっそのこと乗馬でもして、遠乗りに出掛けるか…ん?)
俺は自室の窓から外を見た。
そう、手紙のやりとりは一日あれば十分。人の移動だって、馬車なら一日で移動可能な距離なのだ。
貴族の礼節として予告もなく相手の屋敷を訪ねるのは無礼だと、そう思っていたけれど。
「…こうなったら直接赴くか」
「お?」
「そうだ。気付かれたら面倒だからこいつ一人連れて…」
「あっ逃げられない」
俺は何も書かれていない手紙を引き出しに戻し、面倒だなぁと顔に書いてあるヨウプを振り返り。
「ウィットヒェイト侯爵家へ行くぞ!」
腹の底から宣言した。
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