第13話 決意

 雀の鳴き声と差し込む太陽の光でオレは目を覚ました。

 日の光の眩しさに目を細めながら、前足と背中を伸ばす。


 祠の外に出ると、木の根の隙間に溜まった水を飲んで、口の周りについた水を舐めとってから、左手首を曲げて顔をふく。


 朝が早いためか、祠の周りに人通りは無かった。

 首を回してあくびをし、また伸びをする。


 すると、どこからともなく耳障りな高い羽音が響いてきた。

 羽虫だ。そいつは瞬く間に近づき、顔のそばギリギリを何度も回った。


 オレは羽虫を目で追った。そして、離れていこうと背中を見せた瞬間、反射的にパンチした。前足の肉球に、小さな手応えを感じる。


 羽虫が目を回して落ちていくのを見て、

「にゃあ《どうだ》!」と叫んだ。

 あれ? 何だ、これ!?


「にゃああああっ!」っと叫んで跳び上がる。走って水たまりに行くと、そこに映った自分の姿を見つめた。


 首をかしげ、牙をむきだし、片目をつぶる。見た目は変わらない……だが、今、オレは確かに、オレ様、猫の虎徹だ!!


(おい、おい。なにをはしゃいでるんだよ?)

「竜一!? オレ、元に戻ったんだよ!」


(ああ、分かってるよ。元々、お前の体だもんな)

「そうか……でも、なんでだ?」


(分からんが、一眠りしたら、元の持ち主の調子が戻ったってことなんじゃないか)

「そんなものか?」


(ああ。そんなものだろうさ)

 竜一が頭の中で笑うのが分かった。つられてオレも笑ってしまう。


(ところで、虎徹。俺がお前の体を使ってる間、どんな感じだった?)

「半分眠ったような感じだったな……。お前の彼女に触られた途端、おかしくなったんだ。子どもの幽霊が成仏したことや、お前が病院に行ったこと。ここでスマホをいじってたこととか、夢みたいな感じで見てたよ」


(ふうん……。だから、俺が呼びかけても返事はしなかったのか?)

「ああ、そうだ」

 オレはそう言いながら、足下の水たまりに落ちた虫を掬って外に出してやった。


 しばらく、もがいていた虫は羽の水が乾くと、空へと飛んでいった。


(お前もいいところあるな)

「ばーか」

 オレは笑いながら道路に出た。


「オレは元々、捨て猫でな。段ボールの中にいて死にそうだったところをさっちゃんて飼い主に助けられたんだ……」


 四角い段ボールの箱から見上げる小さな青い空。それと、段ボール箱に囲まれた狭い空間。そこが生まれて間もなかったオレの世界の全てだった。


 ただ、ただ、受け入れるしかない現実――喉がカラカラに乾いて、力も全然入らない。そんな、衰弱しきったオレの目に入ってきたのは、小さな四角い空から覗くさっちゃんの心配そうな顔だった。


(さっちゃん?)

「ああ。おさげの髪型の女の子でさ。白いブラウスに赤いスカート、靴下も可愛いフリフリのついたやつを履いてることが多かったな。年は学校に入ったばかりくらい。家にピンクのランドセルがあったからな」


 オレは、さっちゃん家に連れて帰られると、毛布でくるまれ、温められたミルクをもらって生き延びた。さっちゃんに抱かれた温もりとミルクの美味しさは忘れようにも忘れられない。


(虎徹って名前はそのさっちゃんが付けたのか?)

「いや。付けたのは家族だったのかもしれないな。はっきりとは思い出せないんだが……」


(そうか。でも、そもそも、なんで野良猫になったんだ? さっちゃんとの暮らしに不満はなかったんだろ?)


「さっちゃんと暮らし初めて一年くらい経ったときに、初めて外に出て、トラックの荷台に乗り込んじゃってさ。そんなに遠くに行ったわけじゃないんだが、トラックが停まったところで降りたんだよ。でも、そこから家までの帰り道が分からなくなってな……」


(そんな、小さい頃じゃ仕方ないか。だが、よく今まで野良で生きてこれたな)

「まあ、苦労はしたがな」

 オレはそう言って歩き出した。


(どこに行くんだ?)

「オレのお気に入りの場所があるんだ」


(お気に入りの場所?)

「ああ……」

 オレは頷くと、近くにある今は営業していない銭湯まで走っていった。ここには古い煙突があって一番てっぺんまで行くと、街のかなりの部分を、眺めることができるのだ。


 煙突についている赤茶に錆びた鉄筋のハシゴを爪を引っかけながら上る。強い風が体中の毛をなびかせる中、オレはてっぺんから街を眺めた。


 大銀杏が足下に見え、ずっと向こうには、町の人が働く大きな工場やショッピングセンター、大学病院も見える。


(いい景色だな。ずいぶん高いが……)

「高いところは苦手か?」

 竜一が緊張しているのが分かったオレは訊ねた。


(ああ。だけど、自分の体で上ってるわけじゃないからな。これが俺自身なら大変なことになってるよ)

 竜一が自嘲気味に言う。


「そうか。それは悪かったな――ここは街全体が見渡せるんだ。オレ、いつも、この街のどこかに、さっちゃんたちもいるんだなって思いながら眺めるんだ」


(なるほどな。そう言われてみると、見え方も変わってくるな。ここには俺の仲間や家族も住んでいる)


「そうだろ。ここはオレたちの大切な街だ。だから心配なんだ。死神によると、普通ではあり得ないくらいに邪霊が増えているっていうじゃないか。何か、大変なことが起きようとしているんじゃないかって心配なんだ……」


(ああ。あいつめ、浩二の背中にまで憑いてやがったし、妹にも憑こうとしていやがったしな。ひょっとすると、他にも俺たちの知り合いの背中に着いていないとも限らない)


「だからさ、竜一が思ってたこと――邪霊の巣を潰しに行くっていうの、オレも賛成だぜ。あいつらは、一刻も早く根絶やしにしなくちゃいけない」

(そうか。よかった……。まあ、これに成功したら俺もお前の体から出て行くしな)


「ふん。まあ、鬱陶うっとうしくはなくなるな」

 オレたちはお互いにそう言って笑いあった。


(それで、死神に会いに行くとして当てはあるのか?)

「少し、考えがあるんだ」

 オレはそう言うと、お尻を下にして大急ぎではしごを下りていった。


 下に着くと、オレは目的地に向かって歩き出した。

(おい! あれ!)

 飲み屋街を抜ける途中で、竜一が叫んだ。目の先に、寿司の折り詰めが落ちている。


(腹が減っては戦はできぬって言うんだぜ)

「何だ、それ?」

 オレは苦笑いしながら、折り詰めの中の寿司の幾つかを空きっ腹に詰め込んだ。


「とりあえずさ、真っ黒で大きな瓦屋根を持った古い寺にある墓地に行ってみようと思うんだ」

 オレは寿司をもごもごと食いながら言った。


(え。あそこか? 確かに。死神の仕事から考えると、出会える確率は高そうだが……)


「ん? 何かあるのか?」

(いや。メンバーの一人の実家なんだよな)

「そうなのか? 行きたくないのか?」


(そういうわけじゃない。だいっていう奴のうちでさ。あそこの和尚さん……つまり大の父さんが古武術の道場主も兼ねてるんだ。で、俺は大事な一人息子を不良の道に引きずり込んだ悪い奴ってわけなんだ)


「なるほどな。でも、この体だし、大丈夫だろ」

(まあ、そうだな)

「よし。それじゃ、行こう!」


 オレはそう言うと足を進め、飲み屋街を抜けて住宅街へ入った。しばらく行くと、塀の上に飛び乗り、さらに屋根の上に上がる。かなり向こうだが、真っ黒な屋根瓦をふいた大きな屋根が見えた。


「邪霊の巣か――絶対潰してやるからな」

 オレは、寺の大きな屋根を睨みながら呟いた。

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