第6話 解けない雪⑥

 二回や三回の経験でなにが変わるわけもないし、俺が横に居たとてそれは同じことだ。多少の助言だってすぐに飲み込める人もいれば咀嚼に時間のかかる人もいる。今回であれば貫崎原さんは後者だったということ。


「いったん……今日はこのくらいにしておかない? ね、向井君」


「そうしようか」


 狭い空間に肩を並べること一時間弱、精神的な疲労が大きそうな姿に俺からは同意の返答以外でようはずがない。貫崎原さんは館内に設けられたテーブルに両手をついて天井を仰ぎ見た。


「向井君は、まだ時間大丈夫?」


「反省会も後日でいいよ」


「ちがくって。あのさ、急すぎたでしょ? ……こうやって話すことになってることだとか。そもそも細かいところをなにも……訊かなかったじゃん向井君」


 言われて脳裏に振り返る。発端なら先週の土曜日だろうが、そこから今日はまだ月曜日で、状況が動いたのなんて放課後か昼休みからだからほんの数時間ということになる。


 俺と貫崎原さんがゲームセンターに顔を合わせている奇妙が生み出されるまで、あまりに短い時間しか経っておらず、あらゆることがトントン拍子に進みすぎた。


 なんだか急に怖い気分。俺、貫崎原さんに馴れ馴れしくなかったか?


「それは、ですね。別に動機とか事情に興味がなかったわけで、そういう貫崎原さんの方のあれこれより……俺は……ただ『パンスタ』やる人が増える、いるっていうのが……嬉しかった、んですよね」


 気が逸って距離感を間違えていた交流だって、存在がなくなるわけじゃない。冷静になった後にまでさきほどまでの調子では話せないけどな!


 俺は今更ながら貫崎原さんの姿を視界に収めないようにあらぬ方向を見遣りつつ話を続ける。そうすること自体がもう、俺と貫崎原さんのありえないはずだった距離感そのものだ。


「だから……貫崎原さんは今日は、どうだったかな。たのし、くはなかったかもしれないけど、続ける気はまだあるかな、てのを、俺は気になるわけでして。ど、どうっすかね」


「続けるよ、もちろん。また教えてね? 向井君こそ、私があんまり下手でいやになってたりしない?」


「しないしない! するわけない。それならよかった、です」


「はい!」


 貫崎原さんは突然に右手を高く突き上げた。というより、これは挙手だろうか。


「いやなこと一個あった。そのたまーにする敬語。それやめてよ。向井君ぜんぜん敬語キャラじゃないでしょ」


「キャラて。貫崎原さん……そういうのもわかるん、だな」


「IDカードも見せたでしょ? けっこうアニメ見るし漫画読むよ私。ゲームだって、ゲームセンターはあんまりだけど、普通のゲームは普通にやるし。あ、もちろん男の子のやつね?」


 それはどのレベルまでの男の子向けなのだろうか。貫崎原さんに通じる話の広さはわかったが、迂闊な話題を振れないことに変わりはない。浩史とするように肌色面積と性能との相関関係を論じるわけにはいかないのだ。


「兄弟いるんだっけ?」


「ううん、いないよ」


 更に触れづらくなった。高校三年生、美少女。交際経験の三つや四つは軽くこなしているはずだ。そっち方面、俺が言葉に窮すること必至なので極力避けていこうと思う。知識は時に経験の前に無力だ。


「じゃあ……とりあえず今日のところは、これで」


「用事がある感じなんだ?」


「別にないけど」


「……ふぅ。私質問したよね? このあと時間ありますかって」


「そういえば。でも今日はもう上がろうって話になったよな?」


「なってないよっ。たぶん向井君が勝手に勘違いしてるんだから。私は、このあとに『パンスタ』とか関係なく、お茶しに行こうよって言ってるの」


「え。えぇ……」


 俺は驚愕と困惑をブレンドして声を出す。ついでに体は引き気味できっと眉の間に皺を刻んでもいる。


「あーいやそう! ひどいんだ!」


「いや嫌っていうか……それはおかしくない?」


「だんっぜん……おかしいのは向井君っ。なに? ただのクラスメイトと喫茶店に入る勇気もないの? へー。高校三年生にもなってねぇ」


「そこまで言うなら行きますが? あーうん……行かせてもらいます」


 煽りに乗ってついつい承知してしまってから後悔する。俺ってば安い男。


「あはは。向井君けっこうチョロいね。よしよし。じゃあ行こうすぐいこー」


 言うが早いか歩き出す貫崎原さんに先導されて出口に向かう。


「人のことチョロいとか言うなよな」


 自分で思うのはいいけど他人に言われるのは違うじゃん? 別に本気で気に障るわけじゃないけども。


「ふふ。はーい」


 敬語癖は貫崎原さんにもたまに顔を出すよなと、益体ない思考はたぶんちょっぴり現実逃避だった。


 目的の喫茶店はゲームセンターの真横にある。何の変哲もないチェーン店でありだからこそ変な緊張をすることもない。俺もそれなりの回数利用させてもらっている店舗だから安心感も一入だ。


 俺は紅茶だけ頼んだ。貫崎原さんはコーヒーとケーキ。飲み物も食べ物もすぐに提供され、さてじゃあこれから何をどう話せばいいだろう。


「うん、おいし。いつもの味って感じで安心する~」


「美味しいよね、それ」


「うん」


 ほんとに何を話せばいいんだ誰か教えろください。てか貫崎原さんが喋るべき。ケーキ食ってないでさ。などと俺は思うんですよ。こっち見てケーキの美味しさに表情を溶かす暇があるなら食べるためばかりではなく口を開いてはくれまいか。あるいは逆でもいい。食べ終われば会話以外にすることもないはずである。


「食べるのに集中したら?」


「そんな勿体ないこと出来ないよ」


 高校生の懐にもやさしいお値段とはいえ、スイーツに集中しない方が勿体ないと思うけど。


 暇なので窓の外の観察も続ける。店内と貫崎原さんと窓の外とを意味もなく順繰り視界に収めてみたりしている。二階窓際の席からは駅前の人だかりが見下ろせる。貫崎原さんははじめて見る笑みを浮かべている。店の中に人影は少ない。


 ある程度で甘いもの摂取のスピードを緩めた貫崎原さんはフォークを置いてコーヒーカップを手に取った。


「今日はありがとね」


「いいよ別に」


 貫崎原さんは首を横に振った。肩口に黒髪の先端が揺れる。


「急だったし、無茶なこと言ったのはわかってるの。向井君じゃなきゃ、きっと断られるような話だった」


「そんなことないと思うけどね。たいていの人は断らないと思うよ」


「そう。……けっこう、勇気出して声掛けたんだぁ」


 貫崎原さんの背中が深めに背凭れに沈む。


「こういう趣味は周りの人たちはあんまり、ううん全然、興味ないから。私がちょっとオタク趣味なのは知ってるけど……それだけで」


 瞑目して思い出している『周り』はどこまでなのだろう。クラスの人たちか、学校か、はたまた外の友人、家族。少しだけ同情する、陽キャも大変なんだなぁ、とか思いつつ紅茶しばくくらい実はそんなに深刻には受け止めていない。俺には関係のない話だ。


 ただ、思い出して思い当たったこともある。


「もしかしてたまに俺と浩史が話してるとこに入ってこようとしてたのって」


「やっと気付いた。そうだよ、オタク友達作りたかったの。なのに二人して、他人みたいな空気で壁作ってさ。あれすっごく傷ついたんだから。そう、すっごく傷ついたの。賠償を請求する権利があると思います!」


 十回はない程度だろうか。俺と浩史が楽しくオタク語りをしていると、貫崎原さんがなになになんの話的強引さで割って入ってくることがあった。その度に無駄な緊張感と疲弊とを覚えたものだ。


「ないだろ」


 損害賠償は俺の方が請求したい。


「冷たっ。向井君の反応が淡泊だぁ」


「まぁ、そういうことなら、悪いことしたよ、そこはごめん。今度浩史にも言っとくから、今後は仲良くして……いけると思う、たぶん」


「私と向井君が?」


「いや貫崎原さんと浩史の話だろ? 浩史は俺よりサブカル詳しいから。たしかコスプレも、自分じゃやらないけどイベントに行くこともあるって言ってたから、二人で行ってみればいいんじゃないか」


「そうだね」


 貫崎原さんの方こそたまに反応が淡泊というか声色が平坦である。もしかしてオタク気質の人間によく現れる特徴だったりするのだろうかこれ。


「とにかく、そういうことだから、これからは仲良くしてくれれば嬉しいなって思ったりしないこともないから仲良くしてくれればいいよそれがいいと思う絶対いいと思う」


 とりあえず早口はオタクの特徴の一つとして挙げていいと思った。

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