真夜中と死と君の影と
猫菜こん
真夜中と死と君の影と
死を望むのは、今時珍しいものじゃない。
誰だって“死にたい”と簡単に思うし、自分が行動に移してしまえばそれで終わり。死ぬも生きるも、自己負担なのだと最近になってようやく分かった。
その二つで自分は“死”を選んだ。理由なんてほんの些細な事。高校だ。
一応このド田舎の中の進学校に進んだはいいものの、まぐれで合格したからか全く進度についていけていない。
このままでは大学進学も危うく、自分なりに懸命に勉強してきたつもりだった。
だが現実はそんなに甘くない。大学進学どころか、進級までも危ういんだから。
高校へ進学した事による急激な環境変化に多大なストレスが溜まり、そこそこに人付き合いも変わり、進むのが早い高校ゆえの悩みを持たずにはいられない。
そのせいで食事も充分にとれず、生活に弊害をもたらしていた。
成績も徐々に下がっていって、入学当初は中の上くらいだったはずなのに今では赤点ギリギリ。小テストでも満足な点が取れず、そんな自分が悔しくて夜な夜な涙を零す事も多かった。
毎日を生きるので手一杯。高校では単位もかかっているから休むわけにはいかないし、その割には心の安寧がなさすぎる。
そんな代わり映えのしない日々に、とうとう嫌気が差してしまった。
幼い頃から何度も訪れていた、寂れた展望台。ここに人が来るなんて事は滅多になく、ほとんど自分一人が独占している状態だ。
今にも壊れそうな柵に手をかけ、真夜中の寒さに身を委ねる。
あぁ、やっぱりここは、ここだけは自分でいられる。
自分なりのストレス発散方法も見つけられない唯一の楽しみは、この展望台に足を運ぶ事。そして、この展望台から見える永遠に広がる空を見る事だ。
……だが今日は、ただ見に来ただけじゃない。この景色を最後の記憶にして、死んでやろうと来たんだ。
死ぬなんて、簡単に思うものじゃないって事だけは分かっている。だけどどうしても、“死”がよぎる。
死んでしまえば楽になるのだろうか。死んでしまえば、何もかも捨ててしまえるのだろうか。
死んでしまえば……もう必死に生きなくていいのだろうか。
あ……月見えるじゃん。今日は曇ってないから尚更クリアに見える。
偶然視界に入ったのは、半端な三日月。満月とは程遠い、中途半端すぎるものだ。
でもどうしてだろう、こんなにも見とれてしまうのは。
不完全なはずなのに、綺麗に映って仕方がない。月って不思議だ、どの状態でも美しいものなんだから。
……これが最期の景色って、なんかもったいないな。
そう思いながらも、強く死を願ってしまう。
死んでしまったら……どうなるんだろうな。
「……ねぇキミ、お隣いい?」
寒空をぼーっと見上げていた自分の中に切り裂いて入ってきたのは、鈴の音のような綺麗な声。
今は午前1時。こんな時間に、しかも女の子って。
何だ誰だと不満に、そして不思議に思いつつも、死ぬ事を留まって振り返る。
……と同時に自分の目に映った景色に、疑いをかけてしまった。
そこには、絹のような白髪で雪のような白いワンピースを纏っている幼い女の子がいたから。
見たところ十歳とかその辺りだろうか、どう見ても小学生くらいにしか見えない彼女に驚きを隠せない。
何でこんなところに女の子が……そもそもここは、村の長寿な爺さんでも知らないような場所なのに。
そう不審に考えつつ、恐る恐る声をかけてみる。
「な、なぁ、ここは幼い女の子が来るような場所じゃないぞ? ここは危険だし、真夜中だからすぐに帰りなさい。」
「その言葉、キミにそっくりそのままお返しするよ。」
「……。」
少し脅かして帰らせようと考えていたのに、淡々と返されて言葉に詰まる。
何なんだこの子は、全然小学生に見えない。
見た目こそは小学生のはずなのに、異常に大人びた立ち居振る舞いと言葉遣いで気味悪く感じる。
結局言葉が見つからなくて押し黙っていると、彼女はゆらりと歩いてきて俺の隣に腰を下ろした。
無造作に伸びた雑草が、ガサッと一つ音を立てる。
……一体何がしたいんだろうか。
安直でつまらない疑問が浮かぶ。我ながら相変わらずだ。
けどなにか言わないと場が持たない。そう分かっているから、とりあえず声をかけようとしたら。
「キミさ、死ぬの?」
「っ……、どうしてそんな事――」
「私の質問に答えてよ、ここで今から死ぬの?」
ゾワッと、覚えた事のない鳥肌が広がる。
死ぬの、なんて……軽々しく聞くものじゃないだろ……。
もしかして彼女も……――。
「あ、ちなみに私はキミみたいな考えは生憎持ってないものでね。ここに来たのはただの気まぐれさ。」
馬鹿みたいな俺の予想は、あっけなく外された。
気まぐれって……気まぐれでもこんな場所来ないだろ……。
でもサラッと否定した彼女に何かを言う気にはなれず、そのまま口を閉ざす。
そんな俺を見てか、彼女はこっちを向いてニコッと微笑んだ。
「キミも座れば? どうせまだ死ぬ気なんてないでしょ。」
「……あんたにそう言われる筋合いなんて、ない。」
「だったら私だってそう。キミにそうやってたてつかれる筋合いなんてないよ。」
ああ言えばこう言う、というのはこういう事を言うんだろう。
可愛げのない小学生だな……、小学生かどうかは怪しいけど。
まぁどうせその内飽きるか眠たくなって帰るだろ……そんな能天気な事を思った俺は、このままほっとく事にした。
ふともう一度空を見上げると、中途半端な三日月が視界に広がる。
どうせ俺は、今日で死ぬつもりだ。隣で同じように空を眺める彼女にいくら言及されたとしても。
……俺に救いなんて、もうないから。
「ねぇキミさ、どうして死のうなんて馬鹿な事を考えるの?」
「……あんたは千里眼でも持ってるのか?」
「さぁね。なんとなくそう思ったのが当たっただけ、確信なんてなかったよ。」
「じゃあ俺はあんたに嵌められたって訳か。」
「心外だね、そんなつもりはなかったよ。」
意地悪く言うと、彼女は困ったように眉の端を下げた。
まぁそりゃ、人の心が読めるなんて普通あるわけないもんな……逆にこう言ってくれて良かった。
なんて意味不明な安堵の息を零すと、落ち着いた彼女の声が耳に飛んでくる。
「まぁ否定しないって事は、死ぬつもりで間違いないんでしょ? 何で死のうとしてるの?」
否定したって、どうせあんたは確信を持って詰めてくるくせに。
そんな捻くれた精神でいながらも、俺は素直に白状した。
これ以上どう誤魔化したって、彼女には単なる悪あがきだろうから。
「もう何もかもが上手くいかないから死にたくなったんだよ。成績はダダ下がり、おかげで余裕なんてなくなって人付き合いもまともにできてない。おまけに睡眠障害や食事だって充分に取れないんだぜ? 周りからは変に期待されるし、なのに結果は出なくて……もうどうにでもなれって思ったんだよ。ただ、それだけ。」
口に出していくと、本当に悲しくなってくる。自分に生きている価値なんかないんじゃないかって思わずにはいられない。
けど、言葉で整理したからか踏ん切りがついた気がする。
……――やっぱり俺は、死ぬべきだ。
「キミは周りの使い方が下手だね。」
「……は?」
やっとけじめがついたと思ったら、不意に言われた言葉。
それは厳しいような冷たい一言で、どこか憐れんでいるようにも感じた。
突然の言葉に呆けてしまっている俺に、彼女は立ち上がり柵に手を置く。
夜空にたなびく髪は幻想的で、映る影は美しくて……一瞬見惚れてしまった。
「キミはおそらく、一人で全部抱え込もうとするタイプなんだろうね。だからこうやってダメになってしまう。人間って不思議でね、一人を好む人でも人肌がないとすぐに気が狂うんだ。……それは、この綺麗に見える月だってそう。」
背後に浮かぶ月を見上げながらニコッと笑いかけてくる彼女は、やはり小学生ではない。
そして俺の気持ちを無視し、彼女は続けた。
「月って、どうして夜なのに輝けてるか頭の良いキミなら分かるよね?」
「……太陽の光を反射してるから、だろ。」
「そうだね、こんなに綺麗に光る輝きは月のものじゃない。月は所詮、太陽がないと輝けもしないちっぽけな存在に過ぎない。月でさえ助けが必要なんだから、人間なら助け合って当然……なんじゃない?」
そして身を投げるように乗り出した彼女の横顔は、心底困っていた。
「月も完璧じゃない。だからキミみたいに、不完全でも誰も咎めないよ。咎める権利なんて、誰にもない。」
「……、そう、か。」
ハッとさせられた。確かに彼女が言っている事は道理が通っている。
彼女の言葉だけで丸め込まれるのもどうかと思われそうだが……俺はたぶん、誰かにこうして認めてもらいたかったのかもしれない。
「はは……そう、だったんだな。」
「何か腑に落ちた?」
「まぁな。……なぁ、よかったら、また明日も……こうして会ってくれないか?」
「……キミの心が朝焼けのように晴れていなければね。」
その瞬間だった、一秒にも満たずに目の前の少女が霧となったのは。
何が起こったのか分からず、ただ情けなく瞬きを繰り返す。
ど、どういう事だ……? 彼女はどこに行って……。
背後を確認しても呼びかけてみても、彼女が姿を見せる事はなく静寂が広がっただけだった。
あの女の子は、もしかして人間じゃない……?
なんてオカルト的な事を考えた矢先、俺の目には先程までは確かになかった立て看板と花束が映った。
それには以前、ここで十歳にも満たない女の子が自殺した事とここに供養している事が書かれていた。
こんなの今まで全然気が付かなかった……。
じゃあ、彼女は俺を引き止めてくれてた、のか……?
その問いに答えは返ってこない。
だけど確かに、夜空で光る月には彼女の影が映っていた。
真夜中と死と君の影と 猫菜こん @Nekona_konn
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