12話:アナタは誰よりも天才的に壊れていなければ

 唐紅からくれないから夕闇へ落ちようとしている夕暮れの空。

 会社や学校が終わり、皆が早く帰宅しようと脚を急がせる。


 都内にある国立の名門進学校、両華りょうか学園の生徒達も例外ではない。


 陶器のように白く繊細な色をした校舎にあけぼの色が混じり、多少暖かみを感じさせながらも矢張やはり気温は肌寒い。

 伝統的な黒を基調とした長袖の学蘭がくらん水兵セーラー服を着こなしながらも、マフラーや手袋で防寒した生徒達は鼻を赤くして、明日の課題やれから遊びに行く場所についてを同学の者達と言葉を交わしながら校門を後にしていく。


 其処そこに、ふと一人の女子生徒が高等部の一年玄関を視た瞬間、かおを明るくして指を突き差しだした。

 れに続いて様々な生徒たちが彼女の指を中心に、一人の女学生を見つめだして黄色い声援を送りだす。




 容姿端麗、明眸皓歯めいぼうこうし、才色兼備な尤物ゆうぶつ乙女──黒の水兵服を誰よりも着こなし、女は脚光を浴びながら短い階段を降りていた。




「きゃあぁぁ! 茉莉花まつりか様ぁ‼」


 皆がそう呼び、彼女へと近づいて行く。


 あいでようと囲い、誰一人として茉莉花の半径一メートル圏内を近づこうとはしない。

 彼女の道を妨げぬよう、彼女のからす色の長髪に触れぬよう、彼女の蒲公英たんぽぽの様なひとみにごさぬよう、彼女の花弁を散らさぬよう、生徒達は道を開けながらも笑みを受かべながら別れる最後の瞬間まで寄り添おうとする。


「茉莉花様! 今日も生徒会のお仕事お疲れ様です‼」



「茉莉花様! 前回の弓道の大会も優勝おめでとうございます‼

 他の選手を圧倒しながらも一人佇んでいる姿は、険しい山崖に咲く一輪の華のようでした‼」


「茉莉花様! 新作最高でした! 次のも期待してます‼」


 生徒たちは茉莉花に様々な賛美の言葉を投げかけながらも、彼女の歩行は等速から遅れる事は一秒たりともなく──こえを掛けてくれた女子生徒の方へ首を回すと、三人の女子生徒は一驚いっきょうした表情を浮かべて瞠目した。


「ありがとうございます。

 薄野すすきのさん、山朽木やまくぎさん、重杉じゅうすぎさん」


 凛と美しく響いた羽色の聲に──彼女らは甲高い喚声を上げようとする口を両手で抑え、友人たちと少々跳ねながら名前を憶えて貰っていた嬉しさを共感する。



「はぁぁぁ~~~! 美人で運動も勉強も出来る人気者!

 あぁ~茉莉花様、茉莉花様! 誰でも絶対好きになるわ!」


 そう、誰から見ても──茉莉花なる女子生徒は皆が欲する物全てを持っている女だった。


 容姿の清楚さはモデルや女優業に身を置いている者達を嫉妬させ、両華高校特待生で歴代一位の好成績を叩き出す神童でありながら運動に置いても多彩。

 今年の弓道女子個人東京大会において一年でありながら優勝、秋季大会も優勝を飾った天才という言葉で納めるにはあまりにも失礼と言える女学生であった。


 そんな才女が一つ一つ、声援を耳にして生徒たちに感謝を述べていく。

 紗柔紗柔しゃなりしゃなりとした身のこなしで校門まで歩き、夕陽を一点に浴びて烏色の髪が桃色の果実色へと一瞬変化する瞬間すらも愛慕あいぼである。


 大勢の生徒達と校門を出た茉莉花は、外に駐車されていたメルセデスベンツの前に視線を移すと──五人の女子生徒達に囲まれているスーツの男を凝視した。


「──俳優の裕香郷ゆたか ごうに似てるって言われません?」

「うんうん! わかるわかるすっごい似てる! 目元とか!」


「あははっ、申し訳ございません。わたくし芸能には疎いもので……」


「えー! すっごく有名ですよー! 今やってるドラマも超面白いですし!」


 生活指導にバレぬようメイクを施して話題を掛けてくる女子生徒達を前に、髪型を綺麗に整えられた美男は微笑を浮かべて会話を交わしている様子だった。


「では、この機会にでも其のドラマを拝見してみようかと……

 申し訳ございません、失礼致します」


 美男は茉莉花がいた事に気付くと、女子生徒達に頭を下げながら彼女の元へと近付いて行った。


「お待ちしておりました、茉莉花様」

「では行きましょうか、快天かしりさん」

「はい」


 少しだけ言葉を交わすと桜田快天さくらだ かしりは茉莉花の前を歩き──後部座席の扉を開けると手を差し出し、其れに応えるように茉莉花は小さな手を乗せると車へ乗り込みだした。


 其の光景はまるで御姫様と其の従者。


 すると──




「茉莉花様、危なーーーい!」


 茜色の空中、彼女へと球状の影が接近してきていた。

 小さかったが生徒達は指を差して、その正体に気付く。


 硬式の野球ボールだった、練習中の野球部が打ったホームランボールだ。

 其れが彼女の頭部目掛けて、障害の無い空の中を飛んでくる。




 皆が彼女に危険を知らせるも、されどて彼女はボールの方角へ小首を曲げようとしない。

 そして快天も其の方角へ眸を移すのみで、彼女を守ろうとする動作が一つもない。

 もう車に乗り込むからか、否、間に合わない。


 衝突の路へと入っていたボールはそのまま茉莉花へと飛び込み、彼女の頭部へと当たろうと──






 茉莉花は

 すると投球の構えをして、遠く彼方かなたへと投げ返したのだ。


 生徒達の視線は空を飛翔するボールを追い掛け、グラウンドの彼方へと墜落していった。


 其の隙に茉莉花と快天は後部座席へと乗り込み、白のレザーシートへと向かい合う形で座ると、漫画の様な展開に息を殺していた生徒達を他所に車は発進した。

 窓硝子ガラスを開けると茉莉花は長髪を抑えながら微笑を浮かべて、


「皆さんごきげんよう、また明日」


 と手を振りながらさよならの言葉を皆に送った。

 学園過去最強の才女が去る姿を視終えると、生徒達は散り散りになりながらもたった数分程見た今日の彼女について語りだした。


「何アレ……やっぱ茉莉花様スゴすぎなんですけど⁉」

「見てなかったよね⁉ ボール見てないでキャッチして投げたよねアレ⁉」


「いやぁそれにしてもだよ……やっぱベストカップルだよ、あの二人」

「それにしてもってどの辺りが?

 でも、お嬢様と従者の男の恋! 付き合ってるのかな? 違和感ないよね?」


「俺……茉莉花さん好きだけど、流石に快天さんには勝てねぇな……」

「失礼して心折れてるのウケるわ、んまぁ解るけどね。

 まずはボールを見ないでキャッチして投げる所から練習だなぁ、あははっ」


 茉莉花の話をしながら、生徒達はスマホの音楽プレイリストから一曲を選択して各々の帰宅路を目指して行った。


 ※


 車内は粛然たる物だった、向き合い様に座る茉莉花と快天に会話はない。


 快天は先程の笑みを完全に消しながら浸透してくる夕光に照らされる茉莉花我が主を見据え、茉莉花はまらなそうな顔色で深窓に広がる建物や人々の脚の流れを一つの映像として賢覧していた。

 すると、茉莉花は歩道で花束を抱き抱えながら電話をする中年男性に視線を止めたまま──




煙草タバコ、吸いたい?」


 と、快天に問いた。


「ええ、まぁ」


 顔色一つ変えずに素直な言葉が彼の口から生まれると、「り」と言いたげに茉莉花は話を続ける。


「貴方、煙草が吸いたい時、手を拳にしながら小指を掌の方に動かす癖があるでしょう。

 ──吸っても良いわよ」


 視線を合わせぬまま冷静な分析を述べた彼女を前に、快天は矢張り顔色を変える事も無く首を小さく横へと振った。


「いいえ、茉莉花様の前で煙草などご法度はっとですので」

「禁煙はしないの?」

「煙草ないと死ぬので」

「良かったわね、が飲酒や煙草OKなとこで」

「恐縮です。

 駄目だった場合、即行病んで辞職届けを出しておりました」


 喜怒哀楽が混じらない会話が終え、また静けさが帰ってくる。

 車のエンジン音や外から来る環境音は極力抑えられた車内で、二人のいる後部席には無音しか流れない。

 学校では雅高こうがに振る舞っていた彼女らは、今や鋭利な刃物そのもの。


 されども、二人の時は常に毎日こうである。

 会話は少なく、交わしたとしても状況確認か他愛も無い詮索のみで今日学校であった事などを報告した試しは一度もない。

 



「──それで、どうなってるの?」


 突然の脈絡もない茉莉花の言葉に快天は直ぐに察し、小型電子パッドを座席から取り出して彼女へと手渡した。

 茉莉花はパッドのリアルタイム映像を再生すると、




 其処から突如悲痛な叫び声が流れ出した。


 発狂している。混乱している。泣き叫んでいる。

 其の絶叫は全て映像に映っている肉塊が発していた。其れも日本語だ。


 清澄せいちょうとした都会の景色が広がる窓に対し、パッドに映っている物は冷たさを感じる程錆びついた鉄の壁に覆われており──其の真ん中には、赤い肉が幾つも転がっていた。

 腕らしき物、脚らしき物、指らしき物が三本、下半身と上半身らしい物も切断されており、首らしき物は血液で濡れていたかおで涙を枯らしながら左右へと達磨だるまごとく揺れている。


 しかして、個々にある体の部位はにも関わらず、四肢は一人でに関節を曲げては微少ながら芋虫の様な動きを見せた。


 人のからだであったであろう肉塊たちは──其の全てを一つ一つ、血管や骨の代わりに三本のチューブで繋げられ、全身に血液を殆ど出し尽くして躰を切り刻まれているにも関わらず


 明らかに御嬢様とは無縁な狂気映像を見て、茉莉花は──眉を少し上げるのみであった。


「投薬と専用の機械を稼働させて今日で何日?」

「二日目になります」

「案外持つものね、人間の可能性は無限大とはよく言ったものだわ。

 ──……“日比野ひびの”と名乗っていたかしら。ナンパとか未だにあるのね」


 突然、街中で話し掛けられた“11月29日”の事を思い出し、茉莉花の口元が緩みだす。

 無論話しかけられた事ではなく、車の中で彼を打ちのめして命乞いをする顔にスタンガンを押し当てようとしていた時である。




 すると直ぐに笑みは失せ、加密爾列は靴を履いたままの華奢きゃしゃな脚を快天の膝へと勢いよく置きだした。

 黒いタイツとエナメルの革靴が夕光に照らされて滑らかに映り、容赦なく足掛けにされながらも快天は気にしない。




 そして──


「状況は?」


 聲質トーンを低くして圧を掛け問いだす茉莉花の靴を脱がせながら、快天は喋りだした。


「先程入って来たばかりの情報によりますと──一度帰宅したそうで、その後救出部隊を投入したのですが交戦が発生したようで計九機の損害が出て救出は失敗。

 其の中で完全オール装備は三機いたみたいです」


 彼の報告を耳にしながら茉莉花は眉をひそめて映像を閉じた。


「練度が足りないんじゃなくて……? はぁぁ……あの子を回収に何で四肢ハーフ装備で向かうかしら……其れでも彼女の護衛専属の第6部隊が全滅、もっと重装備で行きなさいよ。

 それにしても損害が多すぎる……完全装備もいながら二日で十二機……各所への情報操作だって簡単な事ではないのに……」


 先程の美顔が苦虫を噛んだ様な表情に変わり、怨念のある聲を呟きながら頭を抑えると──茉莉花はすぐに平静を保とうとして、設置されていた紅茶を口にした。


「……──其れと、私に


 膝に置いていた爪先つまさきを伸ばし、タイツ越しに軽く快天の太腿をつねりながら問う彼女に彼は「と、言いますと?」と顔色一つ変えずに聞き返す。


「あの子をさらった人よ。どうせ正体は解ってるんでしょう?」

「はい」


 素直な回答、であるならば。


「どうして私にだけ報告しないの?」


 当然の疑問、しかして。


めいです」


 其の名を聞き、茉莉花は言い返したそうに眉を曲げながらも、彼の太腿から脚を離して座席へと背凭せもたれを預けた。




「救出の方は必ず──

 何より、IIアイツーですので」


「……えぇ、……其の為に私達は産まれてきたんだから」


 右腕を静かに抑えながら、茉莉花は怨念が混じった様な聲で呟き返した。


 予想外の出来事でがあった、精神安定の為に一人夜の外出を許していたのが発端なのは間違いない。


 ──誰よ……! あの子を攫った奴は……!


 心中で舌打ちをしながらも、何時までも同じことに囚われてはいけないと自分に言い聞かせて、茉莉花は姿勢を但し再び紅茶を含んだ。


「……ところで……あなたのお母様、容体は大丈夫かしら」

「ええ、おかげさまで。先生たちの医療のおかげです。神のように感謝しております」


 喜怒哀楽の喜びが入り混じった快天の言葉に、茉莉花は「ふぅん」と鼻息を吹いた。


「心にもない事を……貴方も神様とか信じるタイプではないでしょうに。神様何て嫌いよ、なりたくもない」


 雰囲気に合わぬ悪態を吐く茉莉花を見つめながらも、快天は表情を変えぬままジッと再び窓へと長い睫毛まつげを向けている主を見つめ、「ええ、その通りです」と静かに返した。




「ですが全く感謝していない訳ではありません、手術代の貯金もそろそろ溜まってきましたし──」


「え、ええ、え、え、え、ちょ、ちょっと車を止めて!」




 刹那、先程まで静かだった彼女が突然驚いた様な表情を浮かべながら窓に両手を貼り付けながら叫び、近くに車を停車させた。


「……どうかしましたか?」

「ちょ、ちょっと待ってて! すぐ戻るから! あと付いて来ないでね!」


 慌てた様子で車から飛び出すと、茉莉花は血相を変えたまま青信号を誰よりも早く走って行き向かい側の歩道へと歩いて行った。

 其の様子に違和感を覚えながらも向かい側の歩道の先へ、視線を移すと快天は其の先を見て察した。


「隊長、桜田さくらだ隊長! アレは!」


 と助手席でずっと待機していた彼の部下が前から聲を掛けてきた。


「嗚呼、解っている。だが今はモニターだけだ、此処ここでは人目が多いからな。

 他の部隊にも連絡しとけ!」

「ハッ!」


 部下は頷くと専用の通信機で連絡を取り出し──快天は車から降りて、近づかぬよう向かい側でコンビニへと入って行く彼女を監視した。

 付いて来ている事をバレぬよう、走りながらも浮足立っている茉莉花を見つめ──




「……まだあんな顔が出来たんだ」


 意外そうに言葉を溢した。


 ※


 人々の荒波を駆け抜け、私は横断歩道を渡った。


 彼が入って行ったのは服屋の隣にあるコンビニ、何か大きな袋を持って入って行ったみたい。


 頬が熱い、こんなにからだが熱くなったのは何時いつ頃かしら。

 嗚呼邪魔だ、邪魔邪魔、呑気に歩いて生きて、遅く人生を過ごして、邪魔、だから人混みは嫌いなのよ。


 人の隙間を飛び出して、邪魔な奴らを蹴散らそうと考える思考を収め、出入口へと入って行く。

 彼、絶対に彼だった、四年ぶりだけど解る。

 店内の狭い通路、清潔感のない店員、阿保が産んだ阿保みたいな連中達の中を見渡してすぐ横のゴミ箱前に彼はいた。


 体の中にある心臓の弁が竜巻のように大きな心音を上げてくる。


 どうやら先の袋をコンビニに捨てた様子だった彼は、眼を大きくして私の方をキョトンとした表情で見つめていた。

 其れもそうね、コンビニに関係のないゴミを入れている所を視られたのだから。


 意味もなく彼の前で横髪を掻き揚げる、そして少し可愛い笑みを浮かべながら私は口を開いた。




「久しぶりね」



 其の言葉に、彼は少々眉を顰めると──


 目を大きく開けて驚いた様な表情で「あ!」と少々大きな聲を出した。


「相変わらずね、背は越されちゃったみたいだけど……ほら、首にホクロがある。やっぱりそう」


 確信に変わったことにより、私はつい笑みを溢してしまった。


 そして驚いた表情のまま、彼は口を開き──






「お前……茉莉花か?」


 と拍子抜けした様な聲をあげたので、一応ちゃんと答えてあげる。






「当たり! この通り茉莉花よ。

 本当に久しぶり──




 千三五八日と約五時間ぶりに、私は加賀李羅初恋の男コンビニで再会を果たした。

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