第30話 舜雨は試されていたことを知る

 晨星はほんの少し顔を俯かせて、そして真っ直ぐ直を見た。


『多分君は、私の秘密を知っていると思うから、言っておく』


 晨星が言った。


『こんな無茶苦茶になった国を、一人で背負わせてごめん。……あと、頑張ってくれてありがとう』


 直が、虚をつかれたような顔をした。

『……別に、謝る必要なんてない』硬い声で直は言った。『むしろ私は、君を利用したんだよ』

『知ってるよ』


 晨星があっさりと言う。

 直が目を見開いた。


『税のこと気になってたからさ、勇義さんにずっと教えて貰ってたの。

 内乱による重税で農民が逃げ出す中で、税金を取り立てるなら裕福層から取り立てるべきだ。だけど裕福層と呼ばれている階層は、灌王朝を建てる時に味方としてついた人たちで、優遇されず税を取り立てられたら、反旗を翻す可能性は高い……って。

 元々、陪が別の国を無理やり統合した所もあるから、独立したがっている貴族たちも多いだろうし。――だから注意を別のところに引く必要があった』


 そう言って、晨星は目を伏せた。


『権力闘争を避けていた昕家の娘が皇帝の妃候補についたら、皆重税よりそっちに気を取られるもんね。どうにかして、自分たちも妃を送り込まないとって思うでしょう。

 林尚儀みたいに、私に暗殺を仕掛ける人もいるかもしれないけど』

『知っていたのか』


 俺がそう言うと、『気づいたのは後からだったよ』と晨星は頭をかいた。


『我ながら鈍いよねえ。なんかだるいなぁって数日思ったぐらいで、後は元気だったし。桃花さんに林尚儀はどうしてる? って聞いたら、「家に帰った」って聞いたから、もしかしたらって思ったの』


『林尚儀はどうなったの?』と晨星が聞く。

『死んだよ』直は躊躇わず返した。

 そう、と晨星は言った。


『……何か言うかと思った』

『直くんが手を下したんじゃなくて、林尚儀か私の命かしか選べなかったんじゃないの?』晨星はおどけたように言う。

 だが、その手は震えていた。


『直くんがあの後塗ってくれたの、林尚儀が持ってた解毒剤だと思うし。林尚儀は素手で私に毒薬を塗っていたから、後でその解毒剤を使うつもりだったんじゃないかな』


 そう言って、少しだけ彼女は呼吸をおいた。声が震えないよう確かめるようだった。

 口を尖らせ、なんてこと無く続ける。


『でもさ、暗殺されかけたってことぐらい、教えてくれたっていいじゃん』

『だって君、途中まで気づかなかっただろ? なら、暗殺を警戒したところで無意味じゃないか』


 その変化に気づかない直ではないことを、俺も、恐らく晨星も知っている。知っていて直は、「無意味」という言葉を使った。

 俺や直と違い、彼女は最初から誰かの死や誰かへ向けられる悪意を、自分の事のように恐れる人間だった。


『……舜雨くんがキミの護衛になったことも教えてくれなかったし』

『それは本人の要望だから』


 晨星が俺の方を見た。俺は思わず目を逸らした。


『二人とも私抜きでやるんだ……。昕家にいた時だって、夜中まで二人で話したりしてたし』

『全部君割り込んでたじゃん』


 直の言う通り、気づいたら晨星が参加していた。彼女を抜きに話していたわけではないのだが、晨星からしたら自分を抜きに話されていたように思えるかもしれない。

 直が俺と晨星を交互に見た。


『……わかったよ。暗殺に関する情報は、ちゃんと晨星にも伝える』

『私のことだけじゃなくて、直くんのこともだよ』


『その事なんだが』丁度よく晨星が話題を振ってくれたので、俺は暗殺計画に関する情報を話すことにした。

 直にはすでに伝えていたが、晨星にはまだ伝えていなかったからだ。

 俺の直感まで伝えると、晨星は『あー』と頭を抱えていた。


『この間、厚実さまがね。気になることを言っていたから』


 晨星が話したその内容に、俺は眉をひそめた。

 苑尚書令は晨星の出生を知る人物だ。くわえて直に対して皇帝にふさわしいかと尋ねるのは、確かに怪しいだろう。

 直は呆れたような目で言った。


『君こそそういうことはちゃんと報告したまえ』

『いやー……ちょっと、ね。うっかりしてた』


 晨星が途切れの悪い返事を返す。

 苑尚書令は師父の旧友であり、晨星も顔なじみである。親しい人間を疑う気になれなかったのも無理は無い。

 だが今の晨星の態度は、それとは少し違うように見えた。


『……舜雨くんの話聞いてて思ったんだけどさ、タイミング良すぎだよね。キミの提案で行った飲み会の帰りで、暗殺計画を聞くとか』


 晨星が言うと、直は何故か目を逸らした。

 晨星は笑った。


『怒らないから、正直に話しなさい』



 ■


 水際を囲む回廊を歩くと、宦官の服を着た白髪の少年を見つけた。

 彼は俺の気配に気づいたようで、気まずそうに礼をとる。


「お待ちしていました。舜雨さま」

「君が皓か?」

「……はい」


 皓と呼ばれた少年が目を逸らす。


「あの……この間はすみませんでした」

「陛下の命令だったんだろう。気にしていない」


 むしろ、彼が接触してきた時はすべて直が関係していたことに気づくべきだった。晨星はすぐに気づいていたのに。

 皓と玲と呼ばれた女官が話していたのは、俺に見せるためだけの「お芝居」だった。


『君たちがいい加減くっつきそうになかったので……その……晨星が皇帝として担がれるかも~って思ったら、舜雨も行動に移すかなって……』


 直の策略に、俺はまんまと一杯食わされたというわけだ。


 俺たちは指定された場所へ向かうため、揃って二人で歩く。

 こうして歩いてみれば、さっきから俺と歩幅が全く食い違わないことに気づいた。体格差もあるはずだが、息もあがっていない。よほど訓練されているのだろう。


 皓は普段は宦官の役職についているが、裏の仕事は諜報であり、基本的には下っ端として働いているという。玲と呼ばれた女官もまた、直の諜報員の一人だそうだ。だがどちらも戦闘員として十分だと、直が言っていた。

 ――こんな子どもが。そう今なら思うが、かつての俺もこんな子どものまま殺手をやっていた。



「……あの、一つ伺ってよろしいでしょうか」

「どうぞ」


 俺は自分から話しかけるのが得意ではないので、好きな時に話しかけてもらった方が有難い。

 だが、表向きは宦官である以上、自分から話しかけるのは難しいのだろう。言葉を選ぶようにたどたどしく、皓は尋ねてきた。


「舜雨さまはなぜ、晨星さまが暗殺されそうになった時には動かず、陛下が暗殺されそうになった時に動かれたのですか?」


 ……その問いに、俺は目を丸くした。


「……なんでだろうな」

「え!?」


 皓が声を上げ、慌てて「すみません」と謝る。

 無意識のうちに、直なら彼女を本当の意味で危ない目に遭わせないだろう、と思っていたからだろう。良い意味では信頼だが、悪い意味では過信である。


 年々、危険に対する自分の感覚が鈍くなっているのは自覚していた。直が昕家を離れてから、昕家を襲う凶手はいなくなり、街の治安も良くなってきた。平和に慣れてきたとも言える。


 殺手であった時は、いつかは誰かに殺されることを覚悟していた。

 だが今は、明日も生きていると無自覚に思っている。

 それぐらいこの国は平和になったのか、あるいは自分から殺手であった過去が遠くなって行ったのか。



「舜雨さまの警備は、隙がありませんでした」皓が言った。「ですがあの時、追跡ではなく倒れている宦官の方を優先した。その優しさは、ここでは危ういものです」


 弘文館の時に皓と遭遇したのは、一種の試験だったのか。

 あの時俺は自分でも向いていないと思ったが、試験官である皓も同じ意見だったらしい。

 


「……ですが、気にかけてくれたことは嬉しかったです。ありがとうございました」

「余計なこともしたようで、申し訳ない」

「……あはは」


 俺が言いそびれていた謝罪を言うと、皓は乾いた声で笑い声を立てた。

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