第43話 前哨戦
「これで、いいのかな」
霧島大はブツブツと呟きながら、塩を山の形に盛り上げると、頂点に銀杏の枝を突き刺した。
場所は竜一の入院していた病院の駐車場の一角だった。指示通りに、初代理事長だかの銅像の前に作る。
銅像は、前髪をきっちり上げ、おでこを出した七三分けで、口ひげを生やしている。スーツに蝶ネクタイを締めた銅像を大は見つめ、ため息を吐いた。
「ねえ、あのお兄ちゃん。変なことしてる……」
背後から小さな女の子の声がして思わず振り返ると、お母さんらしき女性が女の子の手を引いて小走りに走っていくところだった。
病院に来た患者たちも、何ごとかとじろじろ見ながら通り過ぎる。
「全く……病院からやっと帰ってきたと思ったら、こんな訳の分からないことをやらせるなんてな」
頭を掻きながら銅像を見上げる。
この
カチャカチャと音を鳴らして白のスプレー缶を振ると、記号を上から塗りつぶす。そして、スマホで写真を撮る。意味は無いのだが、写真を自撮りする際に盛り塩と銅像と一緒に、ピースした自分も入れた。
写真と一緒にメッセージを送ると、服についた塩を払い、ふうっと息を吐く。
ふと、竜一と初めて喧嘩したのはいつだったっけかと、そんな関係ないことが大の頭には浮かんでいた。
あれは小学校の頃だったか――あの頃はまだ、体も小さくて俺の方が強かったような気がするが、勝ち負けがどうだったのか、何回考えても思い出せなかった。
だけど、俺は泣いていたが、あいつは泣かなかったような気がするな。俺よりも随分チビだったのにな。大は笑った。
そして、高校生になるくらいからか、どんどん成長して、俺と同じくらいの身長になり、力では勝てなくなったんだよな。
あるとき、喧嘩を売ってきたチンピラのバイクを、チンピラごと持ち上げてひっくり返したこともあった。そんなことができる奴は、他に見たことも聞いたこともない。
「まあ、あれは馬鹿力ってやつだな」と独り言を言い、バイクに跨がろうとすると、向こうからバイクの音が響いてきた。
「てめえ、ふざけたこと、してんじゃねえぞっ!!!」
ブラック・マンバの奴らが血走った目でやって来る。
大のバイクは、アメリカンタイプのホンダスティード400だ。バイクで戦おうにも、スピードも機動力もない。
大は後部座席の背もたれに取り付けた釣り竿用のロッドフォルダーから木刀を引き抜くと、引いた後ろ足を軸に前足を外に開き、剣尖を目の高さに置く。実家に伝わる古流剣術の
襲いかかる四台のバイクを、魔法のように次々に打ち伏せ、転かす。
悲鳴を上げて倒れるブラック・マンバのメンバーに、塩を振りかける。すると、今にも襲いかかってこようとしていた奴らが、呆けた顔になってその場に座り込んだ。
「やれやれ。本当に西上さんの言うとおりになったな……」
大はそう言うと、木刀を肩にかけて駐車場の入り口を睨んだ。
そこには、目が真っ赤に血走った一際凶暴そうな男が立っていた。
「グるるるああッ!!」
男が涎をまき散らしながら向かってくる。
大は、上段に渾身の一撃を打ち込んだが、男は平然と首を回し笑った。
「グはははッ。ビゼム様の使い魔の力を授かった俺に、そんな攻撃が効くか!」
男の爪が鋭く伸び、牙まで生えてきた。服がビリビリと音を立てて破れ、毛むくじゃらの手足と背中が露わになった。
四つん這いになると、体を大きくたわめる。今にも跳びかかってきそうな体勢だ。
「マジか……こんなのは聞いていないぞ」
大は、そう言いながら塩を揉み込むように木刀に塗りつけると、ゆっくりと上段に構えた。
大が踏み込むのと同時に、男は獣の速度で跳んだ。男は大の首筋に牙を打ち立てようと、一直線に飛び込んできた。
「ひゅうっ!!」
大の喉が鋭く鳴り、木刀が翻った。
一息で、男のこめかみを打ち抜き、返す刀で
男の動きに合わせた攻撃は、カウンターとなって脳を揺らし内臓を打ち破った。
「うぐうッ……」
崩れるように倒れていく男の後頭部を容赦なく打つ。
男が泡を吹きながら横たわる瞬間、使い魔の蝙蝠が男の口から抜け出た。
だが、蝙蝠は空中へと舞い上がる途中に両断され、アスファルトの上に散らばった。塩の
「ふう……」
大が息を吐く。
悪魔ビゼムの使い魔は、霧島家に伝わる古流の秘技、飛燕切りによって両断されたのだった。
*
一哉は、黒い記号を塗りつぶした時計台と塩の山を背に、ブラック・マンバのメンバーと対峙していた。
鉄パイプや金属バットで武装している奴らの直線的で力任せな攻撃は見え見えだった。
リズミカルにステップを踏み、敵の直線的な攻撃を避ける。と同時に、両手に持ったヌンチャクを鋭く相手に打ち付ける。
特攻服の長い裾が翻り、敵が倒れた。
「ふん」
ポケットに手を突っ込むと塩をまく。立ち上がろうとしていた敵はそのままうつ伏せに気絶した。
既に十人ほどのブラック・マンバのメンバーを倒していたが、まだ五人の敵が一哉を囲んでいた。
「全く、しつこいぜ」
一哉は髪を掻き上げると敵を睨みつけ、ステップを踏んだ。
「まあ、何人来ても、お前らみたいなリズム音痴には負けないがな」
そう言うとヌンチャクを脇に挟み、半身に構える。
そう言えば、竜一も最初はリズム音痴だったな。最初に喧嘩したときは、俺の攻撃ばかり当たったが、結局あまりのタフさに根気負けしたんだ――
中学三年生の頃。転校生だった一哉は、誰彼構わず当たりまくり、番格だった竜一と喧嘩になったのだった。だが、喧嘩の後、武器や不意打ちなどの卑怯な手を使わなかった竜一を一哉は認めた。
あいつ。最初にレッチリを教えたときは感動で震えていたっけ――
ふと、何で今頃、そんなことを思い出したんだ? と、考えていると、
「てめ。死ねっ!」
前からブラック・マンバの奴らが打ち込んできた。
「ぼうっとしてる場合じゃないな」
一哉は鮮やかにカウンターを決めると、残りの四人を睨んだ。
「3連のシャッフルで行くぜ。踊れよ。お前ら」
一哉はステップを踏み直すと、ヌンチャクを振った。そして、敵の顎を的確に打ち抜いていく。
だが、最後の一人の顎を狙った一撃が空振った。
「お?」
男の目が真っ赤に血走っている。
「ビゼム様の使いまである俺様に、お前の攻撃なんか当たるか!」
そう言った男の手足が、緑色の鱗に包まれた恐竜のように変化していく。服はビリビリに破れ、尻からは太い尻尾が生え出た。口には巨大な牙が生え、涎が音を立ててこぼれ落ちた。
「何だこれ!? これも催眠術って奴なのか……」
一哉は息を吐きながら、塩をヌンチャクにたっぷりとなすりつけた。
「だが、どんなに強い攻撃も当たらなきゃ一緒だ。次は16ビートで行くぜ」
そう言った一哉の両足は、それまでと異なる早いリズムを刻んだ。
男が尻尾をもの凄いスピードで振って一哉に叩きつける。
一哉は尻尾のスイングを飛び越え、男の目に向かって塩を目潰しのように蒔いた。
男が、「ぎええっ!」と苦悶の声を上げた隙に、両腕のヌンチャクがめまぐるしい打撃を加えた。
男は苦しみながらも両手を振った。その手は恐竜のように太い爪が生え出ている。
「そんな間の抜けたリズムで、俺に当たるか!」
一哉は攻撃を華麗に避けると、男の顎と
「ぐはあっ……」
男が倒れると、口から使い魔の蝙蝠が抜け出た。
振り切ったヌンチャクを体を回転させながら蝙蝠にぶち当て、さらに塩をぶつけた。
蝙蝠は散り散りに砕け散り、空中に溶け込むように消えていった。
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