第18話 実戦
「ぐルルルッ、グあおウッ!!」
邪霊憑きの幽霊が、叫び声を上げた。そのたびに、首に掛かっているロープが大きく揺れる。
いつしか、あの部屋に戻っていたのだった。
上下、グレーのスウエットを着た男の片方の目玉は落ち、真っ黒な穴だ。残った方の目玉からは涙が流れ、大きく口を開いていた。
カツンッ!
オレを噛もうと、歯と歯が打ち鳴らされる。そして、伸び放題の爪が生えた手が振り回される。
オレは後ろに跳び退って男と距離を取ると、その悲しい姿を見上げた。
男の無念と後悔、そして憎悪が、真っ黒な瘴気となって吹き寄せてくる。
オレは
「にゃううう……」と鳴き上げた。
そう訊ねたのだ。
金があれば、美味しい食べものにありつける。そして贅沢品もたくさん買える。それは理屈としては分かる。だが、そのために死んでしまっては何の意味も無い。
「にゃああん」
――金なんて欲しがらなきゃよかったのにな。
「みゃあおん」
――お前が一生懸命だったことを否定してるわけじゃないんだぜ。
ゆっくりと語りかける。
すると、男の顔がぴくりと動き、目玉の残っている方の瞼が開いた。
背中に憑いた漆黒の邪霊が両手で頭を掻きむしる。
「あぁぐ、ギガあぉぉぁぁッ……!!」
叫び声を上げ、涎をまき散らしながら、男の背中から体を引き伸ばして跳びかかってきた。
オレは背中の毛を逆立て、牙をむいた。
ド、ドッ、ドゴンッ!
轟音とともに、邪霊が弾き飛ばされる。
――体から、竜一の青白く光る無数のパンチが飛び出していた。
(邪霊め。大人しくしやがれ。いい加減、俺も怒ってるんだ)
竜一が吐き捨てるように言った。
今のうちだ。これで男に集中できる。
「なあおおおおん」
――逃げるっていう手もあっただろ?
さらに語りかける。
「だけ、ど、借り、た……ものは、返さな……きゃ、いけ、ない……んだ」
男の悲しそうな声が、と切れと切れに聞こえる。
――だからと言って、死ななくてもよかっただろ?
「確かに、そう、かも……な」
――何にこだわってたんだ?
「たぶ……ん、ま、負けたく、な、なかった……んだ」
――そうか。負けを認めたくなかったのか。それなら少し分かるぜ。
オレは男がこだわっていたことを少しだけ理解した。そして、さらに鳴き続けた。鳴き声に合わせ、銀杏の枝で編んだ首輪に付けられた石が光る。
「俺は……一人、で戦った……んだ。だって、負ければ、終わり……な、んだ。強さは、いいこと……で、弱者は、強者に、食い殺……される世の中、だと、思って……」
男が言葉を紡ぐ。その表情は、それまでのゾンビのような無表情な顔とは明らかに変わっている。
いつしか傍らに死神がいて、オレの背中に手を当てていることに気づいた。背中から温かな力が伝わり、腹の底にある金色の玉から力が伝わってきた。
――負けたら終わりだって、邪霊が煽っていたんだな。そんなことはない。終わりなんかじゃない……。
「そ、うだ……俺、は……何、に……こだ、わって、た……?」
するり、と男の首に掛かっていたロープがほどけ、下に落ちた。
銀杏の枝で編んだ首輪の石が、さらに激しく金色に光った。
そして、オレの左の瞳が青色の、右の瞳が緑色の光を放った。
「ぐぉ……ガ、ろあぁぁっあ、ガぁあぁ…………」
背中についた邪霊が苦しみ、頭を掻きむしる。
オレはかまわずに鳴いた。
「にぃっやああっおおう!!」
こいつから、その汚い手を離しやがれっ!!
オレの声は一直線に邪霊を直撃した。
邪霊が見る見るうちに黒い粒子になって、背中から剥がされていく。黒く散り散りになって消えていく様は、まるで日光に晒された吸血鬼のようだった。
そして、同時に男のボロボロだったグレーのスエットが細かく分解されていく。
オレは鳴き続けた。
男の姿が変化していく速度が上がった。
体を覆っていたボロボロのスエットはすっかり消え、ワイシャツやスーツが体を覆っていく。
「ありがとう。目が覚めた……」
そう言った男の目には力強い光が宿り、あの見るも無惨な姿から、立派なネクタイを締めたスーツ姿へと変化していた。
「もう、大丈夫なのか?」
「ああ」
「邪霊に憑かれていたんだぜ」
「分かってる。だが、半分は自分自身のせいだな」
男は頷いた。
みるみるうちに、男の姿が光に包まれ始めた。
男は光が降りてくる上を見て、次にオレたちに目を移すと、笑顔で手を振った。男の体が微細な光る粒子となって、少しずつ消えていく。
どれくらい時間が経っただろうか――
首輪の石の光は既に消え、元の岩で囲まれた部屋に戻っていた。
かなりの時間が経ったような気もするし、ほんの数瞬だったような気もする。とにかく、男の姿はオレの目の前から完全に消えていた。
(やったな。さすがだ)
竜一が言った。
「オレは何をしたんだ?」
死神に訊ねる。
「訓練の成果が出たんだよ。お前の声には特別な霊力がある。邪霊に憑かれていた彼の悲しみを癒やし、邪霊との繋がりを絶った。そして、邪霊を祓ったのだ」
「そうか……男は成仏したのか?」
「ああ。天国へと行ったよ。そして、これで修行は終了だ。これがお前の力だ」
「そうか。よかったよ……だが、邪霊がここまで悪さをするなんて」
「いよいよ、邪霊の巣を何とかする必要がある。他にも被害者は大勢いるに違いないからな」
「邪霊の巣か……」
オレは頷くと、死神の顔を見た。死神の目には強い光が宿っていた。
オレたちは来た道をたどり、元の真っ白な床が延々と続く空間へと帰った。そして、白い空間からも外に出る。外から小さな建物を見上げた。あんなに広い空間が中にあるとは思えないほど建物は小さかった。
暗闇の中を白く光る細い道を落ちないように下っていく。終点まで来ると、四角い穴が開いていた。
穴をくぐって墓地に出る。
「邪霊の巣が見つかったら迎えに来るよ。当たりは付いているんだ。そんなに待たせないと思うから、それまでは待っていてくれ」
死神はそう言って、また旋風に巻かれて消えていった。
竜一は何を考えているのか、祠に帰る間、何も話さなかった。
オレもあの男のことを考えると、何も話す気にはならず、黙って歩いたのだった。
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