第13話 師匠と弟子⑥
浩史と別れたあとに真っ直ぐ帰宅したいい子ちゃんな俺は、夕飯と風呂を済ませてから自室に引っ込んだ。時刻は21:00前。PCの時刻表示頼りの俺の部屋に壁掛けや置き型の時計はない。
僅かばかりの暇に、教室で同じように頭空っぽで背凭れに寄りかかっていた時を思い出した。気分がいいというか、落ち着いているというか。
そういう日、そういう時には、何かが起こるものなんだ。
俺は普段、どんな連絡どんな通知だろうとスマホは鳴らないし震えない設定にしている。緊急を考慮するならよろしくはないのだろうが、あるかもわからない一刻を争う事態よりも日常の煩わしさを減らす方がいい。
だから電話にしろチャットにしろ俺の反応は遅くなりがちだ。こうしてたまたま画面に着信表示があったタイミングに、それを見ていない限りは。
「……マジかよ」
思いがけない名前に一瞬、着信に応じるべきかどうか迷った。師匠だの弟子だの言われることもあるが、こんな時刻に通話するような間柄ではない。
かといって出ないわけにもいかないんだけど。
――――
貫崎原さんは忙しい人だ。予定はぎちぎち、スケジュールはぱんぱん、秒単位で移動とタスクをこなしていく。一分の隙もない時間管理に、後入りで用事を入れ込もうなどとそんなことは許されない。
「そんなわけないでしょ。向井君、私に責任転嫁しようとしてるよね?」
俺が、貫崎原さんの方にそんな余裕ないんじゃないかなぁ、というような発言をした結果がこのジト目である。
俺たちはいま、学校の廊下でお話し合いをしている。
「そうかも」
たしかに俺は心のどこかで貫崎原さんの都合がつかないからを理由に出来ればと思っていた。
「練習する日を変えるくらい普通に出来るから」
昨日の電話連絡から派生した話だ。貫崎原さんと取り組んでいる『雪姫』強化トレーニングの実施日を変更したいというそれだけの話。変更というかキャンセルで持ち掛けたんだけどね。それがどうしてか別日への変更路線で貫崎原さんは考えているらしい。
「でもわざわざ他の空いてる日探してもらうのもわるいし。だから土曜の予定はなしにして、それだけでよくないかな」
「そもそもわるいって言うなら、土曜日の予定キャンセルっていうのがもうわるい。楽しみにしてたのにさ」
楽しみにしていた。している。そう言って憚らないくらいに、貫崎原さんはめきめきと上達していっている。当初、俺やガル、健太さんや正義さんも一緒になってどうしたものかと危惧した懸念は、掠りもしない勢いで的外れなものだった。
『雪姫』はセンスのなさを補って余りある理論武装の天才だった。
一例を挙げるとすれば。
「だから体出すなって。当てようとするな」
「でも当てなきゃ勝てないし」
「そうだな。でもまず負けないことを覚えよう」
「……わかった」
ある日にこんな会話から、俺は貫崎原さんに自分が撃ちやすいということは往々にして相手からも撃ちやすいのだというようなことを伝えた。初歩、基本としての考え。貫崎原さんも言われればすぐに理解できること。
だからって二時間後に本当に負けないままタイムオーバーになるとは思わなかった。いやタイムオーバーは負けは負けなんだけど。
リロードタイミング、機体という名の機械ゆえの無理の利かせ方、射線管理。貫崎原さんが自分で気付き実践したことは少ない。
理論は俺が教える。『雪姫』はそれを武装する。
奇しくも俺が提案した俺たちのやり方は、貫崎原さんの資質に合っていたらしかった。
「これが師と弟子、というものか」
正義さんは感慨深げにそう言った。
「さすがに板についてきた感じもあるね航君」
健太さんは朗らかに笑った。
「でも師匠とか弟子って言うにはお二人の
ガルはガルルって感じだった。
「そういう風に見えますか? ふふ、これからもよろしくねお師匠さま」
貫崎原さんは悪ノリできるくらいには俺たち、ひいてはゲーセンに馴染んだ。
それもきっと、貫崎原さんが楽しいと思ってくれている一因だろう。
「向井君、聞いてる?」
俺の意識を確かめる声にはあまりやさしさ成分は含まれていなかった。
貫崎原さんは『パンスタ』の予定がなくなるのを多少なりとも惜しいと感じている。それはとても喜ばしいことで、なんならその事実に俺の方が校庭を走り回りたいくらい嬉しい。
「にやにやして……どういうことよそれ」
ジト目を超えて怒りの気配も漏れ始めてしまった。カンペキ俺の失態。恥ずかしい笑みを消すために自分の頬を張る。
「いや、貫崎原さんと、こうして話ができる……できる関係が続いてるのが嬉しくてさ」
師弟どうのは置いておくとして、『パンスタ』仲間が増えることが純粋に嬉しくて仕方ない。こればっかりは嘘を吐けない。
「なっ……そ……もうっ、そんなこと言っても誤魔化されないから! とにかく、土曜日に別の用事が出来ちゃったのはわかったから……別の日に! 埋め合わせはしてもらうんだから!」
「わかったよ。じゃあいつにする?」
「……それは、予定確認しないとわかんないじゃん?」
俺ならば確認する必要があるほどスケジュール詰まっていない。頭に全部入ってる程度の予定しかない。もちろんその場で断言はしないが、ここなら大丈夫だったはず、くらいは余裕でいくつか候補日を挙げられる。
なんだかんだ言っても、やっぱり貫崎原さんは忙しい部類の人なのだと思った。
「ならあとでチャットに流してくれればいいよ」
「うん、わかった。んだけど、向井君返信遅すぎないかないつも。と、私はちょっと思うんだけどなぁ」
「あー俺、通知切ってるから」
「……全部?」
「全部」
「誰から来ても?」
「うん」
「じゃあ、いっかな。いまはいいや。あでも、電話も出ないじゃん全然。いっつも後からチャットで『いついつの電話なんの用だった?』ってさ。それももしかして切ってるの? 通知」
「切ってる」
貫崎原さんは眉を寄せて訝しむというか非難するというか、そういった感情を顕著に見せた。
「それはどうかと思う」
「そう言われると、それはそうなんだけどなぁ。めんどくさくて」
咎めるような視線は更に色濃いものになる。
「一回くらいは、電話出て欲しいんだけどなぁ」
ただの一度も貫崎原さんからの着信に気付いたためしのない俺は、曖昧に笑って予鈴に助けられたのだった。
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