第49話 激闘

 大勢の人々が、叫び声を上げながら穴に向かって走ってくる。その目は血走り、口からは涎を垂らしているた。


「待てっ! 待つんだっ!!」

 メンバーは口々に叫び、塩をかけた。塩を喰らった人は正気に戻ったが、すり抜けた人たちが次々に穴へと飛び込んでいく。


 人々が地獄の穴へ飛び込むたびに、悪魔の体は筋肉を瘤のように太らせ、大きくなっていく。それもただ大きくなるのではない。


 真っ黒な剛毛に覆われた体からは、これまで以上に凄まじい瘴気が噴出し、腐った異臭を放つ。ごうごうと漏れ出る瘴気はまるで毒ガスのようだった。


 さらに、頭の太い二本の角の間から幾本もの角がひしめき合いながら捻れて生え出てくる。


 「ぐるるるるッ」

 唸り声を上げ、血と涎を流して変化していく悪魔の背中がひときわ膨れた。

 ズルリッと、音を立て背中から太い四本の触手が伸びた。


「くそっ! こんなの見てられるかっ!」

 俺は意を決して、黒田の変化した蜘蛛が張った糸の上に足を踏み出した。悪魔が強化されていくのをこのまま見過ごすわけにはいかない。


 どれほど深いのか想像もつかない穴の暗さに一瞬体が強ばったが、俺の脳裏にあの修行霊場での訓練が蘇った。


 要は気合いと集中だぜ。ぶるってる場合か。虎徹に笑われるぜ。

 俺は頭を振ると、地獄の穴へ引きずり込もうと伸びてくる黒い腕を蹴り飛ばし、悪魔へと駆けた。


 もう少しで悪魔に攻撃が届く距離になる――その寸前だった。

 ぞわり、と首筋の毛が逆立った。

 俺は反射的に身を沈めた。


 ダガンッ!!

 轟音とともに、恐ろしいほどの風圧が、髪の毛を引きちぎりながら通り過ぎていった。悪魔の放った気の弾が頭上を通り過ぎたのだった。


 これまでよりも、明らかに威力が上がっている。

 俺は足を止め、悪魔を睨んだ。


 悪魔が、両手の人差し指から連射するように気の弾を撃ち出した。

 ボクシングのダッキングやウィービングのように頭を動かし、体を翻して避ける。


 俺は意を決すると息を止め、顔に来た一発を頭突きで受け止めた。できた一瞬の隙に、くらくらしながら一気に距離を詰める。


 悪魔の顎に向かって、前蹴りを一直線に突き刺す。

 当たると思った瞬間、軸足を誰かが払った。


 黒田が変化した大きな蜘蛛だ。

 俺は倒れながら、逃げる蜘蛛に右肘を打ち下ろした。肉や骨が潰れる感触が肘に残る。


 すぐに立ち上がった俺の左腕に、悪魔から伸びる触手がうねうねと絡みついた。

 それは、強烈な力で左腕を締め上げた。


 バキ、バキ、バキッ……

 乾いた音が鳴った。熱を伴う痛みが走り、苦悶の声が漏れる。骨が折れたに違いなかった。


 俺は歯を食いしばり、悪魔の顎へ右アッパーを連続で叩き込んだ。

 パンチの当たったところから、黒い瘴気が吹き出す。


 明らかにダメージのあるそこにさらに膝蹴りを食らわそうと、悪魔の頭を右腕で抱える。

 すると、俺の動きに合わせ、悪魔は絡みつかせていた触手を外し、顔面へと叩き込んできた。


 慌ててガードを上げる。その一撃は、ガードした俺の右腕をも、へし折らんばかりの衝撃だった。ガードしているのにもかかわらず、俺の頭は激しく揺らされ、向こう側へと弾き飛ばされる。


 追撃の気の弾が連続で打ち込まれ、俺は頭をガードで守ったまま、穴の中へと吹っ飛ばされた。


「くそっ!」

 穴の中を落ちながら、糸へと伸ばす右手を誰かが掴んだ。


 それはルイの手だった。

 ルイは、俺を糸の上に引きずり上げた。


「このままではやられる。奥の手を使うぞ」

「奥の手?」

 ルイは俺の目を見ながら、コートの中から虎徹の死骸を取り出した。


「オン、アリ、オリ、ウム……、オン、アリ、オリ、ウム……、まぶい返し……」

小さく、そして素早く呪文を唱えると、俺の胸に右手を当て虎徹には左手を当てた。


 光の粒子が俺のなから溢れ出て、ルイの右手に吸収されていく。そして、左手から虎徹の体へと注ぎ込まれていった。


「マジか……」俺は呟いた。

 虎徹の目が開いたのだ。そして、すかさず立ち上がる。


「ほんの数分しか、保たない。だが……頼む!」

 そう言った死神に、虎徹が微笑んだような気がした。


 虎徹はくるりときびすを返すと、糸の上を駆けて穴の外に行くとすばやく幸のところに走って行った。そして、足の間を体をくねらせながらすり抜けた。


「え。こてつ?」

 幸がきょとんとした顔で言った。しゃがむと、背中を撫でる。

「にゃあん」

 虎徹が答える。


「こてっちゃん!!」

 幸は叫んで虎徹を抱きしめた。


 虎徹は一瞬とろけるような表情になったが、すぐにすり抜けて下に降り立った。

 目をパチパチとさせる幸に、虎徹は「みゃあうう」と吠えて見せた。

 そして、糸の上を素早く走ると、悪魔の真っ正面に立ちはだかって吠えた。


「にゃあおおおおううううううっ!!」

 どこから、そんな声が出るのか? というほどの大音量だった。


「ふははははッ! クソネコめが、生きておったか!?」

 悪魔はそう言い捨てると、黒い気の弾を虎徹に向かって撃ち出した。俺は必死になって転がりながら虎徹を拾い上げた。


 立ち上がると、嫌になるくらいの量の気の弾が連続で撃ち込まれた。 

 俺は虎徹をガードするように右腕の中に隠し、悪魔の前に立ちはだかった。

 衝撃を覚悟し、ガードを固めていると、光り輝く霊体が俺たちを包むように守った。黒い気の弾が光に中和されるかのように消えていく。


 同時に、俺の左腕の痛みも消えていった。

 いつの間にか俺の両隣に二人の男が立っていた。それは、邪霊と悪魔に捕まっていた二人の男の魂だった。


 光に包まれた二人は、魔物のようになっていたときとは別人のように力と希望に満ちあふれていた。


「一緒に戦ってくれるのか?」

 俺が訊ねると、


「天使とか言うじいさんみたいな見た目の人がさ、あんたたちを助けてくれってさ」

 スエット姿のゾンビみたいだった男が、パリッとしたスーツ姿で笑いながら言った。


「ああ。もう悪魔の好きにはさせないぞ」

 あの包丁を振り回していた太った男も一緒に言った。晴れ晴れとした顔で笑う。


「悪魔よ。地獄へと帰れっ!! ここはお前のいるべきところではない!!」

 二人はともに叫んだ。


「にゃうっ!」

 俺の両腕の中で虎徹が鳴いた。

「やるか?」


「にゃああううっ!」

 虎徹が応えた。

 俺と虎徹を包む気が金色に光り輝き、大きくなっていく。


「黙れッ!! 負け犬らめがッ!!」

 悪魔は吠えるように叫ぶと、次、次に、悪魔が気の弾を撃ち出した。

 だが、その攻撃は体に当たる前に軒並み中和され、消えていく。


 俺は悪魔に再び殴りかかった。

 銀杏のブレスレットが光り、俺のパンチが悪魔の顔面に突き刺さった。


 悪魔が怯んだ。

 明らかにダメージがある。

 それにタイミングを合わせるかのように、


「にいいいいいやああううおおおお……」と、虎徹が鳴いた。

 悪魔がびくりと震えた。

 俺は距離を取ると、虎徹を見た。


 さらに、虎徹が鳴いた。細く、長く鳴き上げると、その声は宙を舞った。


 みゃ  ああ  ああ

  にゃ  うあ  ああ

   やあ  ああ  おお

    にゃ  ああ  うう

  あう  にゃあ  おお

   やあ  ああ  ああ

    にゃ  あう  うう

     ああ  やあ  おお


 虎徹の鳴き声の一つ一つが、悪魔の周りを漂う。

 そして、同時に左の瞳が青色の、右の瞳が緑色の光を放ち、俺の手首のブレスレットの石も金色に光り輝いた。


 体の中に残った力をブレスレットを通して虎徹に送る。

「や、やめろ……」

 悪魔が苦しむ。


 同時に俺と虎徹の心臓に細かい網のようなものが絡みつき、締め付けてきた。悪魔が残った魔力で、俺たちの心臓を締め上げてきたのだ。


 俺たちは悪魔を睨みつけ、歯を食いしばってその攻撃に耐えた。

 俺には虎徹が何をしようとしてるのか分かった。悪魔そのものにではない。悪魔が乗り移っている恭一に働きかけているのだった。

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