第4話 邪霊

 路地裏をしばらく進むと、野良猫が一匹、また一匹と現れた。

 そいつらは合計で四匹。どれも知らない猫だった。


 余計な争いは避けるに限る。オレはUターンしかけたところで、立ち止まった。

 背後に、野球帽キャップを被った子どもが立っていたのだ。


「にゃああおう……」

「なあああおお……」

 猫どもが、口々に威嚇の鳴き声を上げる。


 オレは囲まれている猫たちに油断なく目を走らせ、子どもを見た。

 子どもは小学校高学年くらいか――


(何だ。ありゃ?)

 竜一が呟く。


 オレは子どもの背後に貼り付いた黒い影を睨んだ。幽霊に似ているが、違うものだ。

 首筋の毛がピリピリと逆立ち、ヒゲがピクピクと動いた。


 そいつは何を考えているのか分からない不気味な表情で背中に貼り付いていた。普通の幽霊に似ているが、決定的に違うのは反吐が出そうな雰囲気を放っていることだった。腐臭が実際に漂ってくるかのようだ。


 オレは身構えた。耳が後ろを向き、尻尾がピンと直立する。

(おい。あいつからどす黒いガスみたいのものが溢れているぞ)


「ああ」

 オレは竜一の言葉に、頷いた。

 真っ黒な瘴気が、目に見えるような密度で路地裏に溢れかえっているのだ。


「うぅぁグぉガガぁ……!!」

 子どもの背後の真っ黒な幽霊が、不気味な叫び声を発した。


 途端に、四方から猫たちが飛びかかってきた。

 オレは一瞬下に沈みこむと、一拍置いてから跳び上がった。


 オレが跳ぶと思い込んだタイミングで繰り出された、猫たちの一撃がことごとく空振りする。


 遅れて跳んだオレは、目の前にいた猫の鼻面を思い切り引っ掻いた。

 その勢いのままに、左の猫の鼻にもパンチを叩き込む。


 オレの攻撃を食らった二匹は、

「ニャンッ」と情けない声を上げ、下に転げ落ちた。

 一瞬で戦意喪失したそいつらは、そのまま走って逃げ出す。


(やるじゃないか)

「ふん」


 竜一の賞賛に鼻を鳴らして答える。これまでの野良猫としての生活で身につけた得意技だった。


「にいいいッ!!」

 オレが残りの二匹を威嚇すると、二匹はジリジリと後ずさった。


 すると、突然

 ぶんっと風を切る音がした。


 オレは前回りのような形で、転がりながらその攻撃を避けた。

 子どもが背後から蹴りを入れてきたのだった。


 転がりながら、帽子のひさしの下の目と目が合った。爛々と燃えさかるようなその目は、明らかに普通ではなかった。


 背後の真っ黒な幽霊の右手が動いた。連動するかのように、子どもの右手に折りたたみ式のナイフが現れる。


 ガリッ、ガリッ、ガリッ……

 路地裏のブロック塀をナイフでこじるように削る音が響く。


「おい……お前の真っ赤な血を見せろ。その綺麗な目も欲しいな」

 子どもが冷たい声でささやいた。


 背中の毛を逆立て、

「しゃああッ……」と威嚇の声を上げる。手加減している余裕は無い。両手の爪は全開だった。


「うきゃっ!!」

 奇声を上げ、子どもがナイフを振り上げた。


 まさに襲いかかってくる寸前、

 ビュウウウウウウウウウ……!!

 突然、強風が吹いた。


 埃やゴミを巻き上げながら大きな旋風つむじかぜが巻き起こる。

 今にも飛びかかってこようとしていた子どもと二匹の猫は、目をかばってその場に立ちすくんだ。


 風が止むと、そこには黒いコートを着た背の高いやせた男がいた。男の髪は黒色の長髪で、彫りの深い顔立ちをしていた。顔やコートから覗く肌の色が抜けるように白い。


「強い邪気を感じてきてみたが、悪魔ではなかったか……」

 男はそう言いながら、右の手のひらを子どもに向けた。


 子どもが帽子を落とした。脂汗を流すその表情からは、さっきまであった狂気のようなものが抜けかけているように見えた。


 男は、少年に右の手のひら向けたまま、オレを見て「おや?」という顔をした。

「おい。お前……この少年に憑いている邪霊が見えているな? 出て行けと叫んでみてくれないか?」


「何?」

 オレは突然の申し出に戸惑ったが、すぐにやってみるかと思い直した。その時、何で素直にそう思ったのかは今でも分からない。


「にゃああううううおおおおお!」

 ――真っ黒な幽霊よ。出て行けっ!


 オレの声は自分の声では無いかのように、力強くまっすぐに真っ黒な幽霊を打ち付けた。


「ギいぃぃ、ヤあぁぁッ……」

 鳴き声の直撃を受けた真っ黒な幽霊は、悲鳴を上げて引き剥がされるかのように消え去っていった。


 それまで、辺りを埋め尽くしていた瘴気が、跡形もなく消えていた。

 子どもは我に返ったような顔になり、尻餅をついた。地面に音を立て、ナイフが転がっていく。


 そして、それまで残っていた二匹の野良猫が奥へと駆けていくのを見て、慌てて自分も逃げ出した。


(今の力は何だ!?)

「分からん」

 竜一にそう答えると、オレは突然現れた男を睨みつけた。


 九月に入ったばかりで、コートを着るには暑い季節だ。なのに、そいつは汗一つかいていなかった。一瞬幽霊か? とも思ったが、影はある。


「お前は誰だ?」

「私か? 私は……死神だ」

 男は静かにそう言った。


(死神? 死神って大きな鎌を持ってるんじゃ無かったか?)

「それは人間が勝手に作ったイメージだ。まあ、それはいい。ここであったのも何かの縁だ。ついてこい」


 死神はオレの頭の中だけで鳴っているはずの竜一の声にそう答えると、奥へと足を進めた。

 オレは何が何だか分からないままに、足を進めた。


「お前の声には力がある」

 歩きながら死神が言った。


「力?」

「ああ。そうだ。邪霊を祓う力だな。まだ、弱いが……お前の言葉は必ず邪霊の支配する人間に届く。おそらく、人の魂がお前の中に入っているせいだろう。そのことが元々あった才能を開かせたんだ」


「邪霊って、あの真っ黒な幽霊のことか?」

「そうだ……話している間に、もう一匹の所に着いたぞ。こっちの方が危なそうだ」


 路地裏の奥で中年の男が狂ったように叫び声を上げている。二十代くらいの女性を背後から抱え、どこから持ってきたのか包丁を振り回していた。


 邪霊が背中にべったりと貼り付き、男と一緒に耳障りな叫び声を上げている。

「何だ!? こいつはっ?」

「こいつも、さっきと同じ邪霊憑きだ。だが、より魂を浸食されたヴァージョンだ……」


「ちょっと待て。こんなのと戦う義理なんてないぞ!」

「ほら、そんなことを言ってる場合じゃないぞ。気を抜くんじゃない」

 死神がオレたちに言った途端、中年の男が再び叫び声を上げた。


      *


 随分と待たせたが、ここで、ようやく最初の話に繋がったと言うわけだ。

 途中の詳細は、それぞれ思い出すなり、読み返すなりしてほしいのだが、今の状況は、邪霊憑きに鳴き声を浴びせ、竜一が霊撃百裂弾とやらを食らわし、その隙に女性が逃げていったというところだった。


「ギギッ、グぉウぅぅ……」

 竜一の攻撃で、壁にしたたかにぶつかった男の背では、邪霊が苦しみの声を上げていた。


 オレは四肢を踏ん張ると、大きく口を開けた。

「にいやああっ! やあうおおっ!!」

 ――さっさと外れろっ! そいつから出てけっ!!


 思い切り出した鳴き声が、邪霊に直撃する。

「ギぃイぃヤぁぁーッッ!!」

 邪霊は悲鳴を上げながら散り散りに引き裂かれ、空中に消えていった。中年の男は気絶し、その場に崩れるように座り込んだ。


「さすがだ。やるな……」

 死神はそう言って微笑んだ。

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