第21話 生け贄(1)
一瞬であの男の待つ部屋に戻ったかと思うと、オレの目が男の血走った目に引きつけられた。
まるで強い吸引力が、互いに作用したかのようだった。
――次の瞬間、男の感情と記憶が頭になだれ込んできた。
*
ぼくは幼い頃から、テレビアニメが大好きだった。中でも、女の子のグループが悪者と戦うシリーズや魔法使いの女の子のシリーズが好みだった。
「ねえ、ねえ。先週の魔女っ子のテレビ見た?」
「何、言ってんだよ。男はライダーとか、戦隊とかそっちだろ?」
男友だちと話していて、何となく話が合わないことに気づいたのはいつくらいだったか。確か、小学校に上がる直前のことだったと思う。
小学生から中学生へと成長するにつれ、ますます話は合わなくなっていった。おかしいとか、気持ち悪いとか言われることも多くなり、ぼくは次第に自分の殻にこもっていくようになっていった。
そのうち、アニメの専門誌や好きなアニメグッズなんかも買うようになった。小遣いを貯めて、初めて買ったフィギュアは宝物だった。年頃になっても、同学年の女の子のことを好きになることはなかった。初恋はアニメのキャラクターだったし、それを超えるような女の子に現実に会ったことはなかったのだ。それは、大人になっても変わらなかった。
そして、やはり周りには同じような趣味を持つ友だちはいなかった。だが、そんなことは、しょうがないと思っていた。趣味は人ぞれぞれだし、自分には自分の世界がある。そう思って自分を納得させていたのだった。
大人になってアパートで一人暮らしを始めた。仕事は運送業の助手のようなことをやった。体はきつかったが収入は思っていたよりも全然よかった。職場の人間関係も悪くなかったが、自分の趣味のことは黙っていた。言うと、気まずくなることが分かっていたからだった。
一人暮らしは夢のようだった。稼いだお金は自分の好きなことに使えるし、自分の趣味に文句を言われることもない。ぼくは思う存分に、自分の趣味を追求した。
ある日の仕事の帰り道――
住んでいるアパートのすぐ側で女の子を見かけた。初めて見る子だった。その子を見た途端、ぼくは背筋に電気が流れたようなショックを受けた。
「こんにちは」
女の子が頭を下げる。
「あ……、こ、こんにちは」
ぼくは慌てて挨拶を返した。心臓がどきどきして、手に持った手提げバッグを思わず落としてしまう。
小学四年生くらいの女の子は、三つ編みの二つ結びのおさげ髪で、大きな瞳が印象的だった。
赤いランドセルを背負った後ろ姿を見送りながら頭を振った。こんなことは初めてだった。女の子は長年好きだったアニメのヒロインに雰囲気がそっくりだったのだ。
まだ、心臓がドキドキしていた。
ぼくはおかしくなったのか? 自分の感情を素直に受け入れることができない。よりによって、あんな幼い女の子に恋心をいだくなんて……
現実の女の子に恋をしたのは初めてだった。今まで、こんなことは一度も無かったのだ。
女の子の後ろ姿が見えなくなるまで、その背中を見送った。
ぼくは大きく息を吐き、そしてまた頭を振った。
日が経つにつれ、ますます恋心は大きくなっていった。
自分の中にあるのは純粋な恋心だったが、そこから先を期待していないと自分で言い切れない。ぼくは自分を責めた。こんなことはあっていいはずがなかった。
ぼくは女の子を怖がらせないよう気をつけ、会ったときにもにこやかに挨拶をするように心がけていた。本当に付き合おうなんてこれっぽっちも思っていなかった。
それなのに、ある日を境におかしなことが起こるようになった。
ある日の夜――
布団に入ったぼくの耳に、
「もう、我慢するな……」という囁き声が聞こえてきた。
最初は気のせいかと思った。
だが、「あの女の子のことが好きなんだろう?」という声がはっきりと聞こえ、それが気のせいじゃないことに気づいた。
辺りを見回し壁に耳をつけたが、隣から聞こえてきた声なんかじゃなかった。
しばらくは部屋の隅々を探ってみたり、窓を開けたりもしたが、どこからその声がするのかは分からなかった。
その日は、結局それ以上にはその声は聞こえず、ぼくはいつの間にか眠りについていた。
次の日の夜――
「なぜ、正直にならない?」という声が、また聞こえてきた。
「誰だお前?」
「私はお前だ」
「ふざけたことを言うな!!」
一喝すると、またその声は聞こえなくなった。その日は中々寝つけず、一睡もすることができないまま夜が明けた。
そして、また夜が来た。
「あの幼い女の子が好きなのだろう? 行動に移せ……」
「馬鹿な。ふざけたことを言うな!!」
声はまた聞こえてきた。否定してもその声は止まなかった。
「手伝ってやるぞ。欲望を解放しろ」
「うるさい。消えろ! 俺はそんなことはしたくない!」
ガンッと音を立て、床を殴る。
「嘘をつけ。お前の本心は違うだろ?」
だが、その声はぼくの様子に構わず、心の奥深くを
「……消えろ。俺から出て行け……」
この日は、一晩中、このやりとりを繰り返した。やはり一睡もすることができず、ぼくはこの日、仕事を休んだ。
職場にやっと電話をかけ、ぼくは布団の中で丸まっていた。
ウトウトとしていると、淫夢を見た。ぼくが女の子に吐き気を催すような行為をしている夢だった。
ぼくはぜいぜいと息を荒げ、汗をびっしょりかいて布団をはぐり、はね起きた。
「おい。ちょっと聞け……」
また、幻聴が聞こえてきた。
「ついに夢にまで見たじゃ無いか?」
「うるさい……お前には関係ない」
「そうだな。少し我の考えを押しつけすぎた。お前の言うことももっともだ。一方的すぎたよ……」
幻聴は今までと違って、優しく穏やかに語りかけてきた。
「だが、お前は好きな女の子を犯す夢を見た……。そのことは確かだよな」
「それは、そうだ……」
俺は頭を振って頷いた。自分のことながら、吐きそうだった。
「頼む、もう消えてくれ……」
俺は頭を掻きむしって呻いた。
「まあ、そう言うな……」
「お前は何なんだ? ぼくはやっぱりおかしくなったのか?」
ぼくは目に涙を溜めて言った。
「そうではない。我は言わば神だ。人の欲望を満たす存在、それが我だ。お前と我が出会ったのは言わば、運命なのだ」
「何を馬鹿なことを……」
「馬鹿なことでは無い。これは幻覚でも無い。現実なのだよ。お前があの女の子のことを好きだという気持ちが我を呼び寄せたのだ」
神? いや、何か超常の存在なのか?
ぼくは、ぼく以外にいない部屋の中をキョロキョロと見回した。
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