第4話親衛隊の腹の内

それは古来より語られているおとぎ話よりも、遥かに稚拙な茶番であった。騎士団長子息のエリック、宰相子息のヴィクトル、魔術師団長のルネは、胸の奥深くへ澱のように溜まった気怠さを周囲に気取られないよう、必死になっていた。


具体的には、この茶会の主催者である公爵令嬢・アデールと、その婚約者である王太子ルシアンに、気怠さを気取られないように。


シャルダン家自慢の庭園には秋口の爽やかな風が通り、穏やかな陽射しが降り注いでいた。しかし、アデールが主催するこの「非公式の茶会」は幾度も幾度も繰り返されてきた催しだ。参加するメンバーも、開催する場所も同じ。本来であれば多忙であるはずの王太子ルシアンと、アデールお気に入りの美形貴族達。即ち、エリックにヴィクトル、ルネの3人だ。この景色はもはやマンネリと化していた。


ここで出される紅茶はとびきり高級で美味だが、それでなお3人は憂鬱なまま。くわえて言えば、菓子は屋敷で働く一流の料理人が作ったものでもなければ、国内有数の高級パティスリーから取り寄せたものでもない。アデールの手作りだ。


菓子作りを趣味とするアデールのパウンドケーキは、なるほどなかなかの美味ではあった。しかし、その道のプロが作ったケーキだのクッキーだのパイだのを食べ慣れている貴族令息達の舌を、完璧に満足させるには至らなかった。


そもそも非公式の茶会で親しい友人を相手にしているとはいえ、彼らが客人であることには変わりない。客人に、自身の手作りの菓子を嬉々としてへ出すのは礼節に欠ける行為ではないのか。客人のみならず、一流の料理人やパティシエに対する敬意もいささか欠いているのではないか。そう指摘した屋敷の料理長は、わずかな退職金を握らされ解雇されたという。


そんなアデールの本性を少し前より知っていた3人であったから、適当な頃合いを見てさっさと帰宅したいと考えていた。しかし、アデールもルシアンも自分達の世界に入っている。下手な刺激は禁物だ。


「本当に、君は美しいな。完璧な君を他の男の前に晒すくらいなら、俺がその男どもの目を残らず潰してやるのに」

口元をフッと緩め、出来の悪い耽美小説のような台詞を吐くルシアン。


「まぁ、ルシアン殿下……氷の貴公子と呼ばれる貴方様に、そんな情熱的なお顔があっただなんて」


美しく有能で高貴な男性の愛を一身に受けること。アデールが望むのはそれだけだ。その結果、相手がどんな修羅へ変貌しようとお構いなし、というより自身への溺愛が元で相手が修羅と化すのであれば、彼女にとってはそれこそ至上の悦びであった。

それだけ深く、自身が溺愛されている証明になるのだから。


なお始末の悪いことに、アデールは見目の良い他の貴族令息を侍らすことに腐心していた。婚約者、それも王太子という身分のある相手がいながら、だ。いくら理想の婚約者に溺愛されようと、それだけでは満足しきれなかったらしい。


「公爵令嬢として、王太子妃として、見識を広めるためですわ。そのためには『お友達』と積極的に交流しなくてはなりませんもの」


態度だけは凛と美しいアデールは、言い訳にもならない言い訳を恥ずかしげもなく披露した。ルシアンはルシアンで、「アデールが俺だけを見てくれているのは明白だ。他の男はあくまで友人、俺達の間に付け入る隙はどこにもないし、間違いなど起こるはずがない」と断言し援護射撃。


そんな有様であったから、2人の身近な家臣達は頭を抱えるか嘆息するか、あるいは陰で嘲笑する始末だ。


「たまには同性の友人達を招いてはどうか」

「令嬢達とのネットワークを強めておくのも有効打ではないか」

そんなやんわりとした意見に対し、アデールは火がついたように癇癪を起こした。


わたくしがいつもいつも、異性の友人ばかり優遇していると言いたいの。


淡い色をした、美しい金髪を振り乱して怒り狂う。目は血走って吊り上がり、鼻の穴は大きく膨らみ、ほうれい線がくっきりと出て、月の女神と讃えられた容貌は癇癪でいとも簡単に崩れてしまっていた。


とはいえ、アデールのお友達とされたエリックにヴィクトル、ルネとて、いつまでもアデールに侍るつもりはなかった。アデールの頭の中でだけ成立する、完璧なハッピーエンドの登場人物に甘んじるなど。


アデールを愛し慕い、崇めることしか許されていないと思われた彼らだったが、それなりに長い時間をかけて恋愛脳全開の呪いから解放されつつあった。

その理由は単純明快、「恋が冷めた」。それだけだ。


すでに婚約者のいる女性のそばに侍り、自身の婚期を逃すような真似をすれば末代までの恥、それどころか自身がその末代になる可能性もあるのだ。


高位貴族子息としての役割を果たす。そのためには、いつまでもアデールを取り巻く親衛隊でいるわけにはいかない。


一時は、3人共真剣にアデールに恋をしていた。恋が報われなくともアデールを想い続け、そばにいようと。自分達であれば、そんな幸せな結末を歩めると。家督を継ぎ、「アデール以外の女性」と結婚して子を成し、ゆくゆくは子供たちへ家督を継承する……そんな貴族子息としての使命を、アデールのためなら捨てられると本気で考えていた。


しかし結局それは夢物語であり、そこらのおとぎ話よりもはるかに稚拙で非現実的な考えであった。そのことに気付かされたのは、アデールのお姫様気質や異様な独占欲が顕になってからだ。自身以外の女性が少しでも称賛されると不機嫌になったり、他の令嬢の家柄が格下とみるやみだりに家格を振りかざしたりと、アデールが行なっていた行為はけして褒められたものではない。


さらにいえば、貴賤結婚や一代貴族の物語を非現実的だと嘲笑するそばで、自身は複数の異性を侍らせている。

自分のためなら麗しい異性達が貴族の使命も責務も何もかも捨て、そばにいてくれると信じている。貴族の責務の重さなら、彼女自身もよく知っているであろうに、だ。


それこそ、幼稚なおとぎ話にも劣る出来の悪い書き割り小説の世界ではないか。

もしも同じような状況の令嬢が他にいたのなら、アデールは率先してその令嬢へお説教をしにいくだろう。「ここは現実。貴族には果たさなくてはならない義務や責務があるの。あなたにいつまでも侍ってくれる王子様やナイト達なんていないのよ」と。


かくして恋が冷めるのに、百年もいらなかった。


(前までは楽しかったんだけどな、この茶会。今は苦痛でしかねえわ)

(ああ、この時間を今すぐ勉強に充てたい…。嬉々としてこの茶会に参加していた過去の自分を引っ叩いてやりたい気分です)

(……だっっっる)


鉛のような気怠さ。ここでさっさと席を立ってしまえれば良いのだが、揉め事を起こしたくはない。適当な会話を適度に入れ、茶会を楽しんでいる雰囲気を出すことが重要だと考えたエリックは、以前より聞き及んでいたアデールの異母妹の話題を振ってみた。


エリックの予想通り、アデールは異母妹に対する不満を悩ましげに吐露した。そこへすかさず、ヴィクトルとルネも追従するようにアデールを気遣ってみせる。


憎たらしい異母妹を、見目の良い異性の友人達が苦々しく捉えている。そのことにアデールは気を良くしたらしい。努めて淑やかに振る舞っているものの、頬は満足そうに緩んでいる。


アデールの愚痴を聞きながら、3人は密かにアデールの異母妹に想いを巡らせた。ポール・シャルダン公爵が、溺愛していた妻を裏切り妾との間に作った私生児。その娘は王国の保護領出身者の血を引いているという噂を聞きつけ、3人はまだ見ぬアデールの異母妹への興味を男として強くしていた。


ルアン王国保護領であるティアレ島は、ルアン王国がある旧大陸より遥か遠く、南方の海に浮かぶ常夏の島だ。青く透き通る海に囲まれ、豊かなジャングルと色鮮やかな花々が咲き乱れる島だと聞き及んでいる。旧大陸では手に入りにくい貴重な資源や宝石、植物の宝庫として知られていた。


さらにいえば、貴族の男達の間では「美女と官能の島」と密かな評判にもなっていた。貴族のご婦人や令嬢達が知る由もない、下世話な評判と憧憬だ。ティアレ島の女達は、黒い髪と小麦色の肌、細いウェストには不釣り合いなはち切れんばかりのたわわな胸や尻を持っている。そして何より、旧大陸の女達を遥かに凌ぐ美人揃いだ。くわえて性質は開放的で天真爛漫、献身的で穏やかときている。


ティアレの女達が纏うのは、薄手の長い布のみ。スイカのようにたわわな乳房がゆさゆさと揺れる様も、尻がぷるんと弾む様もハッキリと見て取れる。それこそ、大陸貴族の女達とは何もかもが違っていた。大陸貴族の女達は皆、分厚い布で出来たドレスを纏い、胸や尻はおろか脚やふくらはぎすら見せることがないのだから。


お堅い閉塞感すら感じる旧大陸の男達。そんな男達が、圧倒的な美貌と女らしさの極致のような肉体を持った南国の女をひとたび目にすれば、何が起こるか。色恋に疎い者でも容易に想像できた。


ティアレ島へ渡ったことのある貴族の男達は、皆口々にティアレの女の美しさ、官能を嬉々として語る。もちろん、ご婦人やご令嬢達の前ではおくびにも出さないが。男同士の下世話な会合であれば、話は別だ。エリックにヴィクトル、ルネも例外ではなく、ティアレ島およびティアレの女達の素晴らしさはかねてより聞かされていたのだった。


ご令嬢達が夢見るような王子様ではない、健全な男子である3人は、密かな期待をアデールの異母妹……クロエへ寄せていたのだった。

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シャルダン家の姉妹 @isai_hoo

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