第4話

 いつもならば早く終われ、授業なんか受けたくない。と、学生にあるまじきことを考えていた。だが、今日に限っては違った。むしろ終わるなと願う。一生授業が続けば良いのにと願ってしまう始末。学生として考えるのならばそれがあるべき姿なのかもしれないが。生憎私はそこまで身も心も優等生ではない。優等生の皮を被っているだけの怠惰な学生だ。学校なんか行きたくないと思うし、授業中はどうやったら時間早く経つかなと考える。そういうある意味一般的な学生である。

 っと。私の勉学に対する姿勢は今はどうだって良い。

 とにかく言いたいことは一つ。帰りたくないってこと。それだけ。


 でも時間は止まってくれない。ゆっくり動いてもくれない。止まれ止まれと願うとむしろ早く感じてしまう。

 タイムリミットを迎える。

 最後の授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。

 教壇に立つ教師はチャイムが鳴り終わるのを待ってから「今日の授業はここまでにしておきます」と言って、パタンと教科書を閉じる。周囲の生徒たちはそれに対して喜びの感情を出す。隠しているつもりなのだろう。歓喜の声はあげない。口角が上がり、眠っていた生徒も机から顔を上げる。それだけの変化。この中で眉間にしわが寄り始めているのは多分私だけ。


 授業が終わればあとは帰宅するだけ。部活動に所属していれば、まだ逃げることはできた。

 しかし私は部活に所属していない。

 面倒、疲れる、ダルい、と、部活から逃げていたツケが今更になって襲ってきた。しかも結構大きめの攻撃である。逆襲だ。こんなの。


 「じゃー、美咲ー! 私、部活行っちゃうねー」


 とんとんと私の肩を叩き、ひらひら手を振って、檸檬はこの場から立ち去る。


 「え、うん。バイバイ。頑張ってね……」


 彼女の背中が見えなくなる前に私も手を振る。

 すぐに背中は見えなくなる。

 そうすると私は孤独になる。


 特に帰りにどこかへ寄ったりするわけでもない。

 暇な女子高校生はタピオカ屋へ行ったり、おしゃれなカフェへ行ったり、ショッピングを楽しんだり、映画とかも見たりするのかな。

 私はしない。

 寄り道もせずに帰宅する。いつもそうだし、今日もそう。逃げ出したくとも、逃げ出す先がない。だから諦める。


 いつもは遠い道のりなのに、今日はあっという間に自宅へと到着してしまう。


 「……はぁ」


 深いため息を吐く。そしてオレンジ色に染まる空を見上げる。


 ふるふると首を横に振る。髪の毛がぺちぺちと頬に当たる。鬱陶しくて、どんよりとしてくる。

 扉を開ける。

 平日の夕方だからだろう。お父さんは多分居ない。靴がないから。

 ただあずねぇはいる。

 包丁の音、テレビの音、水の音。所謂生活音が集中していた。


 ただいまって言って良いのかな。と、不安になる。

 私の家だし、あずねぇの家でもある。

 理屈だけで考えるのであれば、なにも問題ないってのは言われなくてもわかるんだけれど。

 これは……そう。感覚的な問題だ。

 なんとなく、ただいまって口にするのは間違っているのではないだろうか、と思う。

 関係上。というか戸籍上は親と子であるが、体感として親子であると受け入れられるかと問われれば全くの別問題となる。

 それが違和感となって私の心の中や脳内で渦巻く。


 「美咲ちゃん。おかえり。玄関で立ち尽くして、どうかしたの?」


 おたまを持って玄関に顔を出してきたあずねぇ。

 その姿はどこからどう見ても人妻であり、私の知っている五歳上の幼馴染であるあずねぇの面影はほとんどない。もちろんゼロであるとは言わないが。ほぼ無いに等しい。


 そんなあずねぇに言われて気付く。

 迷って、思考を走らせて、靴を脱ぐことすら怠っていたことに。

 慌てて靴を脱ぐ。


 「どうもしないよ」


 と、受け答えた。


 実際どうもしない。少なくともあずねぇに言えるようなことではない。本物のお母さんって思えないとか口が裂けても言えない。多分ショックを受けるだろうから。

 別にあずねぇを傷付けたいわけじゃない。

 お父さんに関しては……まぁ。

 あっ。


 このモヤモヤを発散する方法を思いついた。

 お父さんにぶつけてしまえば良い。

 反抗期の娘、みたいでちょっとばかり抵抗はあるけれど。


 「そうなの?」


 あずねぇは顔を覗いてくる。

 照れくさくて顔を背ける。


 「ふふ。そっか」

 「うん」

 「おかえり」


 あずねぇは優しく迎えてくれた。

 あれこれ私が悩むのは勝手だ。だけれど、あずねぇに冷たい態度をとるのは違う。あずねぇはなんにも悪くないから。


 「ただいま」


 できるかぎりの自然な笑顔をあずねぇに向けた。

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