第2話

 一軒家の一室。

 私は一人で部屋にこもる。


 お父さんとあずねぇには「もう寝る!」と言って部屋へとこもった。パタンッと強く扉を閉めて。

 お風呂に入り、歯も磨き、髪も乾かし、スキンケアも完璧。睡眠の準備は万全。


 「これから梓さんの歓迎会しようと思ってたんだけど……」


 と、お父さんは私に声をかけてきた。ダイニングテーブルには料理が並べられていた。けれど食すような気分ではなかった。ましてや二人に囲まれてなんて尚更。だから欠伸をして「もうとんでもなく眠い」アピールをした上で、部屋へとやってきたのだ。

 で、ベッドで毛布にくるまり、今に至る。


 眠いとか言っておきながら、寝る気は一切ない。

 というか寝られるわけがない。思考は活性化している。今の状況を受け入れようと脳みそは頑張っているのだ。

 そりゃ寝られるわけがない。私はイルカじゃないんだから。片方の脳だけを活性化させて眠ることなんてできない。これでも私人間だから。


 あれこれ考える。考えに考えて考える。そして一つの結論に到達する。


 ――素直におめでとうって言えない私がおかしい。


 というものであった。


 形はどうであれ、相手がどうであれ、お父さんがやっとお嫁さんを見つけた。それは喜ばしいことである。さすがに犯罪を犯しているのであれば軽蔑するし、非難するべきなのだろうけれど、決してお父さんは犯罪をしていない。あくまで十一歳年下の女の子をお嫁さんにしただけなのだ。


 悪いことはしていない。だからおめでとうって言ってあげるべき。

 それが自然だし、当たり前だ。

 ましてや親の再婚である。素直に喜ぶべきところだろう。


 だが、やっぱり言えない。

 気持ち悪いという感情が正解とかなにやら諸々をすべて飲み込んでしまう。

 

 もしかしたらあずねぇはなにかお父さんに弱みを握られているのかもしれない。というか、現状そうとしか考えられない。

 やっぱりお父さんとあずねぇの結婚には、どうしても違和感がある。まるで夏に雪が降るかのように、強烈な違和感だ。


 頭の中の雑踏。

 それらを一つ一つ丁寧に触り、片付けて、奥に隠れていた私の本当の思考というものに辿り着く。

 お父さんは実父だ。

 この家の中で血の繋がりのある唯一の人間。

 だから、そんなことしているとは思いたくない。お父さんを信じたいとも思う。思うけれど、こうした状況がある以上、しっかりと現実を見つめなければならない。世の中は綺麗事だけでどうにでもなるわけじゃない。むしろ綺麗事だけで片付けられることなんてほんの一握りしかない。

 だから実父であるお父さんを疑う。

 お父さん。悪く思わないで欲しい。



 土曜日と日曜日。

 なにをするというわけでもない。

 土曜日も日曜日も、両親? 違和感がすごい。お父さんとあずねぇは両日、日中外へ出かけていた。買い物とか、デートとか。なにをしているのかは知ったことじゃないが、新婚なわけだし、色々したいのだろうなと察する。深く詮索はしない。

 それに若干の気まずさもある。むしろ外に出てくれた方がありがたい。事実として、二人が帰ってきてからはずっと部屋にこもりっぱなしだし。土日、結局両日顔を合わせることは無かった。日曜日の夜。私はなにをしていたのだろうという喪失感に襲われながら、意識を手放した。



 月曜日の朝。

 知らないうちに寝てしまっていたらしい。所謂寝落ちというやつだ。ベッドの中でぬくぬく考え事をしていれば、そりゃ意識を失うのも無理はない。

 生理現象だ。欠伸をすれば涙は出てくるし、鼻の奥をくすぐればくしゃみが出てくる。それと同じで毛布の中でぬくぬくしていれば寝落ちしてしまう。致し方のないこと。


 「ふぁぁぁぁぁ」


 欠伸をして、上体を起こす。

 開ききらない目を擦る。ルーティンと呼ぶにはだいぶ烏滸がましいような動作だが、これをすることで徐々に目は覚めるし、頭も冴えてくる。馬鹿にできない。

 仕上げにぐーっと背を伸ばす。これで終了。


 寝たのにもう一度寝たいなとか考えながら、リビングに顔を出す。

 朝食の香りが私の鼻腔を擽る。

 脳に刺激が走り、反射的に腹の虫が鳴った。


 「あ、美咲ちゃんおはよう」


 私を出迎えてくれたのはあずねぇであった。

 ニコッと微笑みを向けている。とても昨日の結論が事実であるとは思えないような笑顔であった。彼女には幸せオーラが纏っている。

 特にエプロン姿が幸せさをより一層際立たせている。


 「あずねぇ、おはよう」


 と、私の胸の内を悟られないように表情を作り、挨拶をする。


 「美咲ちゃん。朝ごはん食べるよね?」

 「ほれ、美咲。座りなさい」


 二方向から言葉が飛んできた。

 お父さんもいた。気付かなかった。


 なんというかとても幸せな空間がこの一室には広がっている。

 私でさえ、部外者になってしまうほどに、二人の世界がそこには作り上げられていた。

 お邪魔かな。今すぐ居なくなった方が良いかな。

 あれこれ考えるけれど、空腹という事実から目を背けることはできない。

 またぐぅぅぅと鳴った。


 「アハハ、良い返事だね」


 笑いながらあずねぇはキッチンへと向かう。そしてお皿を持ってこちらに戻ってくる。


 「……」


 目を疑った。目を擦り、目を細め、思いっきり目を瞑って、改めてそのお皿の上にあるものを確認する。

 それでも私の視界に見えるものはなにも変化がない。

 やっぱり「それ」が目に入る。

 若干迷いはあったが、恐る恐る訊ねることにした。


 「それってなに? もしかして朝ごはん……じゃないよね」


 弱々しくお皿を指差す。


 「朝ごはんだよ。私お手製の朝ごはん」

 「あぁそうだぞ。梓さんのご飯は美味しいぞ……お、美味しいぞ。それに美味しいからな」


 力強かったお父さんの言葉は繰り返すことに弱々しくなって、最終的には完全に力を失う。

 私の目は腐っていなかった。と、お父さんの反応を見て確信した。


 あずねぇが持っているお皿の上にあるのは焦げたスクランブルエッグに、ウィンナーらしき棒状のもの、ハムかベーコンかすら良くわからない謎肉。それらにかけられているのは謎のソースであった。ケチャップでもソースでも醤油でもマヨネーズでもない。

 すべて引っ括めて未知の料理だった。

 宇宙人と邂逅したのかなって思うほどに新鮮さと困惑が私のことを襲う。


 「ほら、座って。食べて? 遠慮しないでね。まだたくさんあるから」


 そう言われ、あずねぇは椅子を引く。早く座って食べてくれ。そういう言葉が顔に書かれている。

 どうやらここから逃れる術はないらしい。

 でも、だ。

 これだけ憂いを持つということは、逆に美味しいパターンが考えられる。

 世の中そうやって回っている。ギャップ萌えってやつだ。果たして料理にもギャップ萌えが適用されるのかは一考の余地があるが。


 うだうだしていてもしょうがない。

 あむっと食べる。

 ウィンナーみたいなものはウィンナーであった。とりあえず食べ物であったという事実にまずは一安心する。

 それはそれとして美味しくはない。言葉を選ばずに言うのなら不味い。とんでもなく不味い。ウィンナーも不味いし、このウィンナーにかかっている謎ソースも不味い。

 マイナスとマイナスを掛けたらプラスになるって小学校で習ったのだが……。ってこれはあれか、足し算だからマイナスのままなのか。

 というか、なぜウィンナーをここまで不味くできるのだろうか。ウィンナーなんてそれとなく火が通るまで焼けばそれだけで十分美味しくなるはずなのに。


 「どう? 美咲ちゃん」


 苦心していると、あずねぇは私の目の前に座っていた。頬杖を突いて楽しそうに私のことを見つめる。

 答えは「美味しくない」一択である。正直お世辞を言えるレベルじゃない。許容範囲を超えている。作ってくれたのに失礼とか、そういう配慮をできる域じゃない。


 「その……」


 素直に言おう。

 そう決意して、口を開く。

 それを遮るように、お父さんは睨みを利かせてきた。

 思ってもいなかった方向から飛んできた睨みに私はわかりやすく狼狽してしまう。

 同時にお父さんが言いたいことも理解できた。


 「美味しかった……よ」


 だから無理矢理捻り出す。

 そして口の中に残る焦げた味を流し込むように水を飲む。


 無言の圧力。慮れよという。

 そこには間違いなく愛があった。

 ちょっとというかだいぶ羨ましいなと思う。


 「ほんと? 良かったぁ」


 安堵の声が漏れる。心底安心した様子で、綻んだ頬がそれを物語っている。


 「お母さんになったからには娘の面倒を見なきゃなってね」

 「一昔前の価値観……」

 「良いの。今まで拓也たくやさんがずっと頑張って育ててきたんだし。少しくらいは私も力になりたいと思うから」

 「梓さん……」


 お父さんはあずねぇの言葉に酷く感動している。

 はいはい、すみませんね、手のかかる子供で。


 幸せが絶頂を迎えそうな雰囲気。甘ったるい空気の中で、焦げて苦く不味い朝食を無心で食べたのだった。

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