シャルダン家の姉妹
@isai_hoo
第1話公爵令嬢・アデール
高貴な者として、できるだけのことはしてきた。わたくし…アデール・シャルダンは、胸を張って、しかしけして驕らずにそう断言できます。
わたくしの家であるシャルダン公爵家は、ルアン王国きっての名門貴族として名を馳せてきました。王国の西部から南部にかけて広大な領地を構え、選ばれし高貴な民として領民達を導いてきたという自負があります。数百年に渡り王家を支え民を導いてきた我が家の権威は、時として王家と肩を並べるほど強大です。
わたくしことアデール・シャルダンは、そんなシャルダン家に生まれついた長女。父からは公爵家の象徴とされる深くも澄み切った蒼い瞳を、母からは月の光のような色の淡い金髪を受け継ぎました。
言うまでもないことですが、両親は高貴な身分に相応しい美男美女。わたくしもまた、そんな両親の美貌を受け継いでいるものと思われます。
3つ上の兄をはじめ、専属侍女であるマリアや家の使用人達、他の領民達も皆、「月の女神のようだ」とわたくしの容姿を讃えていますから。
それに何より、宰相子息や魔術師団長の子息、騎士団長子息といった見目麗しい異性の友人達も、私の容貌を美しいと讃えます。
容姿にあぐらをかくことなく、わたくしは高貴な身分に相応しい教養を身につけようと幼い頃より努力してまいりました。
何しろわたくしの婚約者は「氷の貴公子」と讃えられる、ルシアン・デュ・ベレー王太子殿下なのですから。つまり、わたくしは未来の王太子妃となるのです。
血の滲むような王妃教育も、麗しいルシアン殿下の花嫁になれるのでしたら辛くはありません。
しかし、わたくしには1つ気がかりなことがあります。それは、2つ年下の異母妹の存在。
3ヶ月前、この屋敷に突然やってきた美しい少女。真っ直ぐに伸びたつややかな長い黒髪、わたくし達のそれとは明らかに異なる小麦色の肌、大きな「蒼い」瞳が、兄とわたくしの目に飛び込んできました。
その少女は、澄んだ声で「クロエ・シャルダン」と名乗りました。わたくしの父に伴われて、ハッキリと父の、そして公爵家の名を名乗ったのです。これが何を意味をするのかがわからないほど、わたくしは子供ではありません。
「父上、これはどういうことですか」
いつもは冷静で知的なアーロン兄様が、険しい顔で父に詰め寄っていたことを記憶しています。
貴族…それも、由緒も権力も財力も申し分のない高位の貴族であれば、本妻以外の愛妾を囲うことは珍しくありません。
美しい愛妾を囲うことは高位貴族のステータスであり、それこそ優れた地位や経済力、容姿の証だとされました。
それでも、兄とわたくしの失望は計り知れないものだったのです。父は愛妾を囲うような他の貴族とは違うと、心から信じていたのです。
「話すのが遅れてしまってすまなかった。急なことで、お前達には本当に申し訳なく思っている」
そこから館の奥、家族が団らんするためのプライベートな部屋へと場所を移し、父は事情を説明し始めました。その中身は断片的にしか覚えていません。
忌々しい「愛妾」はルアン王国の保護領(南の海に浮かぶ島なのですが、重要な知識ではないので名前は失念しました)出身であること、その愛妾はすでに亡くなっており孤児となった娘を引き取るに至ったことなどは、かろうじて覚えております。到底納得はできませんでしたが。
父は母を溺愛しておりました。恋愛小説で書かれるような、高貴で近寄り難い美形貴族と、その溢れんばかりの愛を一身に受ける美しい貴族の女性。これが、兄とわたくしからみた両親の姿です。
年を重ねても若々しく、それこそ恋愛小説のヒーローとヒロインが、物語の後にも変わらず幸福な未来を歩んでいるような。ここでいう「物語」とは、稚拙なおとぎ話のことではありません。
高貴なヒーローと、それに相応しい完璧で美しい令嬢が正しく結ばれる。そこには、卑しい身分の女が入る隙などどこにもありません。そんな物語に登場するヒーローとヒロインの未来を、体現したような両親でした。
特に父は、親しい友人達からは「過保護」と揶揄われるほどに、母を溺愛していたのです。一方通行的な愛にも見えましたが、母が父を厭うようなことはなく、至って幸福そうに見えました。何より母は、かねてよりわたくしにこうおっしゃっておりました。
「女性たるもの、殿方からは一方的に愛されてこそ。追うよりも追われる女、愛するよりも愛される女こそが真に幸せなのです。その逆は、まさに不幸な女だと言えるでしょうね。殿方から過剰に溺愛されてはじめて、女の魅力は保証されるのですよ」と。
父の溺愛は婚約者時代から始まっていたというのですから、その愛の深さは相当なものだったでしょう。それなのに。
あの時、父は愛妾の子を屋敷に連れてきました。愛妾の子を、娘として迎え入れると宣言したのです。くわえて言えば、現在のアーロン兄様は21歳、わたくしは18歳、クロエは16歳。父は少なくとも16、7年は家族を欺き、愛妾の娘を養育していたことになります。
母は、半年ほど前からご実家へ戻られています。表向きは体調不良の療養ということになっていますが、父との関係に亀裂が入ったことで憔悴していたことは明らかでした。クロエがこの屋敷へ来る前から、父は母にことの顛末を全て話していたのでしょう。
若々しく美しかった母はやがて苛立ちを隠さなくなり、侍女や他の使用人に対しても強く当たるようになりました。
それでも、父の決定権は絶大です。あれよあれよという間に、クロエはシャルダン公爵邸の離れへ住まうこととなりました。クロエは美しい少女でしたが、小麦色の肌であることから保護領出身の人間の血を引いていることは一目瞭然です。
いくら容姿が優れていようが、保護領出身の異邦人の血を引いた者を貴族として扱うわけにはいきません。
これは断じて差別意識ではなく、美的感覚や伝統の問題です。
ましてやクロエは愛妾の子、父の厚意がなければ同じ敷地に住まうことすら叶わないような立場の者。小綺麗、しかし手狭なタウンハウスがせいぜいです。
彼女の育ちからいえば、公爵邸の離れとて、とんでもない御殿でしょう。
クロエが住み始めてから、わたくしは早速義妹の教育と躾に乗り出しました。精一杯好意的に言えば天真爛漫、率直に言えば幼いクロエを法っておけば、いずれわたくし達の名に傷がつきそうでしたから。
クロエが貴族令嬢として扱われることは今後もないでしょうが、このシャルダン家に来た以上は遊び暮らすことなどけして許しません。
「これが基本のカーテシーよ。やってごらんなさ…」
「いやだわお姉様、カーテシーは知っているから教えていただかなくて平気よ!それよりも、ルアン王国本土内の地理を教えてくださいな」
南国の花が咲いたような、美しい笑顔。しかし同時に、憎たらしい笑顔でした。わたくしの発言を不躾に遮っておいて、この態度とは。
なるほど確かに、クロエのカーテシーは及第点の出来でした。聞けば、父に引き取られるまでの数年間、修道院で手堅い教育を受ける機会があったのだとか。
しかし、わたくしのそれと比べるとやはり稚拙なカーテシーだといえます。
そんな体たらくなのに、「知っている」と傲慢に笑う姿勢には我慢がなりませんでした。
「公爵令嬢のわたくしが話しているのよ!話は最後までお聞きなさい!」
はしたないことですが、この常識知らずにはこのぐらいの勢いで叱りつけたほうが効くというもの。
これまで厳しく叱咤されたことがなかったらしいクロエは、大きなショックを受けたようでした。母親共々父からたっぷりとお小遣いをもらい、高貴な者の責任も負わずに甘やかされてきたことがわかります。
そもそも少しでも常識が備わっていれば、愛妾の子が堂々と公爵家の邸宅(たとえ離れであっても)を歩き回らないでしょう。公爵家のお金で仕立てた服を纏わないでしょう。
躾を始めてからしばらくして、わたくしとクロエの間に父が入ってきました。父はあくまで穏やかな態度ではありましたが、クロエに対する躾をやめさせました。常識のない義妹を少しでも教育しようと、わたくしが躍起になっているというのに。
「クロエは社交界デビューを目指していないんだ。これは本人から相談されて、2人でよく話し合った結果だ。お前の気持ちはありがたいが、お前がかかりっきりになってまで教育をすることはないよ」
「しかしお父様、非嫡出子とはいえあの子もシャルダン家の娘でしょう?たとえ家族での夕食の席や晩餐会への出席が許されていなくても、高貴な者としての責任は背負わせなければ」
「確かにお前の所作と比べれば見劣りはするだろうが、クロエは修道院時代にしっかりとした教育を受けている。それに、クロエのこれからの勉強は家庭教師を頼む予定だ。家庭教師が見つかるまでは、私がクロエの勉強を見てやるつもりでいるよ。お前も引き続き、自分のことに集中なさい。自分の課題が疎かになるなんて、アデールらしくないよ」
多忙な父が、家庭教師が見つかるまでの間とは言えクロエの勉強を直々に見るというのです。穏やかに、しかししっかりとわたくしに釘を差してまで。
とはいえ父にこう言われては、わたくしも手を緩めざるを得ませんでした。後でわかったことですが、クロエは父にわたくしのことを言いつけて泣きついていたようです。どこまでも幼稚で他力本願な娘です。
こうしてクロエはシャルダン家の娘として、アーロン兄様とわたくしの異母妹として暮らすようになったのでした。
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