5話:浸透的で速すぎた契約

「グッスリ寝てるから大丈夫よ、大丈夫だから」




 母がすぐ後ろで、優しく聲を掛けてくれている。




 部屋の電気は消灯し、窓から浸透してくる街灯のみが部屋の中にいた俺達を青白く照らしていた。


 俺はただ何も言わず、

 握り、握り締め、やる事は、一つ。




 れが終わった時──全ての音が世界から消え去り、水をいっぱいまで溜まっていた桶の線を抜いた時の様に勢いよく肺から空気が抜けていった。


 俺の視界を埋め尽くす世界は、白縹しろはなだ色と黒色だけ。

 でも今は、この色だけで良い。これ以上視えなくていい。


 他に色が産まれてしまったら、きっと、正気など保てなくなっているから。


 ※






「──りーら……りーらっ!」




 世界を多色に眩く彩らせる陽光。






 そして、無邪気なこえひとみは開いた。





 ──2026年 12月2日 水曜日 14時5分。


 李羅りらが起きて最初に視た物は、顔を近づけていた加密爾列かみつれの顔面だった。


 逆光でも視える切り傷や火傷の跡が痛々しいツラなれど、丸みを帯びた造形や大きな双眸は愛らしさを衰えさせず、何よりも少女の輪郭をしている。

 白桃色の長髪は陽の光に絡まり、白銀色へと微細に色変る。


 李羅は少しの間、寝惚けた表情のまま彼女を凝視した。


 夜以外の彼女を、昼の光に彩られた彼女を初めて視たのだ。


「李羅? 大丈夫? どっか打った?」

「え……あ、いや。特にそういうのはない」


 心配そうに問いてくる彼女の言葉で、李羅はようやく我に返った。


「よかった。

 てっきり知らない間に私お化けになっちゃってたかな、って思っちゃった」

「俺もお前も普通に生きてんだろ」


 微笑を浮かべる加密爾列に言葉を返すと右腕以外の関節痛を感じ、昨日の事が矢張やはり夢ではなかったのだと河川敷を見渡しながら再認識する。


 れからの事を再び考えだすと胃液が煮え滾ってくる。

 警察に逃げ込むのが最適なのだろうが、と李羅は思うが躊躇いも過ぎってしまう。


 ──襲って来たのは彼方あちらとはいえ、殺人を犯した。俺は捕まるんだろうな……あれ、十六歳は少年院と刑務所、どっちに入るんだろう……えーっと……。




「李羅ー」


 再び無邪気に名を呼ばれ、李羅は胸中きょうちゅうを中断して加密爾列の方を向いた。


「お腹空いたねー」

「あぁ……そうだな、言われてみれば。

 今何時だろう……うわっ、午後二時って、俺半日以上寝てたの……? 通りで背中も尻も痛いわけだ……」


 河川敷の道橋下に隠れ、加密爾列が眠りについたのを確認してからの意識は無く──コンクリートの上で横になっていた体の痛みを覚えながらも李羅はゆっくりと起き上がった。


「俺も腹減ったし、何か食うか……何食いたいよ」

「卵!」

「……大雑把だな」

「卵料理好き! ママの作った卵料理はもっと好き!」

「はいはい、んじゃ行くぞ」

「うんっ!」


 加密爾列の破れたオーバーコートを畳んで持つと車椅子を押し、李羅達は河川敷を後にする。




 李羅は押しながら片手にスマホを取りだして、何件も着ていた母親からの着信を削除すると近くにある飲食店を調べた。


 ※


 近くにある卵料理の店を調べながら歩いていると、加密爾列が視線で何かを追いかけているのを感じ、同じ場所へ李羅も向け──向かい側の歩道にハンバーガーショップを発見した。


 「行くか?」と問うと加密爾列は上下に頭を振り、即座に店へと入って行った。


 李羅はチキンバーガーのポテトセット、加密爾列はベーコンエッグバーガーのポテトセットを頼み──時間帯のせいか人が少ないので、破れて血痕が付いている加密爾列のシャツが比較的視えない位置である奥の席で待つ事にした。

 隠れるなら日常に溶け込むべし、此処ここなら敵も一般人を気にして来ないかもしれない。


 テーブルにメニューが届くと李羅は袋を開けてそのままチキンバーガーを含み、加密爾列もぎこちない手で袋の包みを開けると──




「え」


 、李羅を困惑させた。


「美味しいね! これ!」


「……俺はハンバーガーを上から一枚ずつ食べる人間を初めて視たよ」


 そう、まず上からパンを剥ぎ取って食べ、次に脂の乗っている目玉焼きを手掴みで食しているのだ。

 明らかに視た事ない食べ方に驚きを隠せぬまま、手についた油を高価そうなスカートへ拭おうとする彼女を止めて、指先を紙で拭いてあげた。


「えへへ、ありがとぉ」


 ──今更だけど、ハンバーガーとか食わせて良かったのか? 一応機械……? なんだし、油はあるけど腹壊したりとかしないよな……。


「ったく……学校ではどうしてるんだよお前、まさかイジメとか受けてねぇだろうな」


 李羅は不謹慎な事を口走り、黙々と今度は肉を手掴みで食べる加密爾列と視線を交差させる。

 バーガーの肉を喉へと押しこみ、唇の油を拭うと──




「私、学校通ってないよ」


 加密爾列は平然な態度で答えた。


 そんな彼女を視ながらも、李羅は表情を変えずに「……そうか」とだけ呟く。


「お姉ちゃんは良い高校行ってるけど、私は中学校も通った事ないし……小学校も途中で行かなくなっちゃったし」

「んじゃ幼卒ってわけだ」

「私、幼稚園通った事ないよ」

「え。──んじゃあ、何だ…………

 卒?」


 見つめ合いながらお互い首を傾げるも、両方から答えとなる卒業の言葉は出てこなかった。


 考えるのを止め、加密爾列は初めて食べるフライドポテトの美味しさに驚いていると店内に入って来た女子たちを澄んだ双眸そうぼうで見つめだした。


 近所でも有名な名門進学校──両華りょうか学園高等部の制服を着こんだ女子生徒達は、他愛も無い会話をしながらレジの店員にメニューを伝えている。


 明るい光景を目の当たりにしていると加密爾列の心の中で微かにモヤが浮かびだし、俯くような姿勢を取り、視ないようにしてしまう。


「……り、李羅は?」

「ん?」

「学校」


 ジュースを飲んでいた李羅に、今度は少し真剣な眼差しで加密爾列は問いた。


「んー……中卒」

「高校は……行ってないの?」


 視線を逸らして答える李羅を、加密爾列の双眸は捉えて離そうとしない。


「行けないっていうか、行かなかった……かな」

「なかった?」

「行く気が起きなかったっていうか……なんだろうな、そんな感じ?

 今も行こうとは思わないし。バイトしてた方がまだ全然って……思っちゃうし」


 段々と聲が小さくなっていくと李羅はジュースを一度含み、気分を落ち着かせる。

 そんな彼の横顔を視て加密爾列も少しだけジュースを含むと、元気よく聲を出した。


「教えてくれてありがとっ」

「別に……」

「……あ、あのね!」


 李羅に見つめられたまま間を開け、桜色の唇をモゾモゾと動かすと加密爾列は再び喋りだした。


「昨日、言おうとしてた事」

「昨日……?」

「ほら、襲われる前に……」

「……あぁ、それか……頼み事、だっけか」

「……うん」


 加密爾列は両手でジュースを持つと喉の渇きと汗を癒すように飲んでいき──ストローから氷と空気が擦れる音が聞こえ、空っぽになった事を知らせる。




「ま、ママに会わせてほしいの!」




 放課後に立ち寄ってくる学生が多くなり、人々の聲に掻き消されそうになるが、加密爾列の言葉を李羅は顔色を変えずに聞いていた。


「ママに……」

「……うん」


 彼女の言葉に、李羅は少しの間思案する。


 きっと、いや確実に、彼女の母を探すという事はまたあの“IIアイツー”なるロボット兵隊と対峙するという事だ。

 死線を何度も潜る果てしない目的になるかもしれない。


 断る方法は沢山ある、言葉で直接拒否するか、の場を彼女一人にして立ち去り虫のように口を閉じて生きること。

 自分が警察に自首して、彼女の事を話せば戸籍とかで母親が見つかるかもしれない。


 李羅は其れに関わる事で起きる様々な悪い出来事、拒否する方法を考えた。




「あぁ……そうだな」




 一番の正解は関わらない事、なのであろう。




 でも──




「……わかったよ」


 れでも、彼女を──加密爾列を見捨てることが出来なかった。


 彼女が心配で仕方なかった。

 其れが似た者同士だからなのか、それとも似てない故なのか、答えは人を殺して一緒にご飯を食べても解らない。




「……ッ……うん……うん! ありがとぉ……えへへっ……」


 華の様に表情を明るく開花させると、オッドアイの双眸から涙を零れさせる加密爾列の両頬を李羅は再び紙で拭ってあげた。

 鼻水も出てきたので其れも拭き取り、落ち着きを取り戻すと李羅は話を進めた。


ところで、何かしら証拠らしい物はあるのか?」

「うん! でね、一度ね……」


 と、加密爾列はバーガーから剥ぎ取ったベーコンを口にする。






私の家に来て欲しいのわらひほふへひひふぇふぉふぃほ!」


「…………何て?」




 李羅は彼女が食べながら喋った事に対してではなく、に対して不安そうに返答するのだった。

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