第3話 幽霊

 次の日、目が醒めると、既に太陽は真上にまで昇っていた。

 中に竜一の魂がいるせいなのか、たまらなく腹が減っている。


 太陽の眩しさに目を細めて外に出ると、

(おい。おれに任せろ)

 突然、竜一が語りかけてきた。


「お前、起きてたのか? 昨晩は全然返事しなかったくせに……」

(まあそう言うな。勝手に意識が途切れるんだ。突然眠っちまう感じでな)


「都合がいいところで、眠っちまうんだな」

(そうか? でも、わざとじゃないんだ。許せ)

 頭の中で「がはは」と笑う竜一に腹が立つ。だが、オレは怒りを飲み込んで、言葉を続けた。


「まあ、いいや。ところで何だ? 何を任せろって?」

(腹が減ったんだろ? 俺がうまいところを知ってる。クレージュっていうレストランだ。また、腐りかけの魚を食ったりするのは嫌だからな)


「腐りかけって!?」

(まあ、そう怒るな。俺がお前の体を操ってもいいが、うまく動かす自信がない。教えてやるからその通りに行くんだ)


 オレは竜一の言葉に渋々頷いた。

 竜一によると、何十年も前からある老舗のレストランで、この街で洋食を出すレストランの草分け的な存在なのだそうだ。


(さて……じゃあ、行くか)

 竜一はそう言い、進む方向をオレに伝えてきた。

 オレは裏通りに入り塀に飛び乗った。そして、盛大に鳴る腹の音に顔をしかめながら走り出した。


 しばらく行くと潮の匂いが漂う広い通りに出た。車が走っていないことを確認し、通りを横切る。

 南にある港からの風が強く吹き、オレの顔や体をなぶっていく。


 竜一の指示通りに狭い路地に入ると、油や残飯、アルコールの匂いが強くなった。閉まっているスナックやバーの看板が並ぶ中をオレは進んだ。

 三分も歩くと、小さな古びたアルミドアの前に着いた。


 竜一によると、ここがクレージュの裏の通用口なんだそうだ。客用の入り口は、表の広い通りに面しているらしい。窓からテレビのニュースが聞こえてくる。


(たぶん今頃、ランチタイムが終わった後の休憩時間なんだ)

「なんで、そんなことを知ってるんだ?」


(昔、ここでバイトをしてたことがあるのさ)

「ふうん……」


 オレは竜一の言うとおりに、ゴミ箱のプラスチックの蓋をずらした。すると、すぐにエビフライの香ばしい油の匂いがした。半分ほど残ったエビフライと一緒にご飯の食い残しも捨ててある。


 オレはその美味そうな匂いに耐えられずにかぶりついた。

 やべ。なんだこれ!?


 一口食べて、固まってると、

(美味いだろ?)

 竜一が笑いながら訊いてきた。


「ああ」

 オレは竜一の問いに答えるのも、もどかしかった。

 再び、エビフライにかぶりつくと、次々に胃袋へと収めていく。そして、尻尾までバリバリと音を立てて食い尽くした。


 大満足で裏口から表通りに出て、盛大にゲップをしたところで、竜一がオレに話しかけてきた。


(いやあ、美味かったな)

 竜一が自分も食ったように言うのを聞いて、

「ああ……だけど、お前オレが食べたものの味が分かるのか?」

 と、オレは訊ねた。


(お前の五感は全て共有している。お前が見るもの、聞くもの、触るもの、匂い、味。全て俺も一緒に感じてるよ)


「マジか?」

 オレは舌で口の周りについた油を舐め取りながら頷いた。


 それって、あんまり気持ちのいい状態じゃないな……。オレは心の中で呟いて、はっとしたが竜一は反応しなかった。どうやら、口に出して話さないと竜一には伝わらないらしい。


 ほっとして歩いていると、目の前に中年の男がいた。構わず歩いて行くと、


(うわっ!)と竜一が声を上げ、

(今、人の足にぶつかりそうだったのに、すり抜けなかったか?)と訊いてきた。


「ああ。あれか? あいつは生身の体じゃないからな」

 オレはそう言って、生気の無い中年の男を振り返った。


(あのおっさんは何なんだ?)

「見たこと無いのか? あれは幽霊だ」


(は? 幽霊って死んでるあれか?)

「ああ」


(お前、昔から見えるのか?)

 竜一が驚いているのが伝わってくる。


「まあな」

(そう、なのか。そう言えば、長生きした猫は妖怪になるって昔話を読んだことがあるが)


「オレはそんなに長生きもしてないし、妖怪でもないがな……」

(お前のその目の色も関係しているのかもな)


 竜一の言葉に、そんなものか――と思う。確かにオレの目は普通の猫とは違って、右目が青で左目が緑だ。

 息を吐いて、改めて幽霊を見つめる。


 オレの目を共有している竜一にも分かるはずだ。向こうが透けるほど色が薄く、影がない。そして生きているもの特有の匂いもない。


(この幽霊は何か悪さをするのか?)

「いや。特に害はないさ。大人しいもんだよ」

 オレは幽霊を見上げて言った。


(ふうん……)

「ところでさ。竜一はなんで、あの時バイクであそこを通ったんだ?」


(バイクは俺の相棒みたいなもんなんだ)

「相棒?」


(ああ。あの日は俺のチーム、スカル・バンディッドの集会でな。少し遅れててさ、飛ばしていたら事故っちまったってわけだ)

 竜一がため息をついた。


「スカル……なんだって?」

(バンディッド。バイクで走ったり、仲間で集まって話をしたり、たまには別のチームと喧嘩したりな。俺はそこの頭をやってるんだ)


「それって楽しいのか?」

(ああ。楽しいぜ。だから早く元の戻ってみんなと一緒に走りたいんだ)


「そうか。だから、この前寝てるのにバイクの音に反応したんだな」

(そんなことがあったのか?)


「ああ。なんか名前を呼んでたぜ。だいとか一哉かずやとか言っていたが」

(チームのメンバーの名前だ……)


「そうか。早く元の体に戻りたいか?」

(訊くなよ。決まってるだろ)


「そうか。オレもお前には早く元の体に帰って欲しいよ」

 前足で顔を撫でながらオレは言った。


(チーム結成二周年の集会だったんだぜ。みんな心配してるはずなんだが……っていうか、俺の体そのものはどうなっちまったんだ?)


「さてな……そう言えば、救急車がどこかに連れて行ったんじゃないか。分からんが」

(そうか。なあ、少し落ち着いたら俺の体を探しに行かないか? たぶんどこかの病院だろう)


「それはいいが、闇雲に探しても見つからんだろ?」

(それは、そうだな)


 まあ、こいつが体から出て行ってくれるとオレも助かる。後でいい方法が無いか少し考えるか――

 オレはそんなことを考えながら、路地裏へと入っていった。

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