冷徹な魔女の僕は幸せな結婚を望んでいない

ろくまる

第1話

「アルテア、いますか?」


 こんこん、と扉が叩かれる。聞き慣れた可愛らしい声に僕はため息をついた。


「カリオペ。あと少し待てるか」

「もちろんです! 薬を作っているのでしょう?」

l

 ──両親が生きていれば、子爵令嬢として快く彼女を迎える事が出来たのかもしれないな。


(まったく。そんな事を考えても仕方ないというのに)


 変な思考を払拭しようと目の前の鍋の火を止め紅茶を用意していると、カリオペが失礼します、と入ってきた。


「カリオペ、まだ入っていいとは」

「あなたが火を止めてから数分待ちました。前にあなたが注意した事、覚えてるんですよ?」


 そうだった。ひと月ほど前に最低でもそうしてくれと言ったのだった。そして、彼女は辺境伯である父親に似て耳がいいのだという事を失念していたのはこちらだろう。


「……僕が悪かった」

「ふふ、やっぱり冷徹な魔女なんて嘘っぱちですね?」

「そんなに喋れるのなら紅茶は要らないようだな、カリオペ」


 飲みます! カラカラですもの! と椅子に腰掛けるカリオペに、ふ、と笑みがこぼれた。

 カリオペは僕がまだ令嬢だった頃からの友人だ。その頃はもう少し互いに普通の子供だったが。


「それで、今日は何かあったのか」

「アルテアに少しお願いがあるんです」

「お願い? 薬を調合してほしいのか?」


 僕は普段、魔法を使った薬──魔法薬の研究をしている。書類上では子爵を継いだ叔父の義理の娘だが、継承権を放棄した上で魔法薬師の道へ進んだ。子爵家の領地にプライベートな研究室を構え、定期的に報告をすれば良い地位にまで上り詰め、今がある。

 その間にすっかり令嬢らしさは無くなってしまったし、貴族位に当てはめると伯爵位くらいの地位まで若い女の身で持ってしまった事で周りからやっかみを受けたりと社会に揉まれたから、昔も冷たいとは言われたが更に心が冷たくなったと思う。

 ──ああ、カリオペの話を聞く前に関係ない事を考える辺り、疲れているのかもしれないな。


「うーん、薬は別に。ただ、あなたに関係する事ですよ?」


 僕に? と思わず片眉が上がる。


「子爵様から聞いてますよね? 王家主催の夜会の事」

「ああ……断っておいてくれ、と返してある」

「無理ですよ。王家主催の夜会は貴族全員参加ですよ? それにアルテアも魔法薬第三室室長なんて肩書きがあるんですから。きっと統括室長様も呼ばれてますし、後で怒られますよ」


 それは困る。統括室長──師匠はそういう時本当に体調を崩していない限りは真面目におやりなさい、と怒る方だ。「体裁を気にする」というよりは「これも頼まれた仕事なのだから」という思考だが。


「なら、モーニングコートをクリーニングしなくてはな」

「それです、アルテア」


 びし、と指を刺される。


「アルテア。ドレスを買いますよ」

「は? ……まさかお義父上」

「いーえ! これは私がいっつも思ってた事です! 確かに研究関連の式典でドレスは浮いてしまうのかもしれませんが……その、ドレスを着たって黒を選んでしまうし!」

「……無難だろう?」

「そうじゃないんですっ! 昔は淡い色だって着てたでしょう?」

「別に、僕は目立ちたいとは思っていない。それに昔と言うがデビュタントくらいの話だ」

「だとしても目立ってます! むしろ浮いてるんです! 黒のドレスかモーニングコート姿で、あんまり表に出てこないし、突っかかる相手をスパッと気持ちよく退けるから「冷徹な魔女」なんて呼ばれてるんですよっ」


 最後のは褒め言葉にしか聞こえないが、別にその通り名に困ってはいない。と考えているのはカリオペに筒抜けだろうからため息をこぼして、紅茶を飲んだ。


「アールーテーアー!」

「……着飾っても意味はない」

「もうっソフィアちゃんだってアルテアが美しかったら喜びますよっ」


 その名前に僕は思わずカリオペを見た。

 ソフィアは叔父(お義父上)の娘──つまり、姪であり義妹だ。ソフィアは叔父の前妻の子で、ソフィアがまだ赤子の頃転落事故に遭った時に発声器官を損傷した。治癒魔法でも赤子の大きさでは高度な技術が必要かつ迅速な治癒ですら障害を残る可能性の高い事例だったので、彼女は二度と喋る事が出来なくなってしまった。

 しかし、母親の命と自らの声を引き換えに生還したのは「奇跡だ」としか言いようがない、と言われるくらいには凄惨な事故だったそうだ。今の僕もそう思う。

 そんな義妹は心優しく、8つ離れた僕をよく慕ってくれる。僕と10離れた義弟の事もよく見ているし、とてもいい子だ。


「だが、ソフィアは社交界には」

「その夜会をデビュタントにするんですって。アルテアがお仕事頑張ってるんだから自分も頑張りたいって理由だそうですよ?」

「ああ、あの子も子爵家の子供だから……っ」


 思わず手で顔を覆ってしまった。ああ、我が家の性分というものが憎らしい、と思いながら。

 我が子爵家は両親も叔父も僕も、良く言えば好奇心旺盛、悪く言えば動いていないと落ち着かない性分だ。僕自身、専門外の事まで知識を広めているのもこの性分のせいだ。そのおかげで師匠に目をかけられここまで来たが。


「あの子は紅茶か翻訳方面に突っ走るものと考えていた」

「あの歳で母国語以外に3カ国語を熟達しているのですもの、むしろ嫁にと請われてもおかしくない話ですよ」

「っ、第四王子妃候補か……! だから全員参加、あの子も社交界へと?」


 カリオペはこくりと頷いた。


「ああ馬鹿らしい……っ子爵位では選ばれないだろうに!」

「それは分かりませんよ? 優秀であれば爵位なんて関係ありませんし、必要とあれば辺境伯が後ろ盾になりますし」

「ソフィアに……あの子には酷な世界だぞ」


 無理だとは言わない。器量良く卒なく王子妃教育をこなすだろうとは思う。しかし話せないというのは大きな、あまりにも大きな隙が出来てしまう。

 王家が彼女の言葉を一言でも許さなくなれば、すぐに孤立してしまう。ひとりでもソフィアを軽んじれば誰も助けの声を聞けない。

 激しい荒波の中を腕一本で泳ぎ切らねばならないような、そんな世界が待っている。


「可能性のお話です。でもその可能性を少しでも減らせるのが、あなたです。ソフィアちゃんの隣にいつもと違うあなたがいれば──分かりますね?」


 僕を認識する人間が増え、ソフィアに近寄らなくなる。


「本当に、便利な通り名持ちだな僕は」

「そういう事ですから、4日後の定期報告の後に行きますからそのつもりで! いいですね?」

「定期報告の日程を君に伝えた記憶はないんだが」

「ふふん、辺境伯家の情報網を舐めない事ですね」


 考えられるのは子爵家の御者だろう、毎月この日に貸してもらえるよう叔父に伝えているしな。しかしこの西の辺境を治めているのは辺境伯に他ならない、傘下の家の事情くらいすんなりと手に入れられるのだろう。


「アルテアを夜会で一番の美女にしてみせますからね!」

「──僕は嫁ぎ遅れだぞ?」

「関係ありませんから!」

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