第38話 ブラック・マンバ(2)
「く、く、く、く……」
恭一の口から、笑い声が漏れ出た。
すると、部屋の温度が突然下がった。先ほどまでのぬるく淀んだ空気は一変し、恭一の周囲には冷たく硬質な圧力が満ちた。
霊感のある者がそこにいれば気づいたに違いない。
ブラック・マンバのメンバーたちの背中に真っ黒な邪霊が憑き、緋村兄弟の間には、それらとは異なる巨大な黒い影が立っていることに――
ゆらりと立つそいつは、
その化け物は、十日前に虎徹と竜一に一度は撃退され、その後、恭一と運命の出会いを果たした悪魔ビゼムだった。
日に日にでかくなるな――
恭一は、悪魔ビゼムを見上げた。自分と契約を結んだからと言ってずっと一緒にいるわけではない。ふらっといなくなっては、強さを増して帰ってくる。人で言えば食事のようなことをしているのだろうが……。
そんなことを考えながら、ビゼムを見ていると、目が合った。
「ここは居心地がいい。狂気と欲望に取り憑かれている者たちを見ていると気分がいいよ」
地の底から湧き出るようなしゃがれた低い声が響いた。その声は恭一にしか聞こえていない。恭一は口の端をつり上げ、歯をむいてビゼムの目を睨んだ。
「そうか。それはよかった。だが、約束は守れよ。じゃなければすぐに追い出す」
「ああ。もちろんだ。お前を暗黒の王にする。そのためにも、お前たちの敵対するスカル・バンディッドを巻き込んで、この街に流血の争いを起こさなくてはな。さすれば、我の力も増す」
「ああ。だが、俺に指図はするな。あくまでお前と俺は対等な立場だからな」
「ふふふふ。そんなお主だからこそ、我は惹かれたのだ。そして、契約は結ばれた。お主の血と我の血で契ったこの契約を破ることはできぬ」
悪魔と恭一の間に、古びた羊皮紙に血で書かれた契約書が、空中に浮かび上がるかのように現れた。
恭一は、ふん、と鼻を鳴らして契約書を
羊皮紙に書かれた文字は、地球上のどの文字とも似つかない。だが、不思議と書かれていることは読めた。
羊皮紙には、ビゼムは恭一を
「これは血の盟約よ……。我に更なる贄を捧げるのだ。さすれば、我も、お主たちも強くなる」
悪魔が冷たい声で言った。
「ふん。結果として、そうなるさ。悪魔ビゼムよ。それで、頼んでいたものは用意できたのか?」
恭一は平然と、そう返した。
「ああ。これを見ろ……」
悪魔は床の方へ顎をしゃくった。その先には、黒光りする冷徹な鉄の塊があった。
それは、圧倒的な殺傷能力を誇るトカレフ拳銃のコピー品だった。
中国で密造され、ヤクザが密輸したものを悪魔がどこからか、手に入れ持ってきたのだった。横には日本刀も数本投げ出されている。殺傷能力で言えば、これも拳銃に匹敵する。
そして、その横には真っ黒な革のボストンバッグが置かれており、そこにも何やら物騒なものが入っていることが、ゴツゴツとした膨らみから見て取れた。
恭一は唾を飲み込み、トカレフを手に取った。その手の中にある重みが、恭一の強さだった。
「お前たちの最大の敵、九条竜一。そいつが復活している」
「何!?」
悪魔の言葉を聞いて、恭一は唾を飲んだ。最も気に入らない、自分の野望の障害になる男――
「悪魔よ。お前もあいつのことを知っているのか?」
「ああ。あいつだけじゃない……。我にとって忘れたくても忘れられない敵がもう一匹。だが、その片割れは死んでしまったらしい。だから、竜一を倒すのだ。あれは必ず、邪魔をしてくる」
「そうか。だが、言われるまでもないさ」
恭一は口角を上げ、トカレフを構えた。
「使え。力は絶対だ……」
悪魔が言った。
恭一はカウンターに向かって、銃の引き金を引いた。
置かれているウオッカの瓶が弾け、女の悲鳴が響いた。
「ははははははは!!」
恭一は笑った。
耳にあの日の晩に聞こえた冬の風の音が荒れ狂っていた。
悪魔はこの世に地獄を出現させると言っているが、俺の中には常に地獄がある。あの日、あの晩以来、俺はずっと地獄とともにあるのだ。
あの冬の晩の空に開いた真っ黒な穴。さらにその穴の奥深くにある暗黒。そこにいるのは悪魔なんかよりももっと恐ろしく、我が力の支えとなる者だ。恭一は、地獄の力と一体になっている自分を感じていた。
「野郎ども! 楽しんでるかっ!? もっと、もっと暴れるぞ! 俺たちを止められるヤツなんていねえ。おまわりなんてノロマ過ぎだし、スカル・バンディッドもやっつけちまった」
足下をフラつかせながら、弟の冬次がアジる。冬次の両肩には、悪魔ビゼムの使い魔が爪を立てとまっている。
「明日は弾けるぜっ! いいなっ! 気合い入れてけよっ!!」
完全に目がイッていた。アルコールと血反吐を飛ばしながら、冬次は叫び、床に転んだ。
恭一は床に転んだ冬次に手を差し出し、がっちりと手を握ると引き起こし、肩を組んだ。
「冬次、やるぜ。俺たちは王になるんだ……」
恭一は、そう言って再び笑った。その目はギラギラと底光りしていた。
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