第6話 護りたい世界
時男は、愛にかける言葉を慎重に選んだ。
神戸支店からの情報で、愛の故郷の話を聞いている。
が、そのまま伝えない方が良い。
出来るだけオブラートに包んで伝えた。
「愛ちゃん、お母さんと連絡とれたのかな」
「ううん、何度もかけたけどダメだったの」
「そうか。恐らく、こちらと同じように被害があると思うんだ。愛ちゃんに連絡したくても出来ないのは、分かるね」
「はい、分かります」
「愛ちゃんも僕や千賀子も、力を合わせてこの状況を打破しよう。嘆くのや、泣くのは簡単だ。僕たちは、今ここを生きるんだ。わかるかい?」
「はい」
「あくまで予想だけれど、電気の復旧は一週間はかかるだろう。携帯電話の充電も出来ない今、使用には細心の注意が必要だ。使うのは少し控えようね」
「わかりました」
「愛ちゃん。おじさんは、間もなく会社に戻るから、おばちゃんの言うこと聞いて休んでいるんだよ」
時男は、束の間の休憩を終え、また仕事へと向かった。
幸いにも、家には自転車が2台あったので、それに乗って出掛けていった。
千賀子は悩んでいた。
事務所の事も気にかかるが、最も優先すべきは愛ちゃんだ。
今日は家で、愛ちゃんと居よう。
実は寝室で2人きりになった時、千賀子は時男からK市の現状を聞かされていた。
心臓がぎゅっとなった。
……なっちゃんや悟さん、みんな。無事だろうか。
此処でただじっとしていれるのは簡単だ。
出来るだけの事をしよう。
千賀子の車はガソリンが半分しか入っていない。これでは遠出は無理だ。
ラッキーなのが、いつも入れていた近所のガソリンスタンドが、短時間だが営業する連絡がきたこと。
それと、千賀子の車はハイブリッド車だ。
愛の故郷まで、この車で行こう。
準備は早い方が良い。
愛を誘い、ガソリンスタンドへと出掛けたら、すごい長蛇の列だ。
とにかく少しでも多く入れないと。
長い時間、長蛇の列を愛と千賀子は車中で過ごした。
愛は、しばらく黙っていた。
この胸の中は、故郷の家族を心配する気持ちで、はち切れんばかりだろう。
どう愛が受け止めるか分からないが、現実は変えられない。
いずれ知る故郷の被害を、今のうちに少しずつ伝えるべきだ。
車の中で、ありのままに愛に言った。
大変な津波がきたこと。
火災も発生していること。
愛は、静かに聴いていた。
…そして、すすり泣きの鼻水の音がした。
「お母さん達がどうなったかは、まだ分からないの。祈ろう、愛ちゃん。おばちゃんも祈る」
「愛ね、こわい。みんな居なくなっていたらどうしようかって。一人ぼっちはいや」
愛の張り詰めた心を思うと、かける言葉が見つからなかった。
震災から2日目は、愛と千賀子は2人で過ごした。
愛の実家に何度かメッセージを送ったが、既読にならない。
ここは辛抱の時だ。
備蓄していた飲料水も底をつきそうだ。
近所の人の話だと、公民館前に給水車がくるらしい。
外がざわついた頃に、愛と2人で公民館へ出掛けた。
もうだいぶ人が並んでいる。
「愛ちゃん、すごい人の数ね」
「水、足りるのかな」
「なんとかなるわよ」
一人あたりの量が決まっていたので、まんべんなく水は配られた。
非常食は、公民館に避難している人に優先で配られたそうだ。
千賀子の家は、殆ど亀裂もなく無事だったが、愛のアパート周辺では浸水など、大変だったようだ。
浸水。思わず津波を思い出した。
愛の家も、漁港からだいぶ上にある。
そして、火災が発生している地域は、たぶん違う地域だ。
きっと、大丈夫。そう自分に言い聞かせた。
「愛ちゃん、これで車のガソリンも、飲み水も手に入ったわ。お母さんと連絡がとれたら、皆で行きましょう」
「えっ。おばちゃんとおじさんのお仕事は?」
「なんとでもなるわ。一番大切なのは、愛ちゃんのご家族の無事を確認する事よ」
「…おばちゃん、ありがとう」
「近くのスーパーもね、開店しているらしいの。お母さん達に持っていくものを、少し揃えましょう」
「うん」
夕方、時男は自転車で帰ってきた。
休めと、支店長から言われたそうだ。今日は、一部の社員が自主的に出社したらしい。ありがたい。
それもあり、時男は休みをもらうことにした。
「あなた、なっちゃんと連絡がとれたら、愛ちゃんと3人で行きましょう」
「そうだな、支援物資も日中に集めてくれたから、それを持っていこう」
「おじさん、おばさん本当にありがとうございます」
今夜は、愛と千賀子、悟の3人で夕食を囲んだ。
仮の家族だが、久しぶりに笑い声が聞こえた。
ろうそくと懐中電灯の灯りが柔らかく皆の顔を照らす。
こうして考えると、人間の強靭な精神力をあたらめて考えさせられた。
愛ちゃん、貴女は素晴らしいわ。
心から千賀子はそう思った。
そして、震災から3日目がやって来た。
………………
3日目、千賀子達は3人で水汲みに出掛けた。
近所の歯科医院で水がでるらしく、無料で水を提供していたのだ。
他にも、突然、千賀子の上司である税理士の良人が千賀子の自宅へとやって来た。
取引先の人達が、食べ物を持ってきたそうだ。野菜や加工食品など様々な物があった。
「先生、本当にありがとうございます。
仕事を休んでいるのに申し訳ありません」
「僕の所では食べきれないからね。まだ仕事は休んでいて構わないですから」
良人は、にっこりとして言った。
改めて、日本人の素晴らしさを感じた。
震災直後の道路でも、整然と乱れることなく歩く人達。
困っている人がいれば、たとえ知らない子供でも泊めてくれる寺の住職。
こうして食べ物を分け与えてくれる人達。
震災で、悲しい思いをしている人が多いのは事実だ。
ただ、人と人との繋がりを再確認するための学びになっている。
そう、思いたい。
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