幾星霜のモビー・ディック
あかむらコンサイ
地球最後の日
「ご乗船の皆様。当艦はまもなく、我らが人類40万年におよぶ原始の故郷、地球を出発いたします––––––––––––成層圏境界出立の定刻まで、青き惑星の姿を目に収められる方は、ゆめゆめお忘れのなきよう––––––––––––」
ホールの天井に備え付けられたスピーカーから発される、無機質な機械音声。
音声調整AIによる、その取ってつけたような感傷的なセリフは、聞かされる生身の人間にはどこか矛盾めいた倒錯的なものに感じられる。
”青き惑星”。
その詩的な形容は、どこか聞き慣れたものであった。歴史の教科書に載っていた、何世紀も昔の宇宙飛行士の言っていた言葉が自然と思い出される。
人生初の宇宙空間遊泳。成層圏の突破。今の時代を生きる俺には計り知れない、筆舌に尽くしがたい感動がそこにはあっただろう。
彼に曰く。地球は青かった––––––、と。
そう、我々ホモ・サピエンスが誕生し、成長し、時に慈しみ合い、時に争い合い、繁栄し、衰退した、一連の全てのドラマが繰り広げられた一つの舞台としての惑星––––––地球。
その根源的故郷である地球を、現代世界の我々、すなわち総計10億人の人類は今、飛び立とうとしている。
一定のリズムで間隔を空けながら、同じ内容を反芻する機械音声。それを耳に浴びながら、俺は荷物を持ってホールの対岸、展望壁を眺める。
全面をガラス張りにした––––––あくまで内面からそう見えるようにプログラムされたヴァーチャル・ホログラムであって、実際の外壁は宇宙空間での使用に耐えうる混合金属壁であるが––––––展望壁からは、今や上空から見下ろす形となっている地球が映る。
先の先達の宇宙飛行士の言い分もかくや、だ。まさしく地球は青かった。
地球が青き、美しき惑星だと言われたのはとうの昔の話。宇宙遊泳を遂げたかの人物がこの感嘆を残した年月日から、時間にしてゆうに10世紀……1000年以上を過ぎた今となっては、この
幾度と冷めど止まぬ国家間抗争、平和思想の構築を夢物語と嘲笑うような世界大戦の頻発。そして特異点をとうに越したというのに激化されていく、過度な技術発展とそれに伴う資源の浪費––––––。
あくまで俺に言わせれば、の話ではあるが。
さんざ食い散らかした食事の皿洗いもせずに、食卓どころか食堂そのものから去っていくような今の人類の姿は––––––決して先ほどの詩的な形容にふさわしいものでも無いし、そう形容する権利もないだろう。
電子音の織りなすオーケストラをスピーカーから身に浴びながら、展望壁と、そこに映る地球を眼下に見下ろす周囲の人間たちの方を振り返る。
ここ、最下層に押し込められた連中はみんな似たようなものだ。
その目には生気がないし、その足取りはおぼつかない。そして何より、その心に生き延びていく覇気がない。
そしてもちろん、その瞳に反射して映るのは誰も彼も皆同じく等しく均一な––––––
––––––真っ黒に薄汚れた、かつて
・・・
第何次、と計上することすらとうの昔にやめてしまった、何度目かの世界大戦が終わって直後のことだった。
それまで盲目的に、熱狂的に、そして破滅的に戦争に興じていた国々のどれもが、そのタイミングで思い知った。いや、というよりもむしろ、もうすでに手遅れなことに漸く気づいた、というのが正しいのだろう。
––––––今更ながらに滑稽な話だ。
その日を境に、あらゆる技術革新はその全てが、この一つの国家間プロジェクトに用いられた。
あれほどまでに争い合い、殺し合い、憎しみあった人間同士が…………あれほどまでに平和を謳い、願い、語らいつつも、それを眼前にして手と目を鮮血の赫で染め続けてきた人類たちが…………全てが台無しになって初めて、手を取り合い、共に足並みをそろえて歩み始めた。
皮肉にも、この惑星が美しかった時代の悲願は、それが見窄らしくなってから果たされた。
こうして建艦された幾重の輸送船は、生き残った人類を全て別の宇宙域にある生存可能圏へと輸送するための役割を果たしていくこととなった。
試験的な運用から、本格的な運用、各国の首脳陣や富裕層、有力層––––––そういった、人類種運営のための肝要な者たちは、序盤の便で既に向こう側へと渡っている。
そして今、俺が降り立っているこの便はその最終––––––先んじて宇宙域の外へと逃げ去った者たちが引き起こした戦争の巻き添えを喰らっただけの、ただそれゆえに汚れてしまった母星を最後に見届けさせられる無辜の民衆。
彼らに言わせるところの一般民衆の、その最後の集団が輸送される、正真正銘の地球最終便である。
ぼぅっと窓の外を眺めて思索にふけているうちに、気づけばスピーカーの音声反復は終わっていた。
周囲にいたはずの他の人々も、そぞろに立ち歩いて出立までに旅を過ごす定位置を探しに行っているようだ。その足取りは、決して軽やか、とは言えそうにもない。
俺は窓際に置いていた荷物を抱え、亡霊のように彷徨うだけの群衆の合間を縫うようにして展望壁のあるホールを抜ける。
するとほぼ同時に、通信端末が反応した。
バイブレーションを確認し、液晶に映る通知を見る。––––––エルシャに言わせれば
噂をすればなんとやら。通知はエルシャからのメッセージであり、そこには集合場所の座標が記載されていた。
……懐古趣味と人を罵るわりに、しっかりこちらに合わせて送信データを送受信可能なテキスト形式に揃えてくれるのは、彼女の人間ができているから、なのだろう。
––––––軽く返事をして、そのまま端末をポケットに入れる。
やや無骨な存在感があるが、この感触が個人的には愛おしい。
新天地へと向かう大船団といえども、これが最終便であるという事実は覆らない。
これは参加者がヨーイドンで足並みとピッケルを揃えられたゴールドラッシュのそれではなく、旧来の世界での階層社会がそのまま引き継がれるだけの冗長な儀式だと、薄々皆気づいているのだ。
先行者利益を
エルシャに指定された区画は、特にそんな雰囲気を帯びる人々が多いように感じた。秩序だった統制は取られず、あぶれた人々は廊下の脇に無理やりスペースを陣取っている。この空気がそうさせるのか、はたまた彼らの生来の気性からくるものか。耳をすませば、区画のあちこちから言い争いの喧騒が聞こえる。
「尾翼α域西地区、西IV区画B-42通路の先––––––3805の22………。ここ、か」
指定された座標についたはいいが、その選択を着いた瞬間に軽く悔いた。
区画の他の空間とはまた違った脇道のような場所に、ぽっかりと空いた小部屋のような空間。そこで見たのは、
「やっっっっっっほーーーーーーーう!!お疲れ様だねシラヌイくーーーん!!」
「うぐっ」
ICBMもかくや、といった正確さとスピードで猛進してくる一人の女学徒––––––不本意ながらに勝手知ったる、シオン・ベイジャック先輩だった。
先輩は猛スピードでこちらに向かってきたかと思えば、そのままの勢いで軽く飛びながら抱きついてきた。人工重力力場が作動しているはずの居住空間で、如何にして月面上の如き跳躍力を捻り出したのか。
彼女は実年齢はさておき、その精神年齢相応の童顔と、それに全くもって似つかわしくない豊満な肢体の持ち主で––––––端的に言って、こうして抱きつかれるとすごく予後が悪い。
「あの、先輩–––––––––離れて、ください……色々当たってて気まずいんですよ」
「ぐふふふふ当ててんだよシラヌイくん」
「厄介すぎるこの女–––––––––というかそれもですけど、ふざけてるとこ見られたらまたアイツが………」
そう、彼女のこの動作はもちろん健全な男子学生には耐えるに厳しいものであるが、それ以上に。これを受けるがままにしている姿を見られるのには気まずい相手が––––––
「アイツが…………、なに?」
–––––––––既に目の前に、いた。
「いや、おいちょっと待ってくれまずは穏便に話し合いをだな……」
「別に? アンタが誰のことを言ってるのか知らないし、アイツとか誰のことだかわからないし。アンタが何を焦ってるか知らないけど、私いっっっっさい何も怒ってないし」
うん、目前の彼女……エルシャ・アルトラムの声音は重低音でドスが効いているし、顔も一切笑っていない。あくまでにこやかにしようと努めるその表情は節々の筋肉が引きつっている。
少なくともまだ暴発はしていない––––––特大のカミナリが落とされる前に、早々にこのややこしい状況からの脱出を…………
「おろ?だってよ、シラヌイくん。えいやーーーーーーっ!!!」
……むぎゅ。
より強く押し付けられたその双丘の感触を実感したその次の刹那、
「あひゅっ」
神速とでも呼ぶべき手刀が俺の首筋をつたったのを視界の端に収めて、俺の意識は暗転した。
・・・
「いやーーーーメンゴメンゴ。ついつい勝手に盛り上がっちゃってねぇ……アハハハ」
「あのですね会長、常日頃から言ってますけど、立場を考えて、もっと行動の諸々に責任感をですね……」
「いやぁーーだってシラヌイくんの反応毎回可愛いしい、姫様のリアクションも百面相でいやもうこれやめらんないよぉニャハハハハハ」
数分気を失っていたようだが、しばらくしたのちに意識も暗転から回復した。
スペースに設けられた簡素な椅子に腰掛け、盛大な歓待を受けた目前の女学生二人を見据える。
まず一人が、軽快に、だははははと笑い飛ばす厄介すぎる女––––––ウェーブがかったブロンドの髪を靡かせる、シオン・ベイジャック先輩。我が校有志の”口を開かなければ美人ランキング” ”男子生徒よりエロジジイしてるランキング” ”俺皆と違ってこういう娘に惹かれるんだよなランキング” 等等、数々の不名誉な独自ランキングのトップをひた走る学校の有名人であり、生徒会会長。
本来生徒たちの統率をとるべきはずの立場にいる先輩が、件のような言動に興じている事実は……周囲の人間にとっては悩みの種そのものと言えるだろう。
そして、その横で小言をとうとうと並べるのは、エルシャーナ・アルトラム。艶がかった緋色の髪がその長身に映える、どこか常人離れした存在感を漂わせる少女だ。俺とは何度かクラスやコミュニティを共にしている腐れ縁であり、それのせいか、やけに絡まれる機会が多いような気もする。特にシオン先輩の悪ノリが気に食わないようで、俺を含めた三人が同席した際はよく先刻のように気性が荒くなる––––––これでいてその容姿や平静の際のオーラから普段は生徒からの人望は厚く、”気品”の具現化と評されているのだが、決してそうは見えないのが俺の感想だ。
生徒会の書記として、主にシオン先輩の補佐をしている。
「なぁエルシャ、急に呼び出して何の要件だ?星間跳躍までもう時間もないし、最後に一目、地球を目におさめておきたかったんだが……」
「何よ、今更詩人気取り?常日頃っからあの星の腐敗機構を毒付いてたアンタがねぇ」
––––––なんだか、さっきからやけに当たりが強い気がする。シオン先輩が気に食わないんじゃなかったのか?こいつは。…………ともあれ。
「まぁそれはさておき、呼んだんなら何か用事があるんだろ。サクッと終わらせられることならやってくるから、言ってくれ」
「そう、話が早いわね。ほら、これ」
そういうと、ぽい、と懐から取り出した手包をエルシャはこちらに投げてきた。
包装紙を開くと、中には二重の梱包が。内側に巻き込められていた物体を取り出す––––––それは、クリアなガラスで形成されたシャーレだった。シャーレの中には、黒く煌めく、金属片のような物質が入っている。
「……ん、なんだこれ」
「私たちの方でも解析を試みたけど、具体的には分かっていないわ。あなたなら何か手がかりを得られるかも、とも思ったけど、そうでもなかったみたいね」
「どこかで見たことあるような気もするけど––––––まぁいいさ、そのうちわかるかも知れない」
「で、要件ってのはこれを調べて欲しいってことか?生憎とこの感じだと解析はすぐには……」
「いえ、もっと簡単なことよ。それを持ってラミーユのところに行って欲しいの。座標は今から送るわ」
ポケットの中に響くバイブレーション。
先ほどと同じ、エルシャからのメッセージ受信の合図。––––––何の作業も無しに送信を成功しているところを見るに、既にその座標データもこちらのテキスト形式に変換しておいてくれていたのだろう。仕事が早すぎて、もはや有能とかいうレベルを超えている気もする。
「……割と近いな。ん?でもこの場所––––––区画と区画の狭間の路地?何だってこんな場所に」
「行ってみればわかるわよ、ほら、分かったらキビキビ働く、この
ほれほれ、と手の甲を向けて追い出す仕草をするエルシャ。
先ほど預かったシャーレを荷物袋に入れると、椅子から立ち上がる。
––––––手刀のダメージがまだ残留していて、立ち上がると少し眩暈がした。
「うんうん、よきかなよきかな〜。人類最後の高校生として、名残惜しき最後のひとときまで、学生生活を謳歌しようじゃないかっ!」
「何言ってるんですか会長、それをいうなら地球最後でしょう––––––と言っても、もうすぐ地球圏でますけど。他にも高校はまだ残ってるでしょうに」
「んーそうとも言うかもね、まぁとりあえずだシラヌイくん、果報を寝て待つ!」
「寝て待つって……まぁ、会長らしいか」
先ほど預かった座標データを再度展開する。
目的地までは距離にして数百メートル。入り組んだ区画の合間だから直線距離に対して思った以上に時間はかかる……しかし、そう大した距離でもない。
先ほど入ってきた出口から出て、騒々しい一般区画の広間へと向かう。
こうして、急拵えの生徒会室を抜け、
地球最後の日の生徒会活動が始まった。
幾星霜のモビー・ディック あかむらコンサイ @oimo_kenpi
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