第3話アデール専属侍女・マリア
私マリア・ユーゴーは、シャルダン公爵家の長女・アデールお嬢様に仕える侍女です。シャルダン公爵家は広大な領地を経営するルアン王国きっての大貴族にして、数百年前より続く由緒正しい名家。そんな家のお嬢様に仕えることになってから、私の人生で最も幸福な時間が始まりました。
もともと私は、没落した伯爵家の娘でした。幸い両親も兄もなんとか生き抜けましたが、家計は常に火の車。
両親は傾いた伯爵家の持ち直しに奔走し、兄は大きな商会で見習いとして働き懸命に家計を助けてくれましたが、それだけで一家全員を養うことは難しかろうと思われたのです。
そこで私が、口減らしも兼ねて働きに出ることを申し出ました。語学、楽器、ダンスにマナー、刺繍や家政学…。これでも私は、伯爵令嬢としてひと通りの教育を受けた身です。家庭教師や習い事の講師といった働き口であれば、何とかありつけるだろうと踏んだのですね。
その読みは見事的中しましたが、まさか王国でも指折りの名家に勤めることになろうとは。
シャルダン家に仕える侍女ともなればお給金も待遇も良く、使用人も大勢いましたので後に信頼のおける友人達にも恵まれました。そんな我が身の幸運を喜ぶと同時に、行く末が何となく不安にもなったものです。
実家である伯爵家は、貴族としての体力が殆ど残っていない状況。そんな中、私がシャルダン家の屋敷内で不手際でも起こせばあっという間に実家に悪影響が及ぶと考えたためです。
最悪の場合、私の失態が原因で実家の取り潰しということになるかもしれない。あまりにも話が上手く進みすぎて、必要以上に不安になってしまった節もありました。
しかし、私の不安は完全なる杞憂でした。シャルダン公爵家の方々は皆、私を温かく迎え入れてくださったのですから。旦那様であるポール・シャルダン公爵は、領地経営にてその敏腕を遺憾なく発揮されていました。名実共に、シャルダン家の頼もしい大黒柱です。一方、ご家族や使用人達に対する態度は温厚そのもので、方々からの信頼は非常に篤いお方です。長男であるアーロン様は、そんな旦那様の下で次期公爵になるための勉強に励んでおられます。
そして何より、私がお仕えすることになったアデールお嬢様の美しさといったら!私がお屋敷にきた時、アデールお嬢様は10歳でした。その時点でもまさに妖精のような美しさを備えておりましたが、18歳になられたアデールお嬢様の美しさは最早芸術です。
真っ白な肌はきめ細かくシミひとつ見当たらず、淡い金髪はシルクのようにサラサラとなびいています。大きな瞳は「公爵家のサファイア」と讃えられる深い青色、ほんのりと色づいた唇はまるで果実のよう。
華奢な身体には似合わない豊満な胸をお持ちですが、それを鼻にかけるような品位のない真似をなさることはありません。
露出の多いドレスはけしてお召しにならず、むしろ露出が控えめな上品なドレスを好んでお召しになります。
月の女神のような美貌に豊満な胸、気品を失わないドレスが組み合わさり、多くの殿方達を虜にしているのでしょう。
このお美しいアデールお嬢様に対し、引け目を感じることも以前はありました。というのも、美しい侍女を連れ歩くのは高位の貴族令嬢のステータスとされていたためです。
美貌と教養を兼ね備えた侍女を雇うためには、けして安くない賃金や手広いコネクションが必要となりますから。周囲に見せびらかすための、要するにアクセサリーとしての使用人、というのは常にいるものです。
そこへ行くと、私の容貌はどうでしょう。クセが強く縮れた焦茶色の髪、丸く低い鼻、釣り上がった小さな細い目。女としては背が高く乳房は悲しくなるぐらいに小さく、女性らしい色香などあろうはずがありません。そして極め付けは、青白い顔に憎たらしく散りばめられたソバカス。
こんな不器量な侍女がアデールお嬢様のおそばにいれば、アデールお嬢様に恥をかかせてしまうのではないか。情けないことに、私はそのような泣き言をお嬢様の前で漏らしたことがあります。
しかしアデールお嬢様は、「何を言っているの!マリアはそのままでいいのよ。わたくしはありのままのマリアが大好きなのだから」
…私の目を真っ直ぐに見て、そうおっしゃってくださいました。
だからこそ私は、誇りを持ってアデールお嬢様に仕えております。それは自身の色恋などよりも、遥かに優先すべきことなのです。
いくら不器量な侍女とはいえ、私も人並みに異性へ恋をしたこともあります。その相手は、1年半ほど前までこの屋敷で働いていた通いの家庭教師。エミール・カロンなる男性です。
彼は、国内でも優秀な教育者を輩出し続けるカロン侯爵家の次男であり、主に地理や歴史、政治学などを教えていた家庭教師でした。現在は暇を貰って、見識を深めるためと遊学の旅を満喫されているようです。
エミール様は、漆黒の長い髪を赤い紐リボンで一本に結わえた、妖艶な雰囲気の美男子です。知的で謎めいた振る舞いと相まって、私を含む女使用人達からひそかな支持を集めていました。私も不器量なりに、エミール様への恋心を秘めていましたが…。
彼は、とてつもなく優しくそして情熱的な目で、アデールお嬢様を見つめていたのです。身も引き裂かれる思いでしたが、お相手がアデールお嬢様であれば納得がいくというもの。失恋を経て、私はますます侍女としての仕事へのめり込んでゆきました。
アデールお嬢様はその美貌と高貴さで、多くの殿方を魅了なさっています。婚約者であるルシアン殿下は言わずもがな、複数の見目麗しい貴族令息達からも愛されているのです。
アデールお嬢様を守るように立ち歩く彼らは、まさに貴いお姫様に忠誠を誓う勇敢なナイトのよう。
アデールお嬢様がルシアン殿下と正式に結婚し、王太子妃として即位なさっても、彼らが一途にアデールお嬢様への愛を貫くことは容易に想像できます。
さて、そんな完璧なアデールお嬢様を悩ませることがひとつ。数ヶ月前に、突如としてこの屋敷にやってきたクロエなる娘です。不幸なことに、アデールお嬢様の異母妹にあたります。侍女の私ですらこの状況をとんでもない不幸と捉えているのですから、当事者のアデールお嬢様やアーロン様の心労は推して知るべしでしょう。
クロエなる娘は見た目こそ桁外れの美貌を備えた美少女ですが、人格面はといえばとにかく幼稚で非常識。アデールお嬢様を煩わせる、忌々しい阿婆擦れです。真っ直ぐな漆黒の髪に小麦色の肌といった異邦人の血を、隠す様子もなければ恥じる様子もありません。
この阿婆擦れは、屋敷の敷地内にある豪華な離れで、毎日気ままに遊び暮らしているとアデールお嬢様が嘆いておられました。妾の子でありながらそれに何の罪悪感を抱くこともなく、旦那様が建てられた離れでぬくぬくと暮らしていると。
見かねたアデールお嬢様がその様子を諌めて躾に乗り出せば、「お姉様は私をいじめるのね」と被害者面をして旦那様に泣きつく始末。
一体、この阿婆擦れのどこに貴族令嬢の素質が備わっているというのでしょうか。
いいえ、公爵の血を引いているとはいえ、クロエはあくまで非嫡出子です。諸々の相続権や肩書きの継承権はありませんし、名実ともに貴族令嬢などではありません。間違っても、公爵令嬢を名乗ることはできないのです。
しかし、豪華な離れに住まうからにはそれに相応しい態度を取ることが筋というもの。そんなそぶりすら見せず、父親であるシャルダン公爵の厚意に甘えっぱなしの態度には私も虫唾が走ります。
そもそもここは、クロエが育った南の島ではありません。かの南の島は、強大な国力と優雅な文化を誇るルアン王国の保護領でありながら、未だに未開の地が多く残っているといいます。わけても島に暮らす女たちの淫蕩ぶりはすさまじく、彼女らがきちんとしたドレスを纏うことはごくごく稀。
大多数の若い女は、薄手の布でできたいかがわしい服(服といえるかすら疑わしい代物です)を未だに纏っているといいます。
そんな野蛮で破廉恥な土地で育った女を迎え入れるなど、それこそ公爵家の沽券にかかわることなのではないのでしょうか。
この手の阿婆擦れは、身の程知らずにも高貴な令嬢の全てを奪おうとするもの。特に、容姿が美しければなおさらです。しかもクロエの場合は、他人の伴侶を奪うような母親から生まれた娘なのですから。運良く貴族社会の辺縁へ入り込めたことで、舞い上がっている節もあるのでしょう。自分ならばもっと上へ行ける、王族貴族の美青年も手に入れられる、と。
今は離れで大人しくしているのでしょうが、隙あらばアデールお嬢様の立場や財産、そしてアデールお嬢様を愛する見目麗しい殿方までをも横取りしようと狙っているに違いありません。
しかしこのマリアの目が黒いうちは、アデールお嬢様に指一本触れさせません。
アデールお嬢様は、私がお守りします。
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