第3話

「ねぇお姉ちゃん、夏にぃ、私このまま死んじゃうのかな?」

「そんなわけないだろ」

「そんなわけないでしょ」


 冷えピタを貼っているのにも関わらず真っ赤に染まった苦しそうな顔で布団に入っている幼い姿の和泉さんを僕と楓さんで手を握っている。


 なおも不安そうに続ける和泉さん。


「みんなそう言うけどさ、私の病気、全く良くならないよね。だんだん辛くなっていってるし」

「日向……」


 場面は変わってどこか山奥。


 楓さんが急がなきゃ、間に合わなくなっちゃうと言いながら何処かへと走っている。辿り着いたのは綺麗な泉で。そこで、楓さんが何かに出会ったところで僕は目を覚ました。


「……久しぶりに夢を見た気がする」


 こっちに来てからあの誰かが僕を呼んでいた夢も収まっていたのに。


 それにしても変な夢だった。記憶にないあり得ない夢。そのくせをして、どこか懐かしく、しっくりと当てはまる気がした。


 少しふわふわとした気持ちで朝食を食べ終わると昨日の夜に頼まれていた障子の張り替えの手伝いを始めた。


「ごめんね、夏ちゃん。ちょっと糊が足りなさそうだから、駅前まで行って買ってきてくれない? 自転車使っていいから」

「分かった。行ってくる」


 その帰り道、松葉杖をついている和泉さんとすれ違う。


 夢のこともあって、気軽に声をかけてしまった。


「和泉さん、怪我大丈夫そう?」

「まぁ見た目が仰々しいだけで実際は骨も折れていなかったのでまぁと言ったところですね……。すみません、その節はお世話になりました。それと、あの時はいきなり怒ってしまってすみませんでした。まだ……記憶戻ってないんですよね?」

「……えっ?」

「えっ?」


 僕と和泉さんはお互いに首を傾げてしまう。


 記憶が戻ってない? ということは僕は記憶喪失にでもなっているのか?


「ちょっと待ってください。記憶喪失って、いや、まさか……」


 しっかりと思考を放棄せずに考えてみればおかしいところは沢山あった。なんで僕の名前を相手は知っているのに、僕側はその相手を覚えていないのか? 五年前とはいえ、十年以上住んでいた家までの道をなんで覚えていないのか? 何故住んでいた気もしないのか? そもそもなんでこんなに昔のことを思い出そうとすると、なんとかだったらしいとか、なんとかだったはずみたいな曖昧な形になっているのか?


 記憶を失くしていたと考えれば、全ての辻褄が合う。


「あの、訊きたいことがあるんですけど……」

「……私に答えられることなら」

「僕がなんで記憶喪失になってるのか分かりますか?」

「理由はよく知らないんですけど、いつからとかなら。というより自分が記憶喪失だっていうことに自分で気付いたり、周りの大人から何か言われたりしなかったんですか?」

「……どっちもないですね」


 なんで自分から気付くことがなかったのか? それはおそらく自発的に過去に触れることがなかったからだろう。


 周りの大人から何故何も言われなかったのか? 言えなかった、もしくは言わなかった理由に思い当たる節はない。


「私が知っているのは五年前、姉さんが居なくなった日に一緒に居なくなって、その後発見されたときにはもう何も覚えていなかったということです」

「居なくなった?」

「はい、文字通り忽然と行方がわからなくなったんです。大人たちは神隠しだって言ってました」


 正直なところ脳内で処理できる量をとっくに超えているが、気になるところは全て今のうちに聞いてから整理をしておきたい。


「あの……その居なくなったという姉さんの名前は?」

「和泉楓です」

「……イズミカエデ?」


 一文字変えれば、物凄く何処かで聞いた覚えのある名前だった。


「小泉楓さんってここら辺に住んでますか?」

「小泉楓さん? こが付いているということは姉さんとは違うんですよね? それだったら聞いたこともないです」

「見たことも?」

「はい」


 まさかなと思い尋ねたことがすべて悪い方向へと向かっていく。頼むからこれだけは違っていてくれと僕は最後の質問を投げかける。


「じゃあこの前猪に出くわした時、近くにいた人も誰か分からないんですね?」

「えっと、仰っている意味がよくわからないんですけど……。あの場には私と夏野さん以外には誰もいませんでしたけど」


 僕はその回答を聞いて背筋に悪寒が走るのを確かに感じた。


 その日の午後、遊びに来た楓さんに僕は詰め寄る。


「楓さん、本当の名前って和泉楓なんじゃないんですか?」


 驚いたような顔をして僕のことをじっと見つめていたが、しばらくして楓さんは僕から視線を外して残念そうな顔を見せる。


「……あーあ、バレちゃったか」

「バレちゃったかってことは本当に……」

「そうだよ、私はもう死んでるの」

「別にそこまでは言ってませんけど」

「……」

「無言で叩こうとするのやめてください」


 死んでるということはここにいる楓さんは本当に幽霊なのか? 幽霊って実体があるのか?


「でも、普通に見えてますし、会話も出来てますよね……」

「それは夏野くんだからだよ。他の人じゃ無理」

「僕だから? 僕に特別なことなんて」

「あるでしょ。力が」


 確かに思考を読む力はあるけど、それがどう楓さんを見られることに繋がっているのかいまいちピンと来なかった。


「その力は他人の思考を読むことが出来る。ひいては本来見えてはいけないものが見える力」

「……なんで知ってるんですか。後半に至っては僕は知らないんですけど。なんですか? 見えてはいけないものって」

「当時から村では有名だったからね。神の子どもだって。それと見えてはいけないものっていうのは人が隠したい何かとか現世にまだ未練のある強い幽霊とかね、なんでもだよ」


 自分の能力にも関わらず、他人の方が分かる現状。逃げてばかりでいるんじゃなく少しは知っていくべきなのかなって思った。


「あの……失礼を承知で訊くんですけど、なんで楓さんは死んじゃったんですか? 僕も一緒にいなくなったっていう神隠しに関連してるんですか?」

「……まだ内緒かな。夏祭りのときに多分全部わかると思うから」

「分かりました。じゃあそれまで待ちます」

「うん、ごめんね。というかさー、意外と反応普通なんだね。私が幽霊だって知ったら普通もっとガクガクブルブルするものじゃない?」

「いや、平静を装ってるだけでかなり心臓は動悸をたててます。それとまぁ、あんまり幽霊だったとしても今と変わらないんじゃないかなと」


 更に加えて言うならば、今日はあまりにも情報量の多すぎる一日だったせいもあるのだろう。あまり意識している暇がない。


「ふーん、それなら最初から幽霊なんだけどって言えばよかった」

「それは心臓に悪いどころじゃ済まないのでやめてください」


 多分、それは普通に頭がおかしい人だと思うか、もしくは気絶するだけだろう。どちらにせよ最悪の出会いなので遠慮をしたい。



 夜、母親に電話をかけて、僕に記憶喪失のことを伝えなかった理由を尋ねた。


 理由はその僕が発見された当時、あまりにも僕が混乱しすぎていて、しばらくずっと滅茶苦茶なことしか言わなかったので、更に情報を与えると余計パニックになると判断したからのこと。


 残念ながらその記憶もない。閑話休題。

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