第3話 タッキング ~どんな風にでも~
入学式の日から一日が過ぎた。
いよいよこれからが高校生活スタートである。
今日の風は、まだ少し冷たく頬に刺さる。
愛は、心の中に帆を張った。
帆は風を受け、どんな方向にでも進んでいけるのだ。
夢を叶えるために、私は進む。
愛は希望に胸を膨らませた。
…………
今までは、子供の数が少ないので学校の殆どが顔見知りだった。
今度は、誰ひとり知り合いはいない。
極度の緊張で、気持ちも張り詰めていた。
…そして、教室のドアを開けた。
愛は早くに着いたのだが、既にもう数人教室にいた。
その誰もが知り合いらしく、仲良く談笑している。
愛は緊張し声も出せずにいた。
すると、その群れの中から1人の少女が愛のほうへ近づいてきた。
陶磁器のような白い肌。頬は柔らかく桜色に染まり、
西洋人形のような大きな瞳と睫毛。
手足は華奢な造りで、少し力を加えたら折れてしまいそうな位だ。
まるでお人形のようだと、愛は心の中で思った。
その少女は微笑みながら
「私たち、同じクラスね。私は高澤優花、どうぞよろしくね」
と言い、愛の前に手を差し伸べてきた。
ふうわりと桜の花の優しい香りに纏われた。
「あ、あたし、日向愛っていいます。よろしくお願いします!」
緊張したら、言葉がたどたどしくなってしまった。
優花は、クスッと笑ったが、心を解きほぐしてくれた。
「愛ちゃん。かわいい。」
ちょうど傍にきた別の女の子が
「なんだか、あなた、イントネーションおかしいわよ」と、からかった。
すると優花は、「どこもおかしくなんかないわ。かわいいじゃない」と庇ってくれた。
それからもずっと、優花は愛の事を気にかけてくれた。
優花と同じ中学出身の三塚めぐみ、佐藤桜子。
友達も紹介してくれた。
早速、素敵な友人が出来たことが愛はとても嬉しかった。
優花達は愛が一人暮らしだと知り、驚きと同時に尊敬の言葉をかけてくれた。
「愛ちゃん、大人だわ。私は、なんにも1人じゃできないの。一人暮らしなんて、偉いよ」
「家の事を独りで全部できるなんてすごいわ」
三人から褒められると、こそばゆい感じがしたが家では当たり前の事だった。
父は、薪割りですら自分自身でする。
今日は主に今後の学校についての説明だったので早々に下校の時間になった。
優花と、めぐみ、桜子は、駅前の甘味処でお茶して帰るそうだ。
誘われたが、今日は遠慮した。
緊張で、ものすごく疲弊していたのだ。
「落ち着いたら、アパートに遊びにきてね」
「勿論よ。是非招待して」
…………
アパートに帰ると、玄関のドアノブに買い物袋がぶら下がっていた。
…なんだろう?
手に取り開けてみると、りんごが入っていた。それに手紙も。
千賀子おばちゃんからだった。
きっと、会社に行くときに、ぶら下げていってくれたのだろう。
愛は、とても幸せを感じていた。
部屋に入り、明日の準備をし、ルームウェアに着替えてから、りんごをむいて食べた。
食べながら、以前に母の夏海と話したことを思い出した。
「なぁ、愛。愛の名前はとてつもなく力のある名前なんだよ。愛する、愛される。
空飛ぶ鳥も、果てしなく広がる海からも。愛は全てに愛されているんだよ」
愛は、自分の名前が、とても大好きだ。
家族に愛され、友に愛される。
たくさんの優しい人と巡りあえるのも、この名前の力であるのかもしれない。
――ふぅ、今日は疲れたなぁ。
母の夏海が置いてくれていたおかずで早めの夕食を食べ
お風呂に入ると、あっという間にまどろんでしまった。
次の日の朝、少し寝過ごしてしまい慌てて学校に向かうのであった。
…………
その頃、母の夏海は海の上に居た。
空を見上げる。
愛は上手いことやっているのかしら。
高校生活をスタートさせる愛の幸せを
空に
海に祈った。
今日の海は不思議なくらい凪いでいて
透明に澄んだ海底には魚も群れている。
私に出来る事は祈ることだけかもしれない。
愛の幸せや悲しみ
全ての感情をひっくるめて抱きしめよう。
いつもいつでも
愛の傍に気持ちを寄り添えよう。
…………
千賀子の事務所も、ひと頃に比べ仕事の忙しさが落ち着いてきた。
時男とは、今度の連休に、近くの温泉にゆっくり浸かりに行こうと話していた。
お気に入りの宿がある。
混むのを見越して、ずいぶん前に時男が予約していてくれていた。
「千賀子さん、今度の連休は、どちらかにお出かけかな?」
税理士の良人が、にこやかに声を掛ける。
「ええ。夫と近くの温泉へ」
「そりゃあ、良いなあ。楽しんでらっしゃい」
「ありがとうございます」
その時だ。
…なんだろう。地鳴りが聴こえた。
え?と、思うと同時に、激しい揺れが襲ってきた。
地震だ。
縦に強く揺れたかと思うと激しく横に揺れた。
机の上のデスクトップ型パソコンはモニターが下に落ちた。
事務所が潰れるのではないかと思うほどの揺れだ。
あっという間に電気も消え、それでも揺れは収まらない。
千賀子の事務所は、ビルの2階にある。
「逃げろ!逃げろ!早く外へ」
「慌てるな!落ち着け」
棚のファイルがバサバサ落ちる。
誰かの叫び声がする。
膝が、ガクガクと震える。身体が言うことをきかない。
それでも、なんとか外へと逃げた。
今までに体験したことのない破壊的な揺れだ。
揺れは暫く経つのに、緩まることをしらない。
道路の真ん中で、千賀子は同僚の女性と抱き合いながら、泣き叫んでいた。
頭の上の、幾つもの電線がたわんでいる。
道路が、ぐにゃぐにゃとよれている。
……どれくらいの時間が経ったのだろう。
ようやく大きな揺れが止まったが、細かい余震が頻発する。その度に悲鳴があがる。
千賀子は、放心していた。
「みんな無事か!」
良人の声で、目が覚めた。
幸いにも、事務所の全員無事であった。
だがしかし、建物の外壁はダメージが凄かった。
至る所に、クラックが縦横に走っている。
極めて危険な状態である。
ビルの窓ガラスの割れた破片が、びっしりと地面に敷き詰められている。
何も考えないで入るのは簡単だ。
だが、倒壊する危険が十分ある。
良人が言った。
「私が、まず入ります。そしてブレーカーをおとしてきますから。そして、安全を確認してきます。それまで皆さんは、待っていて下さい」
命懸けの判断だ。
その時、いつの間にか頭の上に覆い被さってきた漆黒の雲から大粒の雪が落ちてきた。
こんな時期に雪だなんて。
天変地異。
千賀子の頭に、よぎった言葉だ。
寒さと恐怖で震えが止まらない。
同僚の女性が、泣きそうな声で呟いた。
「千賀子さん。道路があちこち陥没しています。私たち、帰れなくなっちゃった」
千賀子は、時男の事が心配だった。
高層ビルの上の階に、時男の会社はある。
……時男、時男。無事でいて、お願い。
携帯電話は、デスクの上だ。
心の中で、ずっと唱えていた。
時男。きっと大丈夫よね。無事でいて。
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