第1話 邂逅

 関東のとある地方都市、あおはま市。大きな港と工場のある海沿いの都市だ。


 俺、竜一はこの街で不良グループ『スカル・バンディッド』の頭を張っている。

 喧嘩がきっかけで仲良くなった奴や、昔からダチだった奴らと作ったチームで、不良グループとは言っているが、メンバーは基本的に気のいい奴らばかりだった。


 今は、チーム結成二周年の集会へ向かうため、愛車のカワサキ・ゼファー400で、待ち合わせ場所の港へ向かっているところだ。


 少しだけ遅れそうなのもあって、俺は雨が降る中、いつもより多めにアクセルをひねった。天気はあいにくの雨だが、バイクはすこぶる快調だ。


 バイクを走らせていると、アドレナリンが上がり、気持ちが高揚する。自分だけの羽が背中に生えたような……そんな感覚が近いかもしれない。


 雨の降る夕方の道は、人通りも多く、道行く車のライトで路面が光って見にくいが、そんなことは関係ないかのように、俺はバイクを飛ばし続けた。


 せっかくの二周年の集会に頭の俺が遅れていくなんて格好がつかない。

 俺は大きく深呼吸をすると、さらにアクセルをひねった。集合管から、四ストローク四気筒の官能的な排気音が響き渡る。


 バイクは路面の飛沫しぶきを飛ばしながら、港へ向かって駆け抜けていった。


      *


 あおはま市の飲み屋街には、街の皆が大切にしている大きな銀杏いちょうがあった。

 ちょうど街の中心にある小さな緑地帯いっぱいに生えた銀杏は、どれくらい昔からあるのか分からないくらいに大きく、威厳のようなものさえ感じさせる。


 そして、その根元には忘れ去られたかのように、苔むした小さな石の祠がひっそりと置かれていた。オレ、虎徹こてつはそこに住んでいた。


 その日は朝から雨だった。

 オレは雨粒が石の屋根を打つ音に身を任せながら惰眠を貪っていたが、腹が減ったのに我慢ならなくて体を起こした。このまま寝てても腹は膨れやしないから、食い物を調達する必要があった。


「みゃあうう」

 あくびをすると、体を震わせ外に出る。街の灯りが薄く滲んだ雨雲に向かって、もう一度鳴き声を上げる。そして、雨に打たれながら歩き出した。


 外では多くの人々が傘をさして歩いていた。それぞれが思い思いに歩いているようで、まるで川の小魚の群れのように大きな流れを作っている。日はすっかり落ち、降り注ぐ雨に自動車のライトが反射していた。


 しばらく人混みを縫って歩くと、小さな交差点にたどり着いた。

 オレは交差点の先に注意を向けた。この先に餌場にしているゴミ捨て場があるのだ。


 交差点を過ぎたところにはトラックが停まっている。運転手も乗っておらず、エンジンもかかっていない。


 オレはそのトラックの方向を見ながら慎重に交差点に足を踏み出した。


 ――と、

 キキイッ!! キキュウッッ!!

 けたたましい急ブレーキ音とタイヤのスリップ音が背後から響いた。


 振り返ると、刺すようなライトの光が目に飛び込み反射的に跳び上がった。

 交差点の近くにある脇道から、排気音を轟かせた大型のバイクが飛び出してきたのだ。


 バイクを運転していた男の額と頭がぶつかる。

 男が、「あっ!」と叫び、オレは頭に強烈な衝撃を受けた。


 耳障りな音を立て、バイクと男は横倒しにアスファルトを滑っていく。

 オレは同時に空中へと大きく跳ね飛ばされた。


 たぶん、死んだな。

 目の前が暗くなっていく中、そう思った。



 ――どれくらい時間が経ったのか。ゆっくりと目を開く。

 夜の街灯の灯りが、ぼんやりと目に入った。


「にいいい……」

 よろめきながら、濡れたアスファルトの上に立ち上がる。


 どうやら、死ななかったみたいだな。

 体を震わせ、雨水を飛ばすと、頭がはっきりしてきた。


 気がつくと、目の前には赤いライトを回す救急車が停まっていた。何人もの人間が慌ただしく動き、誰かを積み込んでいる。


 その様子を見ていると、

(何だ、こりゃ!?)頭の中で、誰かが喚いた。


「何だ!? お前は?」

 オレは訊ねた。


(どうなってるんだ? これは猫の体?)

 前足が勝手に上がった。マジマジと前足を見つめていることに気づいて、はっとする。


「おい! 勝手にオレの体を動かすな!」

(はっ!? 何だと!! そんなのは俺の勝手だ!)


 突如、体が何度も跳びはねる。爪を立てて電信柱を駆け上り、続けて救急車に向かって跳んだ。救急車の中に入る寸前、後ろのドアは閉められ、大きなガラスに頭をぶつける。


「おい! 本当に止めろ!! お前は何者だ?」

(俺は竜一。あそこに倒れているバイクを運転していたんだ。お前は誰なんだ?)


「オレは虎徹。ここいらが縄張りの野良猫だ」

(俺はなんで、猫の体の中になんか入ってしまったんだ?)


「理由は分からんが、ぶつかった時に入っちまったんだろうな」

(は!? そんな馬鹿なことがあるもんかっ!?)


「知るか。なっちまったもんは仕方がないだろ。とにかくオレの体を勝手に動かすな!」

 オレは叫んだ。端から見れば、一匹で勝手に鳴き続けている変な猫に見えるだろう。


(く、くそ……)

「どうした?」


(な、何だか、目の前が暗い……気が遠く、な……る……)

 竜一の声が切れ切れになる。


「おい、ちょっと待て!」

(く、くそ……俺、は、今日、は……大事な、用が……)

 竜一が焦ったように頭の中で呟く。


 だが、その声は、段々か細くなっていき――突然、ぶつっと途絶えた。

 それまで、オレの中にいたはずの竜一の人格はいなくなっていた。気配と言えばいいのか、そういったものを全く感じなくなっていた。


 オレはため息をついた。

「みゃああっ《おい。竜一っ》!」 と、大きな声で呼びかけるが、返事は無い。

 鳴き声に気づいた救急隊員がこっちを見ていることに気づいて、オレはその場から急いで離れた。


 走っていると、急に腹がぐうっと鳴った。

 そうか……飯を食いに来たんだったけな。

 元々の目的を思い出し、空を見上げる。


 いつの間にか雨は上がっていた。

 オレは雨に濡れた冷たいアスファルトの上を駆けていった。

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