第10話 師匠と弟子③

 通算云回目かもわからないタッグマッチに、今日はなんだか運がないみたいな? そんな感じで? 決して実力ではない何か大いなる力の作用によって敗北したため、俺は早々に頑張る教え子の見守り体勢に入った。決して決して、自分の凡ミスに嫌気が差したのではない。


「すまんなぁガル……俺がっ、俺のこの手がっ……言うことを聞かなかったばっかりに!」


 右手首を左手に握って目線の高さに掲げる。隣で付き合いのいい後輩が気持ちよく笑い飛ばしてくれた。


「なに言ってんすか航さん。航さんが頑張ってくれたからあそこまで肉薄できたんすよ。そもそも『釣りストファイナル』は水戸蔵さんが抜けて上手いんすから! 善戦したっすよ!」


「ほんとに? 俺頑張った?」


「自分が保証するっす!」


「だよな~。いや俺も薄々そうなんじゃないかと思ってたんだよ~。うんうん、最後にちょーっとミスしたけどそれまではマジ神降臨だったかんな。俺は悪くないよねぇ~」


 事実、スコアランキングは更新したのだ。更に上をいった健太さん、とおまけで正義さんが変態職人なだけ。なんすかダブルヒットォって。なんで餌一個で二匹釣れるのおかしくない? これだからゲームってやつは。


 休憩のために設けられた背の高いテーブルに紙コップを二つ並べた俺とガルはぐだぐだと管を巻いているのだった。


「ガルはさぁ、受験どうすんだ? どこの高校受けるの?」


「もちろん紀字っす!」


「え、うち? マジ?」


「マジっす! ただ自分の学力だと少し厳しいんで……勉強教えて貰えたらなぁって思うんすけど……駄目っすかね?」


「えーいや全然いいよ! マジかぁ。なんでまたうちの高校受けんの?」


「それはもちろん航さんの通う高校だからっす!」


 やだ、なにこのかわいい後輩。


「というのは冗談すけど」


 やだ、なにこの小憎らしい後輩。


「普通にいいとこだと思ったんすよ。自由な校風とか。学祭なんかも楽しそうだったっすから。そうだ、今年の『正桜祭』、自分行ってもいいっすか?」


「おいでおいで~。けっこう本気で考えてる感じなのな。なら現役紀字生として俺になんでも訊いてくれ給えよ少年。この紀字の生き字引がなんでも答えてしんぜよう」


「そっすねぇ……今度ちゃんと時間貰ってもいいですか?」


「おけ。わーうわ、なんか嬉しいわ。ガルが後輩かぁ……俺留年しようかなぁ」


「やめてくださいよ。ちゃんと卒業してください」


「はは。あそうだ、一個だけ。これは紀字高校についてのめちゃくちゃ大事なことだから一個だけ先に伝えておかなきゃいけないんだが」


「な、なんすか。ガチなんすか」


 俺はたっぷりもったいぶって深めの呼吸をしつつ視線を斜め下に送る。事の重大さを態度にも表したのだ。ガルにも伝わったようでごくりと喉を鳴らしている。


「うちの……女子の制服は本気でかわいい」


「そんなことだと思ったっすよ~。航さんそういうとこたるいっす。あー緊張して損した」


「はははっ。でもほんとほんと。すげーかわいいから。あと」


 口元に手の甲を当ててガルの方に顔を寄せる。屈み気味になってくれるのありがたい。


「スカート。短い」


 サムズアップも付けておいた。同じハンドサインが返ってきた。俺たち男の子。


 来年、新高校生に素晴らしき春が訪れんことを。


 俺とガルがもう一歩踏み込んだところで絆を繋いだ、次の瞬間に二人して肩をびくりと跳ねさせる羽目になった。


「向井君。と、山東君だったよね? なにしてるの?」


「お、おおお、お、おつかれさまです貫崎原さん。今日はもう上がりっすか? はは。ほんとおつかれさまー。じゃないかなーって。きょ、今日はいい天……天気だよね。ハハ」


「はい、山東っす! でもガルって呼んでくれていいっす! お願いシャス!」


「うん。じゃあガル君。改めて、私は貫崎原雪です。向井君のクラスメイト。よろしくね」


「もちろんっすよ~。航さんのご友人なら当然、仲良くさせてもらうっす! よろしくっす!」


 貫崎原さんはお上品に笑って、友好の印だろう握手を求めた。ガルも応じないわけがなく、こうしてここに新たな友情の橋が架かったのである。良き哉良き哉。


「それで、ガル君は紀字高校を受験するんだって?」


「あ、そうなんすよ」


「私が言うのもなんだけど、うちってけっこう偏差値高めじゃない、頑張ってね受験勉強。向井君だけで不安になったら教えて? 私これでも学年で五本の指には入るから。勉強、教えてあげられると思うな」


「マジっすか!? すげーっす! えーと、その時はよろしくお願いするっす!」


 ガルが頑張って社交辞令会話を学んでいる傍ら、俺はすべてを諦め天井を仰いだ。


 だって貫崎原さんの手が俺の制服をがっちり掴んで逃がしてくれないんだもん。


「ところで……志望動機……もう一回聞かせてくれるかな?」


「あ」


 ガルよ。そこで貫崎原さんの全身を上から下までしっかりばっちり注視するのはどうかと思うぞ。いや気持ちは痛いほどわかるけどね。


 とてもかわいいよね。貫崎原さんの制服姿。


「……あー自分! 用事思い出したっす! じゃ! お先にっす! 失礼しますっす!」


「ガル!?」


 一瞬の出来事だった。拘束を受けていないガルは健脚を発揮してあっという間に遠ざかる。


「に……逃げやがった! 俺を置いてっ……俺を置いてっ!」


「人望だね」


「ガル……信じていたのに……」


 あの日から、俺はガルを弟のように可愛がり、ガルも俺を兄のように慕ってくれていると、そう信じていたのに。


「なぜだガル……。俺はとても深く傷ついた。このままでは晩御飯は喉を通らず夜には枕を涙で濡らすことになるかもしれない。かわいそうなクラスメイトには優しくするべきだと思う」


「……。……正直に言ったら、優しくしてあげなくもないかな。……どう?」


 貫崎原さんは俺の制服から自分の制服へと摘まむ対象を変更した。両手でほんの少しだけスカートを広げる。


「かわいいと思います」


 THE・女子高校生って感じの制服をかわいいと思っているのは三年前からの事実である。こんなこと浩史とあとさっきガルにしか言ったことなかったのに。


「もう許して」


 制服に対しての感想とはいえ、面と向かって語るのは精神の摩耗っぷりが凄まじい。俺は織田くんのように気軽に女子の服装とかアクセサリーだとかを褒められないのだよ。わかるかね? それがモテ男子と非モテ男子のマリアナ海溝よりも深い溝、差、埋めることの叶わない非情な現実なんだっ。


「……きょ……今日はもう帰る。……じゃあねまた明日」


 顔を背けて笑いでも堪えたのだろうか貫崎原さんの、それは優しさに違いなかった。


 一人になったゲーセンで俺はテーブルに片手をついて体重を預ける。


「つ、つかれた……。あとガルは今度絶対ボコしたろ……ふ、ふふ、ふふふふふ」


 背中に健太さんの声が聞こえる。


「あわわ、航君が壊れてしまった。えらいこっちゃだ」


 このあと滅茶苦茶八つ当たりした。ゲームで。


 ――ねぇえ! なんで勝てないのぉ!? 健太さん『釣りストファイナル』うますぎかよちくしょうめっ!

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