第21話 昔のことと彼は言ったって?
そっとカーテンを開く。外の様子を窺うだけのつもりでほんの十数cmほど。たったそれだけで思いの外、強い日差しが部屋を横切った。身動ぎと小さく唸るような抗議に僕は振り返った。
「すまない。起こしてしまったね」
「んー。ユーリ、眩しいわ」
「朝だよジル。起きてしまったのなら起きてしまうといい」
「……なによ。自分のミスをわたしの怠惰みたいに言わないでくれる」
部屋にいる人間が全員、起きたのならカーテンは全開にしてしまっていいだろう。こんな気持ちのいい朝なのだから。また届いた抗議に肩を竦めて応える。
「おはよう。ほら、いつまでもベッドの上に胡坐をかいていないで立った立った」
「起きたくない。あなたのせいよ。この体力バカ」
ころん、と再び横になってしまった姿に苦笑する。無造作に広がる金色も、胡坐の姿勢もそのままだ。
「ねむい。体が重い。おなかすいた。ユーリ、わたしお腹空いてる」
小さく吹き出してしまってから、僕は部屋の出口へと向かう。ご要望とあらば朝食を用意するにやぶさかではない。
「なにか希望は?」
「おみそスープ! それと、裸のままでは、キッチンには立たないでね?」
「駄目かな」
「駄目に決まってる! というか嫌! ユーリの嫌いなところの一つね。裸のまま家中をうろつくなんて、日本人はそれが普通なの?」
「いや、間違っても日本人に全体化しちゃいけない。僕個人の嗜好だよ」
「悪びれなさい。なんでそんな堂々としているのか理解に苦しむわ」
「君だって裸じゃないか」
「わたしはいいの。ベッドにいるんだから」
「そう。……早く降りてくるんだよ」
「起こしに来てよ」
「はいはい」
どうやらお姫様は二度寝の至福を貪る腹積もりらしかった。
〇
「はぁー。どうしておみそスープはこんなにわたしを満たしてくれるのかしら。もしかしてわたしって日本人の血も流れてたり?」
「どうだろうね。見たところ、あまり日本人的特徴はなさそうだけど」
「いやんユーリのえっち」
たしかに僕のシャツを着ているばかりの薄着の格好を上から下まで見詰めたが、ジルの言うような意識はまったくなかった。さすがに短いひと眠りではあちらの方は回復しない。
金髪、青い目、バスケットボールでも詰まっていそうな胸部、不釣り合いなほど細いウエスト、なのにがっしりとした骨盤。やっぱり少し訂正しよう。そういう目で見ていた部分も一割くらいはあった。そして存外、僕は僕が思う以上に元気なようだった。
〇
日差しの角度は朝とは随分変わってしまった。変わらないのは僕とジルであり、僕は窓際に立ちジルはベッドに突っ伏している。
「……もう一回寝るわっ」
ベッドの上で格闘する分には僕の百戦百勝である。ジルは不貞腐れて布にくるまった。
「ゆっくり休むといい。それじゃあ僕はそろそろ行くよ」
仰向けになって布の端から顔だけを出すジルだが、肢体に張り付くような薄地のせいで肢体の輪郭が浮きでている。
「いってらっしゃい」
「うん、いってきます」
距離と時間のせいばかりとは思えない不安混じりの言葉を背に、僕は出掛けるための準備をはじめた。
とはいえ身嗜みをきちんと整える程度だ。支度はとうに済ませている。日本に向かう旅支度は。
〇
世界は広い。どれほどインターネットが時間的広さを小さくしても、世界の大きさそのものが変わるわけではない。
その中に生まれるものの多様性や振れ幅は変わらないのだ。
ただ僕らは、出会いが多すぎる時代に生まれただけ。
日本に来た理由の一つを確認した後、僕は気分転換のつもりでもう一戦、ランダムマッチングのマルチプレイに潜った。リザルトには今の僕の数字に迫る戦績がもう一つ。
「すごいね、君。失礼、まだ若く見えるけど、
ボイスチャットに対面の約束を取り付け、施設の適当なスペースで落ち合うことに成功したのである。
「じゅ、十六です。あの、あなたは?」
「十六……」
制服姿の見かけからの判断より更に年若かったことに少なからず驚いた。
「『パンスタ』は……いつから? プレイ歴だね。何年目なのかな」
そして僕は驚きを通り越し、笑ってしまうことになる。
「えと、一週間?」
「……それは、冗談ではなく?」
「ほんとですよ。う、嘘つく意味ないじゃないですか。……ほんとになんなんですか急に」
「はっ……ははは、ははっ……いや失礼。……失礼。君を笑ったんじゃないんだ。ただ……そう……自分のツキが可笑しくなってしまってね。僕は薬深優里。『ドクトル』だ。このユーザーネームも、君は知らないのだろう?」
「馬鹿にしてるんですか? さっき一緒に戦ったじゃないですか」
僕はまた漏れてしまう笑い声を堪えきれない。謝らなければね。
そして感謝を。
世界は広い。
少し前に徹底的に打ち負かした彼を思い出す。
これで君を諦める、必要がなくなった。昔のことだって? 航。いま確信を持って、次は言おう。
昔のことなどではないのさ。
「なんなのこの人」
「ああいやすまない。それじゃあ、そうだね……まずは連絡先を交換しないかい?」
「え、嫌ですけど」
「……そう言わずに」
……とりあえず、僕は一人で浸っている場合ではなく、目の前の現実的な難局をどうにかしなければいけないようだった。
「嫌です。失礼します」
「あ、ちょ、待って!? 待って、ね!? お願いだから! 少しだけ待ってて、少しでいいから! 電話する間だけ、お願い!」
「えー必死すぎ……引くんですけど……」
急ぎ電話をかける。この後に合流予定の人物に連絡を取り、時間を繰り上げてこの場に来てもらうつもりだ。
「あっ、よかった。すまないけどいまからこられるかい? ……そこをなんとか頼むよ。もちろんタダでとは言わない。……欲しがっていたバッグ、あったろう? あれでどうだろうか。……助かるよ。それじゃあ申し訳ないけど急いでくれ、雪」
「ゆき?」
スマホを仕舞い、完全に不審者を見る目付きから若干だけ抜け出した目をする少女に向き直る。
「その制服、紀字高校の生徒だろう? そしてそれはラケットのケースだ、バドミントンの。貫崎原雪を、知っているよね?」
「知って……ますけど……」
「僕は雪の、おにいちゃんなんだよ」
昔のことなどではないのさ。
今なんだよ航。
きっと今が。
今が僕らの――。
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