第8話 師匠と弟子①
翌日と翌々日には何もなかった。俺アンド浩史、と貫崎原さんとの間には。
俺と貫崎原さんとが不思議遊戯体験をした月曜日から丸二日、ほんとーに何事もなく平穏無事な日を過ごしたのだ。
「夢だったのかもしれねぇ。……痛い痛い痛い! ばかやめろあほ!」
ボールペンの尻で脇腹を抉ってくる親友に俺は非難の声を上げる。かなり容赦ない食い込みは過去一痛かった。
「夢じゃないだろう?」
ニヒルな笑みを浮かべても、クラスの顔面偏差値を上げも下げもしない俺たちには似合わない。浩史のすかした表情に、けっ、と顰め面を返してやった。
俺と浩史は休み時間の三分の一ほどを月曜放課後の話題に費やしているところである。
「航がバカなこと言うのがわるい」
「そんなことはない」
「そんなことはなくはない」
「なくなくない」
「なくなくなくない」
「え? なんて?」
俺は自分のキュートなお耳に手を当てる。浩史の手が伸びてくる。
通信空手を嗜む者同士の攻防は、まるで達人が酔っ払って半分寝たままやる気なく行う組手の如くだった、とのちにクラスの誰も語らなかった。
手がいたぁい。
互いに手をぶんぶんと風に晒して痛いの痛いの飛んでけなことしばし。
「実際のとこさぁ……どうなんだ? 『パン……ゲーム教えることになったんだろ? ほんとにやるのか?」
こいつ……スタ』が出てこなかったな。
「そんなに睨むなよ。どうなんどうなん。貫崎原さんといえばおれたちからしたら高嶺の花もいいとこだろ。お近づきになっちゃってぇ、羨ましぃ!」
浩史の語尾上がりには感情が乗りに乗っている。つまり一片たりとも羨ましいなどとは思っておらず、この状況にただただ愉悦していやがるというわけだな。
「フッ。浩史も知っているだろう? 俺はこの二日間……一言も貫崎原さんと話していない!」
「それはどうなん?」
「素直にごめんなさいなの!」
ゲームセンターに出会うことがないのはもちろん、そもそも学校の外では影も見ていない。それはいい。いまままでどおりだし何も不自然じゃない。
だがしかし、学校の中、クラス内にすら貫崎原さんを避けに避け、挨拶にすら会釈程度しか返さない俺は普通に失礼。誠にごめんなさい案件だ。
「どうしても緊張しちゃってぇ」
>< な目で胸を抑えるように両手をクロスさせる高校三年生男子(イケメンでない)は西木浩史のテンションをだだ下げすることに成功した。
「はあああああ。どーーでもいいけど、あんま調子乗りすぎんなよ? あと一年ないっつっても、居心地悪い学校生活は送りたくないだろ? おれもおまえもさ」
「そうだな。わかってる、ちゃんとしとくよ」
浩史は肩を竦めた。
「頼むぜ」
予鈴が間近に迫ったために浩史は自席に戻っていく。次の授業の担当教師はチャイムと同時に教室にやってくることで有名だ。
俺はこそりと貫崎原さんたちの様子を窺う。クラスで一等、存在感を放つ集団。陽キャの集まり。カーストトップの青春謳歌者たち。
その中にあってさえ自然と中心になってしまうようなお姫様は、なんで俺如きと目が合っただけで小さく笑みを形作るのだろうか。
「あ、お姫様だからか」
すっかり失念していたが、そういえばお姫様とはそういうものだった。可愛くて優しくて博愛精神の、誰にでも笑顔を向けるそういう。
午前の雲が白くて高い。手が届くわけはないから、それを掴もうと手を伸ばす意味はない。
授業、休憩、また授業。お昼ご飯を挟んでまたまた授業。休憩、授業。
実に真っ当に学生の本分を全うした三年三組一同は、それぞれのご褒美タイムへと突入していく。ご褒美じゃないという人もまあまあいるんだろうけどそれはそれ。とっくに部活を引退済みの俺も速攻、教室を後にする。今日は浩史とは別行動。今日もか。
午前中にあれこれ話したことなどとうに忘れ去って、気分よく靴を履き替えていた俺は、だから今日も昨日、一昨日と同じタイミングで校門を出られると思っていた。
「あ、向井、帰るの?」
「うん、はい。帰ります」
「そっか、じゃあちょっと待っててよ」
なんで? なにを?
「ざきばら、今日は部活、時短だから」
「……だから? え、だからなに、ですか? なんで待たなきゃいけないの」
「あっはっは。いいから待てや」
「あ。ハイ。待たせていただきます」
「んじゃ教室で待っててあげて。ざきばらには言っといたげるから」
「ありがとうございやす姐さん」
「え、おもしろー。向井ってそんな感じなんだ。まぁ今度はったおすけど。誰が姐さんだ、あん?」
「ははははは」
笑っとけ笑っとけ。万事これでうまくいけ。頼む。
貫崎原さんとおそらく一二を争うほど仲の良い女子からの言いつけにより、俺の下校時間は遅くなることが決定したのだった。颯爽と去っていく背中に不満の視線を、ぶつけようとしたらすごい勢いで振り返られたので笑って手を振っておいた。女子、こわい。
そういうわけで出戻り教室で待つこと一時間半。いやなげぇよ。なにが悲しくて誰もいない教室でスマホ弄ったり教科書広げたり黒板を無駄にめちゃくちゃ綺麗にしてみたり窓際で強者感演出の研究したりしなきゃいけないのか。
おかげで待ち人来るとも俺はすっかりその相手に対する面倒くさい感情を抱く気力もなかった。
「うわ、ほんとにいるし! ごめん向井君、さっつんが! んーん、それより待ったよね? 待っちゃったよね!? ほんっとごめん。さっつんにはあとでみっちり言っとくから。許してあげて? ね、お願い」
「そんなに気にしなくていいって。というか結局、待ったのは俺だし。
「あんまり?」
「まぁ……あんまり」
「うん、やっぱあとで言っとく」
「お願いします。……ほどほどでいいからね?」
「ふふ、わかった」
さっつんこと片桐さんの気の強さは俺でさえ少なからず知っているレベルだ。貫崎原さんが今更、多少言い含めたとてそうそう変わることはないだろう。それに性格なんていうのは往々にして良し悪しあるもの。気が強く自分の考えを押し付けるのは、翻って筋を通し責任を負う気高さにもなる。
「それで、こうして待っててくれたわけだし……今日は私もこのあと時間空いておりますが……やっちゃう?」
「貫崎原さんがいいなら、折角だしな」
「ふー、よかった。向井君、学校じゃぜんぜん話してくれないから、嫌われた、とかいやになったのかなとか、色々考えちゃったよ」
「それについては本当にすみませんでした」
頭は下げるが言い分はある。
「たださ。『パンスタ』教えるのはいいけど、それはゲーセン限定の話であって、学校では出来るだけいままでどおりがいいと思うんだよ」
「いままでどおりぃ? 全然いままでどおりじゃなかった。もっと、ずっとひどかった。避けてたもん私のこと。露骨にさ! おはよーって言っても、こう。こうだもん」
ペコ、ペコ、と浅いお辞儀を繰り返す貫崎原さん。なるほどこれは非常に印象悪い。
「ほんとごめん。あれはさすがに俺が全面的に悪かった。もうしません」
「じゃあ許します」
校舎一階に続く階段を下りながらほっと胸を撫で下ろす気分になったのも束の間、許しにはそのあとがあった。
「ただし! 向井君は以降、自分から私に毎朝おはようって言うこと!」
「わかりました、お――」
少しうしろを歩いていた貫崎原さんは、窓から差し込む夕日に照らされて、まるで。
「わかりましたお? ふざけないでよね、真面目なんだから」
「ああ、うん。わかった、朝に会った時にはちゃんと言うよ」
自分の正気を疑う傍らに応じる。だからあまり深く考えが及んでいなかった。
「ちっちっちっ。毎朝、自分から私におはようを言いに来るように!」
それは話が違うと言いたい気もしたけれど、貫崎原さんが楽しそうだから、俺は結局その罰を受け入れた。
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