第47話 撃破。そして……

「や、やめろっ!」

 制服に紺色のベストを来た警察官が、声を震わせて言った。拳銃を構えているが、銃口は大きく揺れていた。俺たちを追いかけてきた警察官が、銃声を聞いて駆けつけたのだろう。


 俺は冬次の目を睨みながら、その前に立った。

 冬次は口から涎を流し、足下はふらついていたが、銃の先はしっかりと俺の方を向いている。


「き、君……。どきなさい。危ないぞ!」

 背後から警察官の声が響く。


 だが、俺は振り返らずに軽く右手を挙げ、

「大丈夫だ。おまわりさん。それより、俺の背後に立つんじゃない。避けた弾が当たるぞ」と言った。我ながら落ち着いているなと思う。


「スカルバンディッドのメンバー! お前らも、俺の後ろに立つな。銃弾が当たるぞ! 皆さんも、俺の後ろからどいてください!!」

 俺は冬次から目を離さずに、大きな声で叫んだ。


 警察官がまた何かを言ったが無視し、軽くステップを踏んだ。

 集中力が高まるとともに、周りの音が消え、俺と冬次の二人以外の情報が遮断されていく――


 死ぬかも知れないという緊張感が、あの洞窟での糸を渡る訓練と集中力を思い出させる。首筋の産毛がチリチリと立ち、わずかな空気の動きさえも捉えられそうだった。


 ――俺は凶人の構える拳銃を前にして、笑っていた。

 こんな時に不謹慎だが、このギリギリの命のやりとりを楽しんでいる自分がいることを否定できない。


(根っから戦いが好きなんだな)

 虎徹の呆れたような声が頭に響く。


「ほっとけ」

 俺はそう答え、笑みを浮かべて冬次に向かって歩いた。


 冬次が拳銃の照準を俺の頭に合わせた。

 右手の筋肉がわずかに動いた瞬間、俺は動いた。


 パンッ!

 乾いた発射音が鳴る。


 頭を振った俺の横を銃弾が抜け、後ろの壁にめり込む音がした。


 俺は走った。

 次の弾が撃たれた。


 前に飛び込むように転がり、銃弾を避けながら冬次の前に立つ。

 同時に、ポケットの塩を顔面に浴びせる。


 冬次が顔を背ける。

 その隙に、右ボディを肝臓に突き刺す。


「うげえっ!」

 冬次が腹を押さえて床を転げた。同時に手に持った拳銃が下に落ち、床を転がっていく。


 追撃しようと冬次を追いかける。

 すると、蝙蝠が二匹舞い降りてきた。立ち止まった俺の目の前で、蝙蝠は冬次の両腕にとまる。


 紐で吊り下げられた操り人形が立ち上がるときのように、すっと冬次が立ち上がった。


「何だ……?」

 戸惑っていると、二羽の蝙蝠は溶けるように変化し、冬次の両腕全体を覆っていった。


 まるで黒いまくだ――

 直感で嫌なものを感じ、素早く踏み込みながら前蹴りを鳩尾にぶち込む。 


 ガキンッ!

 体を覆う膜の表面で、足が弾かれる。先ほどまで柔らかそうだった膜がいつの間にか金属的な質感へと変化していた。


 冬次の体全体を覆うそれは、滑らかで甲冑のような見た目だったが、顔面だけは覆われていない。両手から長く鋭い爪が伸びた。


 冬次の目が真っ赤に光ったかと思うと、唐突にこちらに向かって動いた。

 生き物の動きとは全く異なる動きだ。動き出すための予備動作というものが全くなく、突然目の前に現れる。


 俺は、その恐ろしく読みにくい攻撃を寸前で躱し、すぐに打ち返した。

 しかし、冬次はほんの僅か体を動かすだけで、表面を滑らせて俺の攻撃を避けていく。


「くそっ!」

 俺は歯を食いしばり、更に集中した。


 パンチや蹴り、爪の攻撃。全てを避けきることに集中する。

 すると、徐々に分かってきた。

 予備動作は無いが、冬次の攻撃に来る寸前の意志のようなものがある。


 俺は攻撃に合わせ、カウンターのパンチを撃ち込んだ。体を覆う鎧は硬かったが、真正面から打ち抜くように当たると、ひびが入った。


 パンチを打つ度に、ブレスレットの石が光る。

 俺は体に攻撃を集中させた後に、鎧が覆っていない顔面に右ストレートをぶち込んだ。続けてボディに左の膝、そして左右の肘を顎にぶち込む。


 冬次は頭を激しく振ると、その長い爪を俺に突き立てようと、両腕を激しく振った。すでに先ほどまでの読みにくい動きでは無くなっていた。


 連続でパンチと蹴りを見舞った。すると、ついに鎧に大きなひびが入った。

 近づいてきたメンバーたちが一斉に塩をかける。

 渾身の力を込めて、冬次の顔面に右ストレートを撃ち込む。


 鎧が粉々に弾け飛び、床を滑るように転げていく。そして、空中に飛んだ鎧の欠片が散り散りになって消えていった。


 床に倒れた冬次は口から泡を吹き、目が裏返っていた。


「た、逮捕だっ!!」

 警察官が手錠を持って駆け寄ってくるのを見て、俺は大きく息を吐いた。

 と、その時――


 バララララッ!!

 軽快な銃の発射音が放たれた。先ほどまでの拳銃の音とは違って、甲高く軽い音だ。


「てめえらっ、こっちを見やがれっ!!」

 そう言った男は、緋村兄弟の兄、恭一だった。


 右手に抜き身の日本刀を持ち、左手には小型のサブマシンガンを持っている。昔、アメリカのアクション映画で見たことがあるようなやつだ。


 恭一を見た俺は驚愕していた。日本刀とマシンガンに驚いたのではない。

 その日本刀を持った右腕に捕まっていたのは、妹の幸だったのだ。


(さっちゃん!!)

 虎徹が心の中で叫んだ。


 冷や汗が一気に溢れ出る。

 助けに行きたいが、幸が何をされるか分かったもんじゃない。俺は動くのを躊躇ちゅうちょし、恭一を睨んだ。


「てめえら、逃げんじゃねえっ!」

 恭一は叫びながらフード・コートの入り口に向かって、サブマシンガンの銃弾をばらまいた。


 乾いた甲高い発射音が、断続的に響く。

「きゃあっ!!」

「うわあっ!!」


 数人が銃弾を喰らったのだろう。複数の悲鳴が一気に上がり、血の匂いがこちらまで漂ってきた。


「痛いよお」

「助けて……」

 周りから苦しみ、泣く声が聞こえてくる。


 幸は目を瞑り、ガタガタと震えていた。

「てめえっ。なぜ、一般人を!?」


「俺が……俺たちが、何をしようとしているか分かってるんだろ? お前らも皆殺しだ!!」

 恭一が言うと、茶色いロングコートを着た背の低い男がフラフラと出てきた。ネズミを思わせる貧相な顔で、目の下には真っ黒なくまを刻んでいる。


 男は恭一の横に並ぶと、コートの前を開いた。

 すると、体中に巻き付けられたダイナマイトが露わになった。


「くくくく……」

 恭一が笑った。


 シュボッ!

 手に持ったオイルライターに火が点る。恭一の青白い火を見つめる目は完全にイッていた。


「こいつは、俺たちブラック・マンバの幹部、黒田だ。俺たちのためなら命も惜しくないって言ってるぜ」


 恭一が囁くように言った。顎からしたたり落ちる汗を手の甲で拭いながら、火の付いたオイルライターを黒田に渡す。


 ライターを取り上げるために動きたいが、動けない。俺は唾を飲んで、恭一たちの隙を伺った。


 黒田の目には、恭一の熱狂的な目つきと違って全く意思の光が見えなかった。口からは涎が垂れ、足下はふらふらとしている。意識があるのかさえ定かではないが、少なくともこの場から逃げ出したり、俺たちの説得に応じるような感じはしなかった。


「悪魔ビゼムよ……。いつまでも、その男に隠れておらず、出てきてはどうなのか?」

 動くに動けない俺の横で、ルイが言った。


一瞬の静寂。

 そして、

「ふははははは……」地獄から響くような低い笑い声が響いた。


「ビゼムが俺の中に隠れているだって!?」

 恭一が言った。

「くくくく、グはははは……」

 恭一の目が、口が、引きちぎられそうなくらいに大きく開き、皮膚が敗れて血が流れている。


「俺は――我は、もとより、隠れてなどおらぬわ……」

 別々の二人が同時に話しているかのような声――


 一気に周囲の温度が下がり冷気が辺りに漂った。

 ミシ、ミシッ

 と、生木なまきを引き裂くような音が響いた。


 恭一の額の両端から血を流しながら、二本の角が伸びていく。

 みるみるうちに顔に太く短い毛がびっしりと生え、長い犬歯が口からはみ出すほどに伸びてくる。


 そして、変化した恭一に重なるように、蟷螂と恐竜、そして蝙蝠のあいの子のような悪魔の実体が現れていた。背中には蝙蝠の羽を持ち、足は太い恐竜のような形を持っている。悪魔と重なり合った恭一の体は、実体そのものも変化し、二メートルを超える巨体になっていた。


「悪魔と一心同体ってことか……」

「ああ。完全な契約体だ」

 俺の呟きにルイが答えた。

 

 ガン、ガンッ、ガラン……

 硬質な金属音が響く。

 日本刀とサブマシンガンが床に落ち、滑っていく音だった。


 巨大な爬虫類のような手に変化したため、持てなくなったのだろうが、悪魔はそれらを一瞥することもなく、俺とルイを睨みつけた


 フード・コートはしんと静まり返っていた。あまりの出来事に、そこにいる大勢の人間が声も出せず、身動きすることも忘れていたのだ。

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