第12話 師匠と弟子⑤

 些細な切っ掛けに端を発したなんとも奇妙な関係も、二週間も続けば当たり前の日常になる。


「おはようございます」


「おはよう向井君!」


 登校直後、すれ違いざまに挨拶を交わすくらいは最早慣れたもの。言っておくがはじめから別に苦でもなんでもなかったですけどね、ええ。同級生に声掛けるくらい余裕ですよ。


「あの航が立派になって」


 ハンカチなんか目元に当てて茶化してくれる浩史が言うほど、立派になったわけじゃない。変わってなどいない。


 つまりいまだに内心じゃ一仕事終えた心地なのだった。


「ああ腹が重い。なんかこう毎朝毎朝、貫崎原さんの位置を祈りながら登校するのしんどい」


「今日なんかは声掛けやすい場所にいたもんな。ツイてるねぇ。星座占い一位だった?」


「知らねぇ見てねぇ」


「最下位だったぜ。わはははは」


 勝手に俺の前の席を占領する浩史には、椅子を底から蹴り上げて抗議する。ダメージは圧倒的に俺の方が大きかったから二度としないと思う。


「で、なんか用か」


「今度デカめのイベントあるんだよ。一緒に行かん?」


「今度っていつだ」


 なんか怪しい。そんな言い方、どう考えたって具体的な日付を確認されるに決まっているだろうに。


「再来週の土日」


「中間考査直前じゃねぇか。おバカさんかな?」


「うるせぇ! いこ――」


「行か。ない。」


 言わせないんだよねそんなセリフ。鞄から取り出した袋を投げつけて浩史の発言はシャットアウトだ。


「なにこれ。誕プレ?」


「クリスマスプレゼント」


「先走りにもほどがある。あ、今のは下ネタじゃないぞ?」


「あそうなんでもいいけど。頼まれてたやつ」


「相変わらず仕事がお早い。さんきゅ」


「手間賃込み百万円な」


「わかった。百万円分の真心を込めてバーガー奢るわ」


 なんだかんだと今日の放課後にはチェーン店の安心と信頼のハンバーガーを食べに行くことに決まった。友人と予定を組むテンポは気安くっていい。


 楽しみが出来ると俄然、勉強にも身が入るもので、いつもの一割増くらいには集中力を発揮した俺は、気が付けば放課後まであと授業一コマだとその時になってようやく気が付いた。


 今日は時間が経つの早いなぁ、とかそんなことを暢気に考えながら本日最終の休み時間を緩々と消費する。気分がいいというか、落ち着いているというか。たまにそういう日、そういう時ってあるよね。


 青い空に名前の知らない鳥が飛んでいて、耳には届くのに頭に理解するには至らないクラスメイトたちの雑談はこれっぽっちも不快じゃなくて、短いはずの休み時間はいつまでも終わらないようで。


 そういう日、そういう時には、何かが起こるものなんだ。


 ――予感は予想よりも遅く現実になった。


 学生たちがよく利用する店舗の二階に二人席を確保した俺と浩史は、向かい合ってトレーをテーブルに置いた。


「ゴチでーす」


「他人の金で食うメシは美味いか」


「めっっっちゃうまいっ」


「だよねー。おれもそう思います。ま、おれの金なんておれが稼いだわけじゃないからなぁ」


 それは、だから痛くもなんともないとか、そういう浅いところから湧いてきた言葉ではないのだろう。俺などよりずっと勉強ができる浩史に、進学という選択肢はない。


 だからって俺が遠慮すると思うなよ!


「あとでシェイクも頼んでいいか?」


「……SサイズなSサイズ」


「スーパーサイズおーけー」


「おまえそれ店員に言えよ? 絶対言えよ?」


「オーノー。冗談ですやん」


 バンズもパティもおいしい。やはりバーガーは出来たてに限る。食べたり飲んだりと会話とを好き放題にし尽くした頃合いに、店内はなんとも居心地よく繁盛と閑散の中間にあった。空席は充分、されど人影も充分。ほぼ空のトレーで居座るに最適って感じ。


「イベント、だっけ? どこでやんの? てかなんのイベント?」


「アキバ。新作ゲームの発表会」


 端的に答えながらスマホを操作する浩史は案の定、次には6.5インチ画面を見せてきた。


「へー。けっこうデカいじゃん。お、コスプレもありと。一部予約制ってこれ予約してんの?」


「いやしてない。行くかわからなかったしな」


「ふーん」


 時間や出演者なんかにも目を通し、これなら行ってもいいかなと思ったりもした。なんにせよイベントなんて参加したらしたで大抵はなにかしら楽しめるものだ。


「航……気付かないか?」


「なにを? あ、そういえば浩史の推しの声優は来ないじゃん。ゲームの方には参加してんのに。ははーんなるほど、つまり……推し変、したってわけだな?」


「おまえさ、バカだよな」


「バカって言った方がバカなんですぅ」


 そりゃ浩史に比べれば学業成績は一段落ちる。それは否めない。だがしかし、だがしかしだ。人間の能力、頭脳、尊ばれるべき知性、それらはテストでは測ることが出来ないものだ。人々が自由の答えを求める限り、それらは決してとどまることはない。うん、やっぱバカかもな俺。


「はいはいそれでいいから。とりあえず、貫崎原さんにも声を掛けてみろって」


「は? このイベントにってことだよな? え、なに、一緒に行こうぜベイビーって誘えと? はぁ! 自分で誘えよこのムッツリが!」


「ちげぇよ。いいから。誘ってみろって」


「なんでなんで。てか二人で行けよ。おまえはこのイベントに興味がある。貫崎原さんはコスプレする人。俺はどっちでもない。はい論破ぁ。このイベントには浩史と貫崎原さんで行くべきですー」


 圧倒的論破力。自分で自分が怖いね。


「だいたいこの日はなぁ、貫崎原さんの練習日なんだよ。だから行けねーの」


「だからっ……。……は?」


 浩史が機能停止した。二秒後、クソデカため息を店内に響かせやがったせいで一緒くたに注目を浴びてしまった。


「はやく言えやぁぁ。はぁぁぁ。なんで、イベントのこと訊いたんだよ」


「いやだって、気になったから」


「……少年かよ」


「一応、青年じゃね? 十七は」


「少年だよ航は」


「褒めてるかそれ」


「おれにもわからん」


「……むずかしいお年頃なのね浩史くん」


「……ポテト食おうぜ」


「冷めちゃうもんな」


 結論としては、冷めはじめる前にポテト食べればよかったね、という認識を確かめ合った。非常に無意義な時間を過ごしたのではなかろうか。


 浩史が虚脱感を訴えたため退店は陽が沈み切ってからになった。

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