第2話

「へぇ、それでそんなに嫌そうなんだ?」

「嫌にもなるだろう、僕は幸せな結婚を望んでいないし」


 と、ラウンジの一席で定期報告の承認を待っている間に他愛もない会話をする。

 相手──リオスは、魔術によって動く道具、魔導具を扱う魔導具師だ。僕らのような魔法薬師との提携はよくある事のため、こうして彼と話す事も少なくない。

 故にぽろりと、ドレスを買いに行く事を雑談の延長でこぼしてしまった。


「僕はこの国の社会上嫁ぎ遅れと言える年齢で、そもそも僕自身に魅力が無い事は僕の通り名と現状が証明している。それに、継承権を放棄している僕に旨味もない。子爵家の万が一の時にこの身を売ろうとは思うが、この条件では幸せは無いのが当たり前だろう?」

「それが当たり前かどうかは僕にもさっぱりかなぁ。まぁお金だけの関係ならそういう事もなくはないんだろうけど、別に確定してる訳じゃないし」

「当たり前と思って然るべき……いや、この議論はここまでにしよう。はっきりしているのは、僕は幸せな結婚というものを望んでいない、という事だけだ」


 ラウンジには会議室代わりに使っている魔法薬室の人間と関係者が点在している。僕達のように紅茶片手に喋っている分には怪しまれないし、会話の内容だって気にしない。報告書の承認さえ終わればリオスも仕事に戻るだろう。

 ……魔導具で淹れられた紅茶は、少し渋くて香りが平坦だ。良くはない。ただ、悪くもない。

 僕は、この紅茶と一緒だ。


「僕は、幸せを望みたくない──それはおかしな話だろうか」


 そう言うと、リオスはしばらく考えてからラウンジの職員代わりの魔導具を呼び寄せて、紅茶のおかわりとレモンの輪切りを頼んだ。

 そして、目の前にそれらを綺麗に並べてからリオスが話し始めた。


「ねぇ。幸せってなんだろう? 人間が生きているうちに量みたいなのが決められてるのかな」


 美しい所作と共に紡がれるそれは、さながら舞台役者のように自然だが少しだけ大袈裟に見える。


「不幸になる事が何かの赦しになるのは、神様がお与えになる罰からくるものだと思うんだ。不幸になる人を笑っていいのは、その人に不幸にされたとか感情が壊れちゃった時くらいでさ。贖罪っていうのとはまた違うと思う」

「……つまり、僕のこれは杞憂と?」


 そう答えを急がないでよ、とリオスが笑う。


「要は、見方とかの話。君が幸せになって祝福してくれる人は、不幸になった君にも笑うのかな」


 彼の問いにあの時の顔が浮かぶ。深い青の瞳を涙で滲ませて、亜麻色の髪が揺れる。美しくも愛らしい姿だったが、胸が苦しい光景だ。


「それは、ない。不幸を聞いて泣いてくれる子が僕にはいる」

「ふぅん? それって異性かな。だったら妬けちゃうけど」

「……義妹だよ」


 僕の両親はどちらも病で亡くなった。それも当時高価な魔法薬が必要な流行り病だった。しかし流行り病故に買う者は多く、対して供給も間に合っていなかった。故に多くの人は両親同様満足に治療は出来なかった。

 しかし、だからこそ今の僕がある。

 僕がこの地位に就いたのもその高価になる要因だった貴重な薬草の栽培化と調合時の魔術式と投入順を見直した事による功績だ。おかげでその間自分の身なりは今以上におざなりだったが。

 ……ある意味、病によって紡がれた人生だと言えるだろう。


「僕の両親があの病で死んだ事、それから僕がこの魔法薬の道に進んだ事を話した事がある。ソフィアはそんな僕に、涙を流してくれた」

「いい子だね、その子。義妹って聞くと……虐げたり逆だったりする話ばっかり聞くから、なんかそう思うよ」

「……どれだけ俗物な話を耳にしているんだか」

「情報と息抜きはひらめきの素だからね~。とにかく、今の君は不幸せである必要なんか少しも無いって事。どうせなら君も参戦したら? 王子様の婚約者争奪戦」

「断る。そんな相手と結婚する事になったら落ち着いていられない。幸せな結婚は望んでいないが、これ以上周りが煩わしくなるのはこちらから願い下げだ。なぜ私じゃないんだ、という言葉を私生活でも聞きたいとは思わないし相手もそれを払拭しようとしなさそうだろう」


 そう言い切ると、リオスは堪えきれないと笑い出した。


「第四王子ってそんな風に思われてるの?」

「第四だろうが第三だろうが同じように考えている。だからソフィアを守りたい訳だがな」


 敬称略しすぎだよ、とリオスがさらに笑い出すが、ふと、自分の発言で思い出す。


「そういえば第三王子の話は全く聞かないが、特段体調を崩しておいでだとも聞いていない。何か知っているか?」

「さぁ? 確かにあまり話題には上がらないけど。ほら、第四王子の婚約者選びの方がみんな気になるんじゃない? 君は何か気になる事があったりするようだけど」

「……いや、遠目ではあるがお見かけした事があるんだ。たったそれだけだが、ふと気になってな」


 そう、とリオスが呟くのを聞きながら紅茶に口を付ける。すっかり冷めた紅茶だ、渋さが増している気がした。


「──第三室室長、恐れ入ります。定期連絡の承認が終わりました。ご確認を」


 そう声をかけてきたのは統括室の職員だ。魔法薬師見習いとして師匠が目をかけている一人だったはずだ。

 僕は彼から報告書を受け取りながらチェーンで下げていた眼鏡をかける。視力が悪いというよりは細部まで目を通すために掛けている、ルーペ代わりだ。


「ご苦労様……統括室長は休暇日だったか」

「いえ、急に王宮に呼び出されました。副室長は申し訳ない、と」

「誰も悪くはないからお気になさらず、と伝えてくれ──それと。まずは改めて礼を。ありがとう、君の対応は非常に好感を覚えたよ。だが、姿勢が少し俯きがちだ。しっかりと顔を見せるよう堂々となさい。では、おふたりによろしく」


 は、はい、と返事して立ち去る彼へ報告書と共に渡された書類を見つつ片手を上げて応えていると、乾いた笑いが聞こえた。

 視線を上げると、案の定リオスが笑っている。


「なんだ。変な事を言った覚えはないぞ」

「いや……魔女、ねぇ。なるほど確かに、今のは魔女だねぇ」

「何を言っている?」

「何も? さぁて、冷徹さはどこにあるのやら」

「……不可解な発言をするくらいには暇なようだな」

「おー、これが冷徹かぁ」


 これ以上は何か言うと面倒そうな予感を感じた僕はため息だけ吐いて、書類を流し読み進める事にした。


(この案件は……説明の得意な彼と薬草の群生地に詳しい彼に任せて良さそうだ。こちらは第三室というよりは第四……いや、これが第四室の協力要請か。いくつか資料をまとめて、第四室の人間と仲の良い彼女達に渡そう。協力要請をするなら統括室を経由するな、と伝言も託すか)


 僕は王都に常駐している訳ではないから、基本的に部下に割り振るか、僕が研究資料をまとめて渡す事が多い。直接僕を見るのは不愉快だが研究資料だけ寄越せという魔法薬師もいるし、部下達には悪いが甘えさせてもらっている。でも第三室副室長の任は嫌がられているのは何故だろう。待遇は変わらないがその分僕の決定を待たずに仕事を進められるのに。


「……それで、リオス。君はまだ戻らないのか」

「アルテア、やっと名前呼んでくれた。今日は呼んでくれないのかなって思ったよ」

「部下達は僕に名前を把握されると怖がるから、把握してもあまり呼ばないようにしていると何度言えば分かるんだ」

「じゃあ──結婚したら、たくさん呼んでくれる?」


 資料を一旦置き、タイミング悪く飲んだ紅茶が変なところに入った。何度か咳き込んでから、リオスを見た。

 淡い金の髪をサイドに軽く束ね、いつもサングラス(彼が製作した魔道具)を掛けていても分かる顔立ちの良さ。彼の家名は知らないが、例え平民だったとしても彼の魔道具師として積み上げた功績を考えると婚約の話が出ていてもおかしくない。

 そんな彼が、今なんと?


「っき……聞き間違いか?」

「結婚してくれる?」

「僕はそもそも、結婚する予定はない」

「不幸せでいる必要は無いって僕は言ったはずだよ?」

「はぁ……これ以上は僕個人の問題だ、気にするな。だから先程のは聞かなかった事にする」


 書類を片手にまとめて僕は立ち上がる。この話は終わり、と言外に含めて。

 リオスはこうして話す相手として共にいるのは楽しいし好きだ。しかし彼の事をよく知らないし、僕は──いや。これ以上は止めよう。顔に出ても困る。


「では、僕は第三室に顔を出す。君もほどほどにして戻るように」


 アルテア、と呼ぶ声を払いのけるように歩く。職員代わりの魔導具に片付けを任せ、眼鏡の位置を直す。

 ──ああ、だから幸せな結婚なんて望みたくないんだ。


(ルカはどこにもいないと、分かっているくせに)


 ずっと探して、魔法薬師として名を上げて見つけてもらおうとして……何もなかった事をよく分かっているくせに。

 柔らかな金色の髪に屈託のない笑顔。それ以外は多分、大人になったから思い出しにくくなってしまったけど、ルカとの最後の約束は覚えている。


 ──必ず、君を迎えに行くよ。アルテア。


(彼と似た特徴がひとつも無かったら、第三王子もリオスも気にはしなかった。きっとさっきの言葉にも、割り切って頷けた)


 でも、頷けないのは。


「──……ルカ、」


 君が笑っている姿を、彼らに重ねてしまいそうなのが、嫌なんだ。

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