第48話 地獄の穴

 震える幸に、俺は身振り手振りで落ち着くように指示をした。目を見て頷くと、幸も泣きそうな顔で応える。


「以前の我と一緒だと思うなっ!!」

 悪魔が禍々しい声で叫んだ。

 その声は脳に直接響き渡った。悪魔から吹き出す瘴気が異臭とともにフロアに広がり、床に向かって胃の内容物を吐き出す者が続出する。


「ふうむ……」

 ルイはそんな中、一人何事もないかのような顔で悪魔を見た。


「真の契約者を得ると、そこまで力を増すのか。分かっていたつもりだったが、実際に目の前にすると凄まじいものだな」


「ふふふ。分かるか? 私のこの力が」

「ああ。あのアパートの時と違うのは明らかだな。それで満足してはどうだ? 十分な力では無いか?」


「お前はアホか……。いや、我の本当の狙いを知った上で言っておるな?」

 悪魔がニヤリと笑った。

「ふうむ。諦めてくれれば儲けものだと思ったのだが、やはり、ここで反転魔法陣を完成させようとしているのだな?」


「ふふふ。その通りだ。だが、もう止めようはないぞ。この、黒田のダイナマイトを爆発させれば完成するのだからな……」

 悪魔はいびつな指先で、表情の無い黒田を指さして笑った。


「結局お前たちは、我の企みを止めることはできぬのだ。その無力感もこの魔法陣の糧となる」

 悪魔は右手の人差し指を伸ばし、俺とルイに向けた。


 ドゴンッ!!

 轟音とともに指先から巨大な気の塊が撃ち出された。

 それは以前よりスピードも大きさも段違いで、空気を焦がし、激しく回転しながら飛んできた。


「避けるんだっ!!」

 俺は叫びながら床に転がった。目の端にルイも伏せるのが映る。

 気の弾は、逃げ遅れた一般人をなぎ倒しながら壁に当たり、轟音を立てた。


「今の生け贄だけで、この威力だ。これから、俺はここで闇の王となる。そして神々に匹敵する力を得るのだ。さあ。火を付けろッ!!」


 悪魔は笑いながら横に立つ黒田の肩を叩いた。

 黒田は表情の無い顔でのろのろと火をつけた。火花を散らし、導火線が燃え始めると早かった。みるみるうちに、導火線は短くなっていく。


 俺は悪魔が黒田を向いている隙に、幸を引き寄せ距離を取った。

 爆弾に気が向いていた悪魔にとって、幸のことはもはやどうでもよかったのだろう。幸をあっさりと助け出した俺は、一緒に走った。


「皆、伏せろおっ!!」

 叫びながら、床へ飛び出すように幸に覆い被さる。


 その瞬間――

 目の前にオレンジ色の爆炎が光った。見たことの無い文字が描かれた円形の魔方陣を光が一瞬描く。


 俺は衝撃に備え、身構えたが、おかしなことに爆風はほとんど来なかった。

 気がつくと、真っ黒な煙と火薬の匂いが辺りに充満していた。


 次第に煙が晴れていく。

 すると、黒田がいたいはずのところにルイの真っ黒なコートがボロボロになって落ちているのが見えた。


「また、邪魔をしおったな。死神め……だが、無駄なことだ。既に地獄の穴は開いたぞ」

 悪魔が笑った。


 コートが落ちている場所からひゅう、ひゅうという乾いた風の音が聞こえてきた。

 一瞬、強い旋風が吹き、ルイのぼろぼろになったコートが舞い上がった。そして、空中を滑るように白いシャツ姿のルイの肩へと戻っていった。


 コートがあったところには深い穴が開いていた。それまで、黒田がいたところだった。

 あのコートが爆発の衝撃を防いだのか――

 俺は唾を飲み、穴を凝視した。

 穴の上の空気が動いている。細かい塵や爆発で生じた煙が、ゆっくりと回っていた。


 次第にそれは、黒くて細い円錐えんすい状の雲のように変化し、激しく渦巻いていった。天井にある天窓を突き破ったそれの表面では、細かい雷光が音を立てながら爆ぜている。


 まるで小型の竜巻だ。

 天井から上がどうなっているかは分からないが、おそらくはあの空を覆う黒いドームに繋がっているのだろう。


「ぐろう ざむが だぎど ばぐだ がむあ……」

 悪魔がしゃがれた声で呪文を唱え始めた。


「めぎど そどむ ごもら……我が神、サタンよ。

 地獄を巡る偉大な力を現世うつよへ転移させ、強大な魔力をここに顕現けんげんさせたまえ。回れ! 反転魔法陣!」

 悪魔が叫ぶと、穴を貫く黒い竜巻が太くなり、回転する速度も増した。


 ビキ、ビキ、ビキッ……

 穴の周囲にひびが入り、崩れながら大きくなっていく。そして、その周りに、先ほど爆煙が一瞬描いた魔法文字が再び出現した。


 俺は乾いた風の音が強くなっていることに気づいた。風は穴に向かって強く吹いている。


 穴へ吸い込まれていく不吉な気味の悪い風に、俺は身震いした。決してただの穴ではない。全てを引きずり込む禍々しさを感じた。


 周囲の温度が一気に下がり、穴の周囲がドロドロの青や黒、黄、赤の原色が混じり合った空間に変わっていく。


「これは地獄へ通じる穴だ……。この恭一は、元々幼い頃に自ら悪魔と通じる穴を開いた。これはそれと同種だが、今回のは違うところもある」


「それは何だ?」

 死神が訊くと、

「ふはははは。全ての生け贄を地獄に送り、代わりに我の力を増すまじない込みだという点だ」

 悪魔は笑って言った。


 そして、ブラック・マンバのメンバーらしき者を一人捕まえ、穴の方へ放り投げた。


 男は目を見開いて床に指を立てたが、ジリジリと穴の方へと引きずり込まれていく。


「嫌だ! 助けてくれっ!!」

 男は穴の入り口で地面に指を突き立て、吸い込まれるのに必死で抵抗する。

 突然、真っ黒な腕が幾つも穴の中から伸び、男を掴んだ。


「や、止めて……くれっ!!」

 無数の腕は、懇願する男の口を塞ぎ、太い爪で顔を引き裂きいた。

 男が穴に一気に引きずり込まれ、穴の奥から言葉にならない悲鳴が微かに聞こえた。


 悪魔の体が一瞬大きく膨らんだ。

「ふふふ……」

 悪魔は笑った。


 その時、怒号のような声がフード・コートに響いた。

 後ろを振り返ると、何かに取り憑かれたような顔をした大勢の人が、他の客たちをかき分けながらこちらへ向かってくるところだった。


「ひゃははははっ!! 生け贄がたくさん走ってくるわ!」

 悪魔が狂ったように笑った。


 走ってくる人たちの背中には、真っ黒な邪霊が貼り付いている。

「み、みんな止まれ!! 行くなっ!! 行くんじゃないっ!!」

 俺たちは止めようとしたが、狂ったような顔をした人々は言うことを聞きそうにない。


「くそ! メンバーたちは塩だ。ありったけ浴びせろ!!」

 俺は叫んだ。

 スカル・バンディッドのメンバーたちは、我に返ったかのように人々に塩を浴びせた。


 塩をまともに食らった人はその場に突っ伏すように倒れ込んだが、それでも、たくさんの人が俺たちの間をすり抜け、穴へと飛び込んだ。


「ぐははははっ!!」

 悪魔が笑う。人々が飛び込むたびにその体は大きくなった。そして、地獄へ通じる穴もその大きさを増していった。


 すると、穴の縁から赤黒い肉の塊のような者が這い出てきた。それは、大きな蜘蛛のようなシルエットに変化しながら、尻から白い糸を吐き出し、地獄の穴へ糸をかけ始めた。


 黒田かっ!?

 微かに残った服の布地に見覚えがあった。顔らしき場所にある口の中から、小さな赤い目をした蝙蝠が覗いている。


 俺はかつて黒田だった者を睨んだ。

 悪魔は背中にある大きな羽を羽ばたかせると、穴の上に張られた蜘蛛の巣に降り立った。


      *


 く、く、く、く…………

 悪魔は声を出さずに、ほくそ笑んでいた。


 恭一と契約をしたことにより悪魔の力を取り戻した。そして、反転魔法陣によって魔力の強化も進んでいる。

 全ては計画通りだった。


 この事件によって、ブラック・マンバは社会的には葬られるかもしれない。だが、大悪魔となった自分と恭一は、暗黒の王としてこの国の地下に君臨する。半グレやヤクザ、外国マフィア、更には真っ当な大企業の顔をしたフィクサー、利権を漁る政界の黒幕たち。


 恭一を全ての悪人たちの頂点に立たせ、全てを操るのだ。

 そのためにも、まずはコイツらを殺さなくてはいけない。

 悪魔は巨大な蜘蛛の巣の中心から、竜一と死神ルイを睨みつけた。

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