第8話 2人でいちゃいちゃ?

 テニス部の練習が終わって帰り支度ができたのは6時を過ぎた頃だった。5月のこの時期だと夕方の6時にもなると辺りはすっかり暗くなっている。テニスコートには照明設備もあるから暗くても練習はできるが完全下校が7時ということもあって、後片付けや着替えの時間も考慮して練習は早めに終了する。

 剣道部もたぶん似たようなもんだろうけど、稽古の後の道場の清掃に時間がかかるとかで、剣道部の1年生はたいてい完全下校ぎりぎりに校門を出るのが通常だ。

 私は校門に一番近い校舎の出入り口に立っていた。玄関先に電灯が灯っているが入口の扉は施錠されて中に入ることはできない。

 それぞれの部活を終えた生徒が私の目の前を通過して行く。

「あれー、妙。どうしたん?誰か待ってるの?」

 何人かのクラスメイトに声をかけられた。そのたびに、

「うん。友達、待ってんねん」と答える。それ以上に追求する子はいない。じゃあまた明日と言い合って、ばいばいと手を振る。

 7時少し前に瑞希が走ってきた。私は、ここだよって小さく手を振る。

「ごめん、待ったよね!」

「ううん、大丈夫」

 瑞希が嬉しそうな顔で私を見る。ちょっと見つめ合ってしまう。他の剣道部の子たちがやって来たのに気づいて、

「帰ろうか」と瑞希が言う。2人で並んで歩き出す。

 高校は2人とも電車通学なのでとりあえず駅まではいっしょ。そこから同じ方向の電車にのって、私の方が瑞希より1つ手前の駅で降りる。


「ササっちから何か聞いた?」と瑞希。

「うん、いろいろ」

「……何、言ってた?」

「部活の後、テニス部の部室を覗いてため息ついてるって」

「ああ……うん、そうなんだ。今日はいっしょに帰れて嬉しい」

「これから毎日待ち合わせして帰ろうか」

「うん!」

 瑞希は前を向いたまま笑顔で頷いた。

「それからね」

「え?まだ何か言ってた?」

 私は「ふふ」っと笑って瑞希の顔を見上げる。瑞希は私より5cmくらい背が高いから顔を見るときはちょっと見上げることになる。瑞希は笑顔が引き攣ったような微妙な顔をしてる。

「『もっといちゃいちゃしてー!!!』って叫んでたって!」

「わーーー、それ嘘だから!そんなこと思ってないから!」

「え、嘘なん?」 私はわざとがっかりしたような口調で言う。

「……いや……嘘じゃない、です」

 瑞希ったら真っ赤になってる。瑞希は普段あんまり表情を出さないから、こういう反応をしてくれると嬉しくなる。私は瑞希の手をとった。瑞希もその手を握り返してくれた。

 私が最寄り駅で電車から降りるとき、「じゃあまた明日」と言って閉まったドアのガラス越しにお互いに手を振る。やっぱりいっしょに帰るのっていいな。こんななんでもないことが、付き合ってるってだけで、こそばゆくて、たまらなく嬉しい。

 

 いっしょに帰るようになってしばらくした頃だった。その日、瑞希がなぜか私と同じ駅で降りた。彼女の最寄り駅は次なのに。

「瑞希?」 訝しがる私。

 でも、なんか真剣な目で私をじっと見つめている。私も心臓がどきどきしてきた。

 電車から降りた人々は階段を降りて改札口へと歩いて行く。ホームから人影がなくなるまで私たちはホームの端で見つめ合っていた。

 瑞希が一歩私に近づく。2人の間隔は手を伸ばせば相手を抱きしめられるくらいの距離。

 瑞希の手の指が私の頬に触れる。瑞希の顔が私の顔に近づく。瑞希の瞳に私の顔が映っているのを確認して、私は目を閉じた。瑞希の唇が私の唇に軽く触れ、そして思い切ったように重なった。唇の触れ合う感覚だけ。周囲の音も光も何も感じない。それはほんの数秒の短い時間だったと思う。でも私にはすごく長い時間のように感じられた。

 瑞希の唇が離れる。それから名残惜しそうに瑞希の手が私の頬から離れる。

 ホームの反対側に電車が入ってきた。瑞希は私の目をみつめたままにっこりと微笑んで、

「また明日!」

 そう言い残して電車に向かって駆けて行った。



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