婚約したのに手紙が届かない、二人
こう
第1話
「このままじゃいけないわ!」
わたくしは危機感を胸に、羽根ペンを片手に持ったまま立ち上がった。
「何がですかフィロメナ様」
控えていた侍女のマイケが、困ったように眉を下げながら問いかけてくる。
その顔、わかっているわね。わかっているけれど何もできなくて困っているわね。
わかっているからこそ、わたくしは敢えてはっきり口にした。誰もが口を閉ざしている問題点について。
「わたくしと婚約者の家の仲が悪すぎるわ!」
わたくしはフィロメナ。フィロメナ・ウィットヒェイト。
癖のある黒髪に、緑の目をしたウィットヒェイト侯爵家の長女。
跡取りの八つ年下の弟と、十離れた妹の三人姉弟。
そんなわたくしの婚約者は、ヒルベルト・ズワルトヒェイト侯爵令息。
我がウィットヒェイト家の宿敵、ズワルトヒェイト家の嫡男だ。
――元々はこの国の公爵位であったヒェイト家は、その昔大規模なお家騒動から爵位を降格された。その流れで分家が力を持ち、二つの家は今も激しく対立し合っている。
その本家がウィットヒェイト。分家がズワルトヒェイトである。
ちなみにこれ、ズワルトヒェイトではあちらが本家、こちらが分家として語られている。
お互いの家こそ本家と主張しているので、結局の所どちらが正しいのかわからない。それ程昔のことで、未だに頑なに争っている両家は王家も頭を抱える程だった。
貴族達の団結を乱すという理由から、とうとう王命が下された。
『長く続く争いを無くすため、両家の嫡子の婚姻を命ずる』と。
意固地がぶつかり合えば戦争になると知らんのか?
そんな無茶のある王命を受け、宿敵であるズワルトヒェイトの嫡子と婚約したのがこの
王命が下された直後は親族も両親も弟妹も大いに嘆いてくれたけれど、わたくしが犠牲になることで両家の軋轢が少しでも減るのなら…と、悲劇のヒロインのような気持ちで婚約を受け入れた。婚約当初は、本当にそんな気持ちだった。可哀想なわたくし輝いていると思ったかもしれない。
しかし。だがしかしだ。
「一族一丸となって進展の邪魔をするのはいただけないわ…!」
本当に邪魔してくる。
弟妹の愛らしい妨害はともかく、両親の苦渋に満ちた妨害も問題だが、一族一丸で邪魔してくるのはいただけない。
おい王命の意味を考えろ。
一度や二度は「みなさん、わたくしのために…」なんて考えたお花畑の自分が恥ずかしい。
婚約が成立して一年。顔合わせどころか手紙のやりとりすら満足に行えないのはどういうことだ。
「このままじゃこちらの不誠実さで有責となって婚約破棄されてしまう…! そんなことになったらこちらの行いを棚に上げて一族が総出でブーイングすること間違いなしよ! 軋轢を無くすどころか溝を深めてしまうわ!」
「我が一族のお姫さまを宿敵に嫁がせるわけにはいきませんからね…」
「理解を示さない! わたくしたちの婚約は王命なのよ!」
昔から敵対しているとはいえ、同じ国の同じ王に仕える貴族だ。
同じ方向を向き手を取り合わねばならないのに、先頭に立って足を引っ張り合っては示しが付かない。今まで静観していた王家が介入してくるのも遅いくらいだ。どれだけ忠告しても変化が見られなかったので、業を煮やしたとも言う。
昔の因縁が付き纏って、小さないざこざが降り積もり、両家の中は壊滅的だ。そもそも歩み寄りを見せる姿勢すらとれなかったのだから余程だろう。
(いい機会…だとは思うのよ。元々一つの家だったのだから、これを機にわたくしたちの婚姻先を本家と定めてしまうのは…こちらが嫁ぐ、という形になるのが気に食わないのでしょうけれど)
嫁いだ先を本家と定めるということは、向こうの言い分を肯定する結果になるのでウィットヒェイト家としては納得がいかないのだ。
だからといって、王命による婚約を邪魔するのは良くない。
「ああ、今日もまた手紙が処分されたわ…」
「間に合いませんでしたねぇ…」
わたくしが「こちらの有責で婚約破棄される」と恐れているのは、主にこれが理由だ。
婚約してから、一度も顔を合わせたことのない婚約者。合わせたくもなかったけれど、婚姻の決まっている相手だ。
少しでも歩み寄ろうと、わたくしは筆を執って手紙を書き…数週間返事が来なかった。
元々同じ家だったこともあり、両家の領地は隣同士。その境界に両家の衝突を防ぐため王領となった街があるが、手紙を届けるだけなら一日もあれば辿り着く距離。
だというのに、手紙が返ってこない。
つまり宿敵の婚約者と交流するつもりはないのね…と不満と悲しみを抱いていたわたくしは、使用人がぽいっと暖炉に手紙を放り投げるところを見て二度見してしまった。
二度見したわたくしに、使用人はとってもいい笑顔。
「安心してくださいお嬢様! 奴らからの手紙など確認しなくて大丈夫と旦那様がご英断されました!」
英断じゃなくて愚断でしょ――!?
(ちょっと待っていつから? これが初めて? それとも何度も手紙が来ていたの!? 何度も来ていたのだとしたら、わたくしは自分から手紙を送ったというのにその後返事をしない不誠実な婚約者…そんな無責任な行い許されないわ――!!)
わたくしは慌てて手紙を書いた。宿敵だろうが関係ない。むしろ宿敵だからこそ、相手に隙を与えてはならない。
だというのに。
「あれほど燃やすなと言っているのに手紙が一つもわたくしの手元に届かないとはどういうことなの!」
「皆さんフィロメナ様がお相手に傷つけられないよう必死なのです」
「今私は身内の対応に傷ついているわ!」
まさかの一年間、何通も手紙を送っているのにフィロメナの手元に相手からの手紙が届かない罠。
返信がないわけではないのだ。返信はあるのに、一族総出で妨害しているのだ。
紙はよく燃える。インクは水で滲む。うっかり切り刻まれたり山羊の餌にされたりして全く手元に届かない。
「わたくしは何度、『先程の手紙のご用件は何でしょうか』と書けばいいの…!」
「ここで一旦諦めるのも肝心では?」
「唆さないで!」
わたくしは頭を抱えた。同じ用件の手紙ばかり送って、宿敵ズワルトヒェイトではウィットヒェイトの娘が痴呆だと思われていないだろうか。
直接顔を合わせて謝罪や弁明を行いたいが、その調整すらできない。だって手紙が届かないから。手紙の内容が確認できないのだ。日時を問うても答えがわからない。
(ああ…! このままでは一度も顔を合わせることもなく、婚約が破棄されてしまう…!)
王命といえど、これほど不誠実な対応をしていればその意志なしと判断されても仕方がない。そうなれば笑われるのはウィットヒェイトだ。それがわからぬ親族ではなかろうに、あちらの言い分を認めてはならぬとフィロメナの嫁入りを妨害している。
本当に身内が敵。
負けてはならぬ。ここで負けたら泣くのも身内。
(大人はともかく、子供たちが笑われるような結果になってはいけないわ…わたくし一体どうしたら…)
羽根ペンを持ったまま頭を抱えていたわたくしは、いっそ鳥になりたいと現実逃避した。鳥になれば、何にも囚われず自由に飛び立てるのに…。
(自由に…飛び立てる…飛び立ってしまえばいいのでは?)
わたくしは自室の窓から外を見た。
そう、手紙のやりとりは一日あれば十分。人の移動だって、馬車なら一日で移動可能な距離なのだ。
貴族の礼節として予告もなく相手の屋敷を訪ねるのは無礼だと、そう思っていたけれど。
「…こうなったら直接会いに行くしかないわ」
「えっ」
「そうよ、お父様たちに邪魔されないように家の馬車はでなく街馬車を使用して…ええ!」
「フィロメナお嬢様…?」
わたくしは羽根ペンをペン立てへ戻し、困惑しているマイケを振り返り。
「ズワルトヒェイト侯爵家へ行くわ!」
拳を握って宣言した。
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