第2話ルシアン殿下・友人達とのお茶会

「それで、どうなんだ?アデール嬢の妹君は」


秋口の穏やかな晴天の日、公爵家邸宅の庭園で、わたくしは友人達とお茶を楽しんでおりました。わたくしが手ずから焼いたパウンドケーキをほおばりながら、癖のある赤い髪をした騎士団長の子息、エリックが口を開きます。


「どうって、はぁ……。全く、高貴な者としての責任を負う気概もなければ、シャルダン家に溶け込む気もないようですわ。常にあの離れへ篭って、今では本邸に挨拶のひとつもなくてよ」

そういってわたくしは、はしたなくならない程度にクロエの住む離れを顎先で指し示します。本邸と離れは、わたくし達がお茶を楽しんでいる庭園を挟むような形でそれぞれ建っています。見ようと思えば、庭園から離れの中を覗き見ることだって可能です。


それはさておき。わたくしの悩ましげな発言を耳にして、彼らの目つきが一斉に険しいものとなりました。銀色の髪に切長の瞳をした宰相の子息、ヴィクトルが苦々しげな表情で続けます。


「アデール嬢の妹君をあまり悪く言いたくはありませんが、それはいただけませんね。本来であれば、アデール嬢に付き従う侍女や家事手伝いにしてくれと頭を下げに来るべきところを…」


「自分の立場を弁えていれば…離れに篭ってやりたいように暮らすなんてことはできないはず。ましてや…保護領出身の愛妾の子供なんだから、なおさら」


独特な抑揚のない声音で続けたのは、栗色の髪に気怠そうな表情を浮かべた魔術師団長子息、ルネです。


「どの道、その異母妹が君の悩みの種になっているのであれば……俺が何か手を打とう。君を害す身の程知らずなど、話を聞いているだけで腹が立ってくる」


最後にこう言って下さったのは、わたくしの婚約者である……ルシアン殿下その人。漆黒の髪とアメジストのような瞳、通った鼻筋に薄く形の良い唇。そこにすっきりとした頤が加われば、まさに理想の王子様そのものです。


怜悧で端正な顔立ちですが、骨ばった手や程よく筋肉がついた体からは十分な男らしさも感じられます。ここでいう「男らしさ」とは、女性が理想とする見苦しくない男らしさのことです。モテない殿方が盲目的に持ち上げる、むさ苦しい男らしさではありません。


ここに集う友人達は皆美形揃いですが、ルシアン殿下はそのなかでも格別。怒りに顔を歪ませる様子さえも美しいのです。

「皆様、お気遣いくださりありがとうございます。異母妹であっても可愛い妹に変わりありませんもの、きっと妹もいつかわかってくれるはずですわ」

「……わかった。君がそういうなら、君の優しさに免じてもう少々静観することにしよう」


ルシアン殿下を含めた、この見目麗しい友人達とお茶を楽しむのがわたくしの至福の時でした。

ちなみに、殿下や友人達はクロエと顔を合わせたことがありません。クロエはあくまで非嫡出子ですので、殿下への謁見はもちろん高位貴族にあたる友人達と顔を合わせることすら叶わないのです。

ここは現実。貴賤結婚を正当化するような、くだらないおとぎ話のようにはいかないということです。


「殿下。探しましたぞ」

出し抜けに、生真面目な声が響きました。振り返れば、優雅な庭園には似つかわしくない武骨で逞しい男性が呆れたように立っていました。


「…テオドール。お前という奴は、よほど暇なんだな。シャルダン家邸の庭園にまで俺を探しに来るとは」

ルシアン殿下が、自身を探しにきた護衛騎士に向かって揶揄うように口を開きます。


「殿下がアデール嬢の邸宅へ足繁く通われるからです!誤解のないように申し上げておきますが、自分も殿下が思われている程暇ではありませんので」


テオドールは見た目こそ浅黒い肌に刈り込んだ短い黒髪の、筋骨隆々な長身の男性。いかにも強面な風貌ですが、生真面目で職務に忠実な護衛騎士です。常にルシアン殿下に振り回されている、苦労人といって良いでしょう。辛辣で皮肉屋なところのあるルシアン殿下に、揶揄われることもしばしばです。

この逞しい護衛騎士すら振り回してしまう高貴で有能なルシアン殿下に、わたくしはいつも蕩けてしまっておりました。


しかし、どこまでも仕事熱心なテオドールの催促は容赦がありません。


「そろそろ公務へお戻りください。いつまでも手を止められていては、こちらの仕事も滞る一方です」


「ふん、相も変わらずの堅物だな。あれしきの仕事、いつでも巻き返せるものを…。ではアデールにエリック、ヴィクトル、ルネ。俺はこれで失礼する」


「ええ、殿下。いつでもいらしてくださいな。非公式の訪問といえば、ある程度は融通が効きますし」


「それじゃ、今日はここらでお開きにすっか。俺らもそろそろ持ち場に戻らねえと」


エリックの一言を皮切りに、その日のお茶会は平和にお開きに……なるはずでした。


「猫ちゃん、いい子だからこっちへ降りてきて!大丈夫よ!」

だしぬけに聞こえた、あまり耳に入れたくなかった声。まさか。わたくしもルシアン殿下も友人達も、声が聞こえた先を振り返り、その光景に仰天しました。


「…クロエ…!?あの子ったら、何をやっているの!?」


その不躾な声の主はクロエです。声が不快なだけであれば、わたくしも他の皆様も呆れこそすれ絶句はいたしません。

当のクロエはあろうことか窓の外に身を乗り出して脚を窓枠にかけ、屋根の上に逃げたらしい猫に向かって必死に声をかけていたのです。それはもう、ドレス姿では論外なほどの姿勢で。


野良猫を、離れとはいえ公爵邸へ勝手に連れ込んだだけでもいただけないというのに。

客人の目が入るような場所で、あのようにはしたない振る舞いをするだなんて。わたくしの屈辱も知らずに、クロエは猫に声をかけ続けています。


「クロエ!貴女という子は…!そんな恰好で一体何をしているの!」

「あら、お姉様!悪いけれど今は取り込み中なのよ、猫ちゃんが屋根へ上がって降りてこれないみたいなの」


ルシアン殿下や友人達は、信じられないと言った顔で呆然としています。その様子に、わたくしはつい声を荒げてしまいました。


「馬鹿なことを言わないで頂戴!今すぐにそのはしたない真似をおやめなさい!!」

「私には大事なことなの……あっ!!」


わたくしが語気を荒げるのと、クロエが窓枠から足を滑らせ…転落したのはほぼ同時でした。流石にこれはまずいと、ルシアン殿下達が一斉にクロエの元へ向かいます。


他の面々よりも飛び抜けて反応が良かったのは、テオドールでした。戦士として培われたであろう反射神経と瞬発力で瞬く間にクロエの元へ滑り込み、見事クロエの体を受け止めたのです。


「ご無事ですか」

「え、ええ…!!正直に言って、もうダメかと思いました。助けてくださりありがとうございます!」


流石のクロエも、怪我ひとつなかったとはいえ落下の危機に晒されたことは堪えたようです。カタカタと、小刻みに体を震わせていました。


「クロエ!あなた…」

「ごめんなさい、お姉様。お姉様やお客様の前で無茶をして、見苦しいところを見せてしまったわね」

「本当よ!全く、テオドールがいなかったらどうなっていたことか…」


テオドールの思わぬ働きに、ルシアン殿下が珍しく感嘆されたように口を開きます。


「テオドール、お前はただのデカブツではなかったんだな。ほんの少しだけ見直したぞ」

「人助けは戦士の務めですので」

「わたくしからもお礼を言います、テオドール。可愛い妹の危ないところを助けていただき、ありがとうございます」


わたくしがお礼を述べると、生真面目に「自分は当然のことをしたまで」と答えるテオドール。その様子を見ていたルシアン殿下が、にわかに不機嫌そうな表情になります。


「テオドール、我が愛しのアデールが礼を言っているのにその態度は何だ?これは減給処分だな。ついでに書類仕事もお前の分だけ増やしてやる」

「理不尽を言わないでください!」

「まーた始まった、ルシアンの溺愛仕草」

「テオドールがしっかりお礼を言ったら言ったで、『テオドールごときが愛しのアデールにデレデレするな』と絡んでいたでしょうね」

「…ほんと、ルシアンはアデール嬢のこと好きすぎ」

ルシアン殿下達の賑やかなやり取りに、わたくしの頬は思わず緩んでしまいました。照れ、恥じらい、そして確かな喜び。これらの気持ちは全て、ルシアン殿下がわたくしを愛してくださるからこそ。


それに、クロエを助けたのがルシアン殿下でもエリックでもヴィクトルでもルネでもなく、テオドールであったことにわたくしが内心安堵していたのも事実です。

とっさの義務感からとはいえ、あんなに見目麗しい異性に助けられていては、クロエもきっと勘違いしてしまったことでしょう。いくら常識知らずの娘でも、色恋沙汰にまつわる勘違いを抱かせてしまっては気の毒というもの。それよりは、厳つく逞しいテオドールに助けられていたほうが良かったはずです。


クロエに怪我がないこと、肝心の猫もクロエが保護したことなどを確認してから、その日は完全にお開きとなりました。

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