第9話 莉子と翔太とササっち
「莉子ー、お腹空いたー。お弁当食べよー」
お昼休み。いつものように加江ちゃんがお弁当を持って私のクラスにやってきて、倒れ込むように私の前の席に座った。私の机の上に置いたお弁当カバンからお弁当を取り出しながら待ち切れない様に聞いてくる。
「ねえねえ!あれから中山君とはどうなったん?」
「どうって、いつもと変りないよ?」
「えー?そうなん?つまんなーい」
「何を期待してるの?」って言ったけど、実は今日、やっぱり中山君はちょっとこれまでとは違っていた。
朝練が終わってギリギリで教室に入って来た中山君は、教室の中をぐるっと回って私の席まで来て「おはよう」って挨拶してくれた。もちろん私も「おはよう」って挨拶を返す。まあ、それだけ。
さっき、3時限目の授業が終わった後の休憩時間、中山君が私に話し掛けて来た。
「一ノ瀬。5時限目の数学の宿題やった?俺やってないんだー、悪いけど写させてくれへん?」
私は気が弱いから宿題はちゃんとする。先生に叱られるなんて考えただけでもゾッとするのだ。
「うん、いいよ」って言って机の引き出しから数学のノートを取り出して渡す。「サンキュー」そう言って中山君はノートを受け取ったけどすぐには自分の席に戻らないで、「一ノ瀬の字ってきれいだよなー」とか言いながら私のノートをパラパラ見ている。
「部活めっちゃキツくてさ、昨日は家に帰って飯食って、そのまま風呂にも入らずに寝ちゃってさ」
「え?お風呂入ってないの?」
「いや、あんまり汗臭くて目が覚めたから結局風呂には入ったんだけど、また風呂で寝ちゃって。結局宿題する暇なかった」
「部活、大変なんだね」
「まあな…… 一ノ瀬は文芸部だっけ。文芸部って何すんの?」
「主な活動は3か月毎に発行してる文芸部の部誌『各書く皆読む(カクカクミナヨム)』のための原稿書きなんだけど、1年生も持ち回りで掌編を提出しなくちゃいけなくて。今回担当の子の文を読んでみんなで感想言い合ったり。それ以外にもみんなで読んだ一般書籍の感想とか、作家さんの誰がいいとかって話したり。あと司書の先生のお手伝いで本の修理したり、本の分類のこととか教えてもらったりもする」
「『カクカクミナヨム』って変な名前だな、あ!ごめん。ところで『掌編』って何?」
「掌編小説って言って短編よりも短いお話のこと。ショートショートとも言うんだけど。手のひらに載るほど小さいとか、手の平に大事に包み込む宝物って意味も込めて『掌編』って言うの」
「へー、色々やってんだなあ。なんか異世界の話聞いてるみたいだ」
そんな雑談していたら4時限目開始のチャイムが鳴って中山君は自分の席に戻って行った。そして今、お昼休み。私は加江ちゃんとお弁当を広げている。そこへ中山君がやって来た。
「笹川の弁当でけー! お前それでも女かよ」
「うるさい! ほっといてよ。朝練するとめっちゃお腹が減るんだよ」
「あー、分かるー」って言いながら近くの机をガタガタと寄せて来て、その上にビニール袋からバラバラっとパンを広げた。
コロッケパン、焼きそばパン、ホットドッグ、カレーパン、おにぎりが2つ。それにコーヒー牛乳の紙パック。
「中山君はパンが好きなん?」 それを見て私は尋ねた。
「好きって言うか、うち、かーちゃんいないから」
「あ、ごめん! 気が付かなくて……」
「気にしてないって。そもそも誰にも話してないから一ノ瀬が分かるわけないし」
そう言いながらコロッケパンに齧りつく。
「晩ご飯とかは?」
「自分で作る。親父の分も作って冷蔵庫に入れといてやる」
「中山君、すごいね」
「チビんときからずっとそうだから慣れてるよ」
そう言いながら焼きそばパンに手を伸ばす。
「うちは父子家庭だけど、俺の親父って結構大きな会社の偉いさんらしくて。がっぽり稼いでくれるから外食とか宅配とか出来合いの物買うとか、金払えば手に入ることならそれで済ませれるから、そんなに不自由なことってないんだ」
焼きそばパンを頬張りながらそんな風に話してくれた。
「あの……」
「ん?」 おにぎりのビニールをはがす手を止めて中山君が私を見る。
「お弁当、よかったら私が作ろうか……?」
「え?……まじ!?……」
「うん。迷惑じゃなかったらだけど…… それに味は保証できないけど……」
ガタッ! 中山君が勢いよく立ち上がった。その反動で椅子が勢いよく後ろに倒れる。
「一ノ瀬!……あの……俺、めっちゃ嬉しい!」
そのまま机に両手をついて俯いた。肩が震えてる。え? 泣いてるの!?
「ちょっと、トイレ!」
中山君はそう言って慌てて教室から駈け出して行った。
「ヒュー!」 加江ちゃんが口笛を鳴らす。
「2人とも、熱々じゃん! 私、当てられちゃって火傷しそう」
手をひらひらさせながら加江ちゃんが言う。私は自分が随分大胆なことを言ったことに気が付いて、今頃顔が火照って来た。
間もなく中山君はバタバタと戻って来た。もうすっかり笑顔になっている。
「一ノ瀬! 君のこと、莉子って呼んでいい?」
「あ……うん、いいよ」
「よっしゃあ!」 中山君がガッツポーズする。
「そんで! 俺のことは翔太って呼んでくれへんかな?」
「翔太……くん」
「おお……ええやん!」
「おい、翔太ー。顔がだらしなくニヤけてるぞー。もうちょっと引き締めろよ。見てるこっちが恥ずかしいやろ」
「うるせー! それにお前が翔太って呼ぶな!」
「あーあ、なんかアホらしー。私、もう教室に戻ろっかなー」
「加江ちゃんったら、そんなこと……」
「笹川待てよ! 2人っきりだとまだ緊張するんだよ。一緒にいて、お願い!」
翔太君が手を合わせてる。私も同じ気持ちだった。
「何よー、もう2人で勝手にしたらいいじゃんかー」
加江ちゃんはわざと大げさに渋い顔をして苦笑した。
私と中山君は「莉子」「翔太君」って下の名前で呼び合うようになって、やっぱり、クラスではカップルと見なされるようになった。翔太君はクラスの人気者だし男女問わず誰とでも仲良くなる子だから、私たちは特にやっかまれたりすることもなくクラス公認のカップルになったらしい。
私は毎日、自分の分といっしょに翔太君のお弁当も作るようになって、お母さんには学校で彼ができたことが当然の流れでバレてしまった。
「どんな子かしら。会ってみたいわあ」
暗に家に連れて来いって言ってる。分かってるけど当面は聞こえないふりを決め込んでいる。
お昼休みは翔太君と机を並べてお弁当を食べるようになって、加江ちゃんは「当てられるのイヤ!」と言って私のクラスには来なくなってしまった。私は加江ちゃん、翔太君と3人でお昼時間を過ごすつもりでいたから、加江ちゃんが来なくなったことが正直、寂しかった。
翔太君は優しいし、いっしょにいたら楽しいし、スポーツマンで人気者だし、文句のつけようがない彼氏だ。でも、加江ちゃんと話をすることがほとんどなくなって、私は大事なものを1つ無くしてしまったような気持ちになった。
翔太君も加江ちゃんもどっちも手放したくない。私って欲張りなんだろうか。
翔太君が「ごめん! 部活の打ち合わせがあって」と言って、お弁当を食べてから急いで教室を出て行ってしまったある日のお昼休み、私は久しぶりに加江ちゃんとおしゃべりしようと彼女のクラスを覗いてみることにした。
C組の開け放たれた扉からそっと中を伺うと、グラウンドに面した窓際に加江ちゃんが座っているのが目に入った。加江ちゃんはまだお弁当を食べているらしく、机の上にはお弁当箱を広げたままで右手にはお箸を持っている。そして、前の席に座っている女の子と楽しそうに話をしていた。
本当なら私もその輪に加わればいいのだろう。加江ちゃんならきっとそうする。でも、小さい頃から上手く人の話の輪に入れないことを自覚していたから、その時もやっぱり一歩を踏み出す勇気が出なかった。結局、私はそのまま踵を返して自分の教室に戻った。
加江ちゃんの楽しそうな顔。私以外の人とでもあんな風に楽しそうに話をするんだ。当たり前のことがいまさらながら心に刺さる。少し前までお昼休みの加江ちゃんは私のものだった。あの笑顔は私に向けられていた。それなのに今は別の人に加江ちゃんの笑顔が向けられている。そもそも私は加江ちゃんと一緒にいたくてこの高校に来たのに。
私は胸の中がもやもやして、何かどす黒いものが頭の中に湧き上がって広がって行くのを感じた。
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