その後
その部屋は酷く荒れていた。近隣からの通報を受けて駆けつけた警官の話によると、押し入った時、既に二人とも絶命していたらしい。
状況からすぐに推測できたことはふたつ。ひとつは少年・相模真人が中年の男・相模行宏に灰皿で複数回殴られて亡くなったこと。そしてもうひとつは、相模行宏がその場で舌を噛み切って自殺したことだ。捜査が進んだ今も、この見解は覆っていない。
「酷え話だ……」
最後の捜査会議を終えたところで、この道二十年の上司が眉間にシワを寄せる。覆ったことと言えば、男二人は親子ではなかった。それだけならさほど驚く話ではない。問題は、「養子でもなかった」ことだ。実子ではないにせよ、孤児を引き取ったのなら養子縁組を経て戸籍上の親子になっているはずだ。しかし、相模行宏は戸籍の上でも独りだった。では、真人少年はどこの誰なのか。
この疑問に対して我々はまず、「相模がかつて婚姻関係にあった女性と他の男の間に生まれた不義の子」である可能性を考えた。その場合、出生届とは別に認知届を出していなければ、たとえ共に暮らしていたとしても父親側の戸籍には反映されないからだ。しかし、相模の戸籍謄本を遡っても婚姻歴はなかった。事実婚の相手がいた可能性は残るが、それを証明するには相模を深く知る人物を探し出さなければならない。よって、同時に別の可能性を検証することとなった。
そこで次に考えたのは、相模が「他の男」であった可能性だ。しかしDNA鑑定の結果、二人に血の繋がりはなかった。つまり、あの二人は法律的にも科学的にも赤の他人だったことになる。彼らの周囲の人間が、どんなに口を揃えて「親子だ」と言っても。
赤の他人はどのように「親子」になったのだろう。相模はともかく、真人少年まで友人たちに相模を父親だと説明していた。しかも、親子関係は良好であったらしい。ここまで来ると、いよいよ二人の関係そのものに事件の影が出てくる。我々は相模の交友関係に加え、「真人」という名の行方不明者がいないかどうかを調べ始めた。
結論から言えば、真人少年は誘拐事件の被害者だった。しかも、少年の実の父親は少年が生まれたその年に何者かに殺害されており、DNA鑑定の結果、今回初めてその犯人が相模であったことも判明した。誘拐された当時の真人少年は生後八ヶ月。恐らく何も知らなかったことだろう。
相模の十五年前の殺人と誘拐の動機については、真人少年の母親、柏崎美帆への一方的で異常な好意があったのではないかと考えられる。
柏崎美帆は夫の死の直後に自殺している。発見したのは様子を見に行った実母だったが、同時に真人少年の行方も分からなくなっていた。部屋には男のものと思われるゲソ痕が残っていたが、量産されているスニーカーだったために特定に至らなかった。当初は男が柏崎美帆を殺害して真人少年を誘拐したと考えられていたが、司法解剖や現場検証の結果、彼女は自殺だろうとの判断に至った。少年の誘拐と自殺の前後関係までは特定できなかったが、誘拐が先だったのだろうとの噂が絶えなかった。夫を亡くした上に息子の姿まで見えなくなったこと、それが自殺の動機だろうと。しかし、否定派もいた。根拠はゲソ痕だ。窓から入った靴跡は、まるで柏崎美帆の様子を確認するように遺体に近付き、その後真人少年の寝ていたと思われるベビーベッドまで近付いた後、玄関に向かっている。つまり、男が窓から侵入した時、既に彼女は亡くなっていたのではないかという意見だった。
当時の警察は、相模というストーカーに気付けなかった。柏崎美帆から被害を訴えられた際には、事件性がなければ動けないとして退けたからだ。そのせいで、「ストーカーの男が怪しい」とは思っても、その男が誰なのかを辿る術が無かった。目撃情報も乏しく、また相模がすぐ遠方に引越してしまったために、捜査が難航したらしい。相模の部屋には真人少年を写した写真がアルバムに残されていたが、同じように、いやそれ以上に柏崎美帆を盗撮した写真が奥に保管されていた。そして、その最後のページに貼ってあったのは、柏崎美帆の遺体の写真だった……
「ばあさんもなぁ……十五年待ち続けた娘の忘れ形見が、あんな状態で帰ってきたんじゃあな……」
少年の身元が判明した後、すぐに母方の祖母に連絡を入れた。父方の祖父母は他界しており、少年の両親に兄弟姉妹はいなかった。齢七〇を過ぎた彼女は霊安室で真人少年の顔を見るや、卒倒して病院に運ばれたそうだ。そんな彼女は今、喪服に身を包んで喪章をつけ、毅然として場を仕切っている。
少年の葬儀は今日、少年の「知らない人たち」によって行われる。そして顔も名前も知らない「家族」と同じ墓に入るのだろう。相模が誘拐してまで手に入れた少年を殺害するに至った動機も、残念ながら謎のまま、今日で捜査本部が解散した。
憎らしいほど澄んだ秋空が、俄に涙を落とし始めた。
カゾク 翡翠 @Hisui__
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