第2話

 翌日から、楓さんは僕のところに遊びにくるようになった。基本的には僕が住んでいたところの話をしたり、逆に楓さんがここら辺であったことを話したり。


 ここが田舎なのもあって、決して都会とは言えないまでも田舎ではない僕の家や、中学一年生のまだ自分が輝いていた頃に出かけた池袋の話は新鮮らしく、話すネタはいくらでもあった。


 楓さんの思考が読めないということもあって、少し怖いところもあったが、僕は楓さんの持つ、なんというか人の心を打ち解かすような人格によって次第に心を許すようになっていった。


「今日はさ、ちょっと怖い話してもいい?」

「……怖いの程度によりますけど」

「ここに住んでいる子なら誰でも知っているような伝承だからそんなに怖くないと思うよ」

「……」


 住んでいたはずなのに伝承自体に全く心当たりがなかったので、僕は思わず考え込んでしまう。ただ、楓さんはその沈黙を了承と捉えたのか話し始めてしまう。


「……ここにはね、まぁ田舎のド定番で、ありきたりと言えばありきたりなんだけど、近くの山のどこかに心のきれいな人だけが入れる聖域があって、そこに神様、天狗が住んでいるって言われてるんだ。それで、その天狗はそこに入った人の願いを叶えてくれるらしいんだけど、代わりにその人の大事な何かを、まさしく等価交換みたいn」

「あっ、あの話を遮っちゃって申し訳ないんですけど……僕ここに住んでいたはずなのに、その伝承知らないんですけど」

「えっ? ……まぁこれ実は私が今考えた話なんだよね〜」

「あっ、そうだったんですね。ということは僕が何故か忘れているとかそういうわけじゃないんですね。……すみません、続きお願いします」

「うん、それでね」


 そんな話をいつものようにしていると誰かが玄関の戸を叩く音が聞こえてきた。


「御免くださーい、伏見のおばあちゃんいますか〜?」

「ん、誰か来たねー」

「あー、多分誰もいないからちょっと出てきます」


 楓さんに一言断って、玄関に向かう。


「すみません。お待たせs……」


 玄関から出て、その人物を見て僕は思わず息を呑んでしまった。


 そこに立っていたのは楓さんそっくりの銀髪碧眼の少女。……いや、よく見ると楓さんより少し幼い顔立ちをしていたが。本当にびっくりするくらい似ていた。


「どうかしましたか?」

「……いえ、すみません、……えっと今僕以外今ちょっと誰もいなくて」

「あっ、そうなんですか。ナスときゅうりのお裾分け持ってきたんですけど、あとで渡しておいてって……夏野……さん?」


 穏やかな感情を出していたはずの彼女は僕の名前を出した途端に怒りに似た感情に塗り変わっていく。今、もしかしたら何か失礼なことをしたか?と振り返ってみるも特に何かをした記憶はない。


「はい、そうですけど……、なんで名前を?」

「……ひょっとしてふざけてますか? 全部忘れたフリですか?」


 怒りのボルテージが上がっていく彼女。


「いや、忘れるも何も初対面じゃ……」

「やめてください! まだ続けるんですか?」


 なんで姉さんだけ、夏野さんは助かったのに……。


 そんな彼女の思考を読んで僕はますます意味が分からなくなる。


 姉さん? 僕は助かった? 短い会話だったはずなのに混乱しすぎた僕は一旦逃げることにした。


「あのすみません……一応名前聞いといてもいいですか?」

「……まだふざけてるんですか? ……はぁ、和泉日向ですよ」

「本当にすみません……」


 野菜を受け取るだけ受け取り、玄関の扉を閉める。本当に頭が痛い。僕はため息を吐きながら楓さんの元に戻る。


「あれ夏野くん、どうしたの? そんな複雑な顔をして」

「……初対面のはずの人にいきなり心当たりのないことで怒られてしまって……」

「それは人違いだったんじゃない? 世の中には同じ顔の人が三人いるって言うし」

「いや、僕の名前も知っていたんです」


 うーんと腕を組んで難しそうな顔をする楓さん。


「おばあちゃんの家なんでしょ。一回くらい前にも来たことあるだろうし、それでその時に何かしちゃったんじゃない?」

「そうかもしれないんですけど、なんか僕だけ助かって、お姉さんは……みたいな訳の分からないことを言ってたんです……。全く心当たりはないんですけど……」

「んー、まぁ心当たりがないなら気にしても仕方ないんじゃない?」

「そうですよね……」


 どこか釈然としないところはあったが、最早それしかなかったが一旦忘れてみることにした。


 そこで先ほど抱いた尋ねたいと思っていた驚きを思い出す。


「それと、その女の子、和泉日向っていう子だったんですけど知ってますか? ものすごく楓さんに似ていたんですけど……、親戚か何かですか?」

「うん、そんなものかな」

「……それだったらもしよかったら今度何があったのか訊いておいてもらえませんか?」

「オッケー、会えたら訊いておくね」

「お願いします」


 そんなことから数日。今日は珍しく朝から楓さんが遊びに来ていた。


「そういえばさ、夏野くんは何処かしら出かけないの?」

「……出かけるってこの田舎で具体的にどこに?」

「川で釣りするとか、山で蝉とかカブトムシをとるとか」

「どっちも暑そうだし、疲れそうだからいいかなと……」

「川なら涼しいじゃん。釣りだけじゃなくて泳げば気分もスッキリするし」

「……すみません。川はちょっと難しいんです……。なんというか水が苦手で」

「……ふーん、そうなんだ。まぁ私も川はあんまり好きじゃないからいいんだけどさ」


 しばらく二人の間に沈黙が流れる。その間も、僕たちに流れる空気など知る由もなく、蝉は鳴き続ける。


「ねぇ山行こうよ」

「えぇ……」

「最近というかこっちにきてからずっと家に篭りっぱなしでしょ。体にも悪いよ」

「それでも、面倒臭いし……」

「面倒臭いじゃない! はい、行こ!」


 最近、分かったのは意外と楓さんは頑固であるということ。こうなってしまっては仕方がないので朝のうちに祖母が作ってくれたおにぎりとおかずを弁当箱に詰め込み、家を出た。


 山に入って歩くこと十分ほど。ここかなと楓さんが立ち止まったところでカブト虫を取り始めて数分、突然悲鳴が聞こえてきた。悲鳴が聞こえた方向をハッと振り返ると誰か……助けてという思考が脳に流れ込んでくる。


 僕は虫取り網を持ったままその方向へと駆け出す。


 そして、僕が向かった先には足から血を流している和泉さんがいた。


「大丈夫ですか!?」

「……夏野さん……、こっちに来ないでください! 猪がいるんです」


 確かに和泉さんの指差す方向に大きな猪がいた。しかもこちらをじっと睨みつけている。思わず虫取り網を前に構えて猪とか向かい合う。


 手に持っているこんな細い虫取り網如きでは太刀打ちなど到底不可能なことが分かりきっている。


 まずいな……蛇に睨まれた蛙みたいだなんて冷や汗をかいていると背後から楓さんの声が聞こえてくる。


「背負ってるリュックから弁当出して、猪の背後、なるべく遠くに投げて! 冷静に、でも急いで!」


 現実に引き戻された僕は楓さんの指示通り、弁当を出して遠くに投げた。


 すると猪は飛んでいった弁当箱を追っていく。


「二人とも、今のうち!」


 僕は和泉さんの手を引いて、和泉さんを支えるように急いでその場を離れ山を下る。


 道路沿いまで出たところで後ろを振り返り、猪が付いてきていないことを確認してホッと一息を吐く。


「怪我大丈夫ですか?」

「はい。猪にやられたとかじゃなくて、逃げようとした時に足を滑らせて怪我しただけなので」


 自分一人で動けるアピールをするようにその場で屈伸をする和泉さん。ただそこであっ、と声を上げて蹲ってしまう。


「夏野くん、日向多分普通に足怪我してるよ」

「そうですね、家まで送ってきますよ」

「いや、歩けるので大丈夫……」


 あまりに弱々しい和泉さんの声は聞こえないふりをして、半ば強引に和泉さんをおんぶすると和泉さんの家まで僕は和泉さんを送り届けた。


「……あの、本当にありがとうございました。それと危険な目に遭わせてしまいすみませんでした……」

「いや、大丈夫なので気にしないでください。それじゃあ」


 そう言って僕は足早に和泉さんの家から立ち去る。


「ありがとうね。夏野くん。日向のことを助けてくれて」

「いや、あれは勝手に体が動いていただけなので……、そんなことより楓さんの指示がなかったら本当に危なかったです。こちらこそありがとうございます」

「ふふん。もっと褒めてもいいんだよ。……まぁ冗談はおいておいて私は夏野くんがしっかり男の子を、日向ちゃんの命を救っていて嬉しいよ。いつも家に篭ってるのに」


 正直かなり無理をして、カッコつけておんぶをしたということもあったので、なんというか最後の言葉を聞いて、ちょっとは運動しようと思った。


「というか猪とかいるんですね」

「最近増えてきたんだよね。猟師の方の高齢化で人手不足が深刻になってきて」

「そうなんですか……」

「それでどう、夏野くん? 猪狩らない? 若い人募集してると思うけど」

「経験もないので遠慮させてもらいたいです」


 うーん、残念とあまり残念そうではない声色で言う楓さんにくすりと笑わせられてしまう僕だった。

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