歩み寄りとすれ違いと、何やかんや
グラシスとの交渉を終え、廊下を通って貸し与えられた部屋へと戻る。
先を行く東堂さんの歩調は荒い。押し殺した怒りが伝わってくる。どうにも良くない空気感だ。(…ひぇぇ…)
後を追う切田くんの胸は、すでに
世の中には説教が溢れている。その
……正当な怒りならばなおさらだ。自身の不当を正当に責められる地獄の様相、アイデンティ・クライシス。誤魔化して卑劣に逃げれば普通に断絶、
ドアが締まると彼女はキッと睨みつけ、ジェット機みたいに
「…どうしてひとりで決めちゃったの?」
「東堂さん、落ち着いて」
「触らないで!」
ピシャリとした拒絶に、落ち着かせようとした手を引っ込める(『精神力回復』は接触効果だ)。思いも寄らない剣幕に切田くんは
世に
(…他人との関係を
(…関係維持。失望による断絶なしに正常な関係を保ったまま、怒りを受け止めて正しく理解し、解決へと導かねばならない…)
(高難度ミッションすぎる!!?)
蒼く揺らめく
「切田くんならわかったでしょう?わかってくれると思ったのに」
(…東堂さんが『違う』というのは、自衛と倫理の境界のことだろう。…東堂さんの言うことは正しい)
確かに切田くんたちは、彼らを
……しかし、それは暴力と略奪を受けている真っ最中だったからであって、撃ち返す事に
しかしながら、今回の仕事は間違いなく自衛の範疇を外れている。倫理や人道などという
(…そりゃあ嫌だよ。僕らに押し付けをしてきた相手ならともかくさあ…)
(…ただ、正直なところ、昨日のならず者三人を殺したことだって僕的には『違う』の向こう側なんだ。結局あれは、相手の襲撃を建前にした、自分の都合と欲からくるものだった…)
(…だから
今回の標的は女子供に非道を働く悪鬼羅刹の群れ。『お気になさらず、どうぞお気持ち良くお倒しになられてください』などと接待された
(……流石にここは行くしかないだろ。今は、生きること。そして生活。それらに対して貪欲にならねばならない。……生活できなきゃ死ぬんだよ。誰もが
(僕は、そんな惨めな思いをしたくない。……させたくない。だけど、東堂さんのこの猛反発)
(ここは、撤回するべきなのか?)「…僕はやめても構いません。オカシラさんは僕らへの対処に自信を持っていましたから、あの場の
「…そうじゃなくて、そうじゃなくてっ!!」
絞り出された激しい反発に、切田くんは思わず鼻白む。……
「……どうしてそうやって言い訳するの?」
思いもよらぬ不意を突かれ、切田くんは慌てた。「…言い訳なんてっ!」
「口答えしないで!!」ピシャリと黙らせ、彼女は悲痛な訴えを絞り出し続けた。
「……私、ふたりでなら…って、ずっと思ってた。なのに……」
「切田くんとふたりでなら、私だってやっていけると思ったのにっ!」
「…どんどん離れてく…」
かすれた声。
「距離が離れてくの、わかるよ。…ねえ、私の勘違いだった?」
「結局きみは、他の人たちと同じだったの?…私の気持ちに適当に合わせて、取り繕っていただけ?…ねえ、嘘だった?」
(…困ったな…)切田くんは無言になる。……ここまで
そんな彼を猛然と睨みつける、内なる炎に揺らめく美貌。躍動する彼女は、またも奥底より衝動を絞り出した。
「やっぱり私なんて必要無かったんだ…」
「…こんなんじゃもう、きみに私の言うことなんて届かないよね。…気持ちだって…」
「……繋がり合えるって思えた、はじめての人だったのにっ!」
言葉を吐き出し終え、彼女は物憂げに笑う。「…フフ。迷惑だよね。きみに一方的に寄りかかって、色仕掛けですり寄って…」
……ここ一番の昏く険しい顔で、目の前の彼に聞こえないよう、口に含むように吐き捨てる。
「……なのに、あんな年増のおばさんにデレデレしてっ……!!」
自らの想いに反発し、彼女は燃え広がる様に勢いよく顔を上げた。
「私一人で盛り上がっちゃって、…馬鹿みたい!!」
「…東堂さん、僕は迷惑なんかじゃ…」
「嘘つき」
彼の言葉を押し込め、彼女は責めるように叫んだ。
「切田くんの嘘つき。嘘ばっかり。みんな嘘ばっかり!!」
「今だって、面倒くさい女に
「違いますよ」
「どう違うの?ならどう違うのよっ!言ってみてよ!!」
噛みつかんばかりに挑みかかる目で、東堂さんはぎらりと
(…来た、ターンエンド。僕のターンのここがチャンスだ)
(切田類。どう答える?この答えで彼女の『障壁』を抜ければ、体に
(さあ、どう答えるべき?)
◇
切田くんの頭脳と『精神力回復』が正しき解答を探し、カリカリと音を立てて目まぐるしく稼働する。事態は急を要する。
(…『怒った顔もカワイイね!』って、相当キショいよなぁ…)早速脱線した。
(まあ、真面目に怒っているところって可愛いし、クルよな。…キツめの反応なのに、ひけらかしや
(東堂さんみたいな人に
運行の復旧に励む。
(まず、何が問題?…今の僕には、どこが東堂さんの
(心当たりは、勝手に仕事を受けたことで、
そして、直近の言い争いについても細かく分析する。
(彼女が強く不満を述べた点。『この仕事は受けるべきじゃない』だと受け取ったけれど、東堂さんは『そうじゃない』と答えた。そんなものは言い訳だと。…つまり僕は、的はずれな事を言ってしまったことになる)
(…これらの情報より導き出される答え。本当の正解は…)
……切田くんは内心、静かに目をつぶる。
(……東堂さんは『ひとりで行かないでほしい』と言っていたんだ。遠回しに)
(…そうか。そして僕は、それが理解できなかった…)
極限の集中状態の中、刹那の思考が急速度に加速展開する。――切田くんの長考は時が止まって見えるほどに、超高速でフル回転していた。
(…確かに、不安のあまり
(ここを去る代案は反発を招いた。フォローぶった具体案を出すのは下策。今必要なのは『正しい受け答え』じゃない)
(……ならば……)
ほとんど動きのない世界が、
(…東堂さんは感情的になっている。その感情面を突く)
(彼女自身が強く押した言葉は、①『どうしてひとりで決めた』、②『わかってくれると思った』、③『私は必要ない』の三つ。それを追って…)
(①二人のためであることを示し、②彼女への理解を示し、③必要だと伝える。それらを程よく複合して、感情に訴えかける言葉をぶつけてみる…)
(……ならば、これでどうだ?……行けっ、切田類!)
刹那の思考の区切りに、鈍速化した世界が通常速度に加速する。――切田くんは持てうる限りの真剣さをかき集め、精一杯に気持ちをねじ込んで、彼女に返答した。
「
「…っ…!」彼女はビクリと息を呑む。――落ち着いて、淡々と続ける。
「
「…東堂さん。
「
「
「……」
彼女は無言のまま、うつむいている。……効果状況不明。内なる
「…僕がそんな超人に見えますか?
「いいですか、
「…
(どうだ)
問いかけに反応して、東堂さんは絞り出しきったような
「……どうせ口先だけのことでしょう?都合のいい、その場しのぎの」
「…言葉に嘘を感じましたか?」(言葉に嘘は無いはずだ…)
「…っ…」
しばらく押し黙り、黙り込む。
……やがて彼女は、ボソリと
「……」
「……それで?」
(…っ!?)思いもよらぬ塩対応に、切田くんは動揺する。
(全然効いていない!?付け焼き刃じゃ駄目だったの!?)
「……続き」
(つ、続き!?なに!?つづきって!?)彼女の放つ言葉の展開に、切田くんはさらに
(手札はとっくに全部切った!続きなんて……どうするもなにも、とにかく今は攻めないと…)
「え、えーとですね…。
「ほら。当たり障りのない、上辺のことを並べただけじゃない。…いくら嘘じゃなくたって…」
(わぁーっ!?崩壊するっ!!)
「あと!」
「あと、
「…何ですって?」
東堂さんは顔を上げて眉をひそめ、
「わああああ!?す、すみません!!」(わあああ!完全なる悪手!敗着はこれです!終了!さようならみなさん!みなさんさようなら!)
切田くんは心の中で投了した。顔はしょっぱすぎて
「……あのねえ、私の
「……」
……しかし、彼女は途中で突然口籠って、また目線を外してうつむいてしまった。
(……な、なんだ?……詰んでないのか?継続してる?)切田くんは混乱の渦中、なんとか食い下がって崩れた戦線を立て直そうとする。
(…そうだ、
「僕だってまだ、
「
「試させてくれませんか?」
沈黙。
……それでも彼女を取り巻く重苦しさ、怒りの渦は消え去っているように見える。
慎重に見守る中、うつむく東堂さんはボソリと答えた。
「…わかった」
(よし。凌いだ)切田くんはほっとする。
しかし周囲には
「……だったら……」
「…だったらすぐに帰ってきてよ」
「私を安心させてくれるんでしょう?すぐに帰ってきてよ」
何かがカチャリと、金属音を立てた。
「…もし、切田くんが帰ってこなかったら、私」
「これで喉を突いて死ぬわ」
東堂さんは、喉に短刀の切っ先を当てていた。
(ギャアアアッ!!?)切田くんは心底焦った。
彼女は腰の短刀を両手でしっかり握り、ピタリと、
「……なに?正直にぶつかって良いんでしょう?」
挑み掛かる表情と、
(……待て、切田類。東堂さんは僕の『精神力回復』に依存している状態。精神的にも、能力的にも)
(それが失われた場合、『全力の暴走状態』で戦うしか手が残されていないのかもしれない。そしてそれは今のところ、回復の見込みがない)
(……おそらくそれは、『詰み』だろう)
東堂さんが初日に使った暴走状態は【
しかし、もし再びフルパワーの暴走攻撃を使わざるを得なくなった場合。……暴走状態の解除は、切田くんが彼女の打撃を食らったときに流れ込んだ『精神力回復』が引き金となったはずだ。他に解除の見込みなど無いのだ。
(仮に限界で暴走状態が切れたとしても、そこが戦場
(……なるほど。僕の勝手でやっぱり詰む、なんて言われたら、そりゃあ困るし、怒るよな……)切っ先を構える姿をじっと見つめ、静かに歩み寄る。
(東堂さんの判断は正しい。ならば僕は、不安に揺れる東堂さんの正しさを補強しないと…)
(つまり、『安心させる』ってことだろ。……行け。切田類)
「
そのまま刃と両腕を包み込むように、彼女の両肩をギュッと抱いた。
彼女はあからさまに動揺する。「……あっ……」
「き、切田く……?」
(捕らえた)
何重にも張り巡らせた障壁を抜け、やっとのことで本丸へとたどり着いた。これを機に『精神力回復』を流し込もうと思うも、
(……いや、いいか)
意図的に流し込むのはやめておく。――
弱々しく
「
「…う、うん…」
東堂さんも彼の瞳を覗き込み、熱に浮かされたうわ言のように答える。
――肩を抱いた腕をそのまま滑らせ、凶刃を握る両手を、包み込むように握る。
「
「…っ……うん…」
「あと、これだけは言っておきます」
切田くんは淡々と、それでいて
「東堂さんの色仕掛けは強力です。僕はすっかりたらしこまれています」
「……」
彼女は息を呑み、目をぱちくりさせて、はにかんで顔を伏せる。
……そして不服そうに頬を染め、ジトッとした目で言い返した。
「切田くんのばか」
「…じゃあ、行ってきます」
「…うん…行ってらっしゃい…」
硬い笑顔を交わし合い、入ってきたばかりのドアを開ける。
扉が目の前で閉まっても、彼女はそこに立ちつくしていた。――熱に浮かされた瞳で、閉まった扉の向こう側を見つめる。短刀を持ったまま、その胸を抑える。
やがて、彼女は苦しげに、「はぁっ…」と、熱い吐息を漏らした。
◇
「今日はよろしくおねがいします。切田です」
アジトの外で待つのは、どう見てもカタギには見えない二人。切田くんはとりあえず挨拶をする。……潜在的な敵にだって、敵性の進行度というものがある。常時表示してほしい。
ひとりは禿げ上がった頭の片目が眼帯の男。もうひとりは非常に暗い雰囲気の、ひょろっとした壮年の男だ。どちらも筋肉質で
「…いや、待て。まて待てまて。…ちょっと待てって!」眼帯男が不服げに言い立ててきた。敵性自動進行だ。(気遣い意味無し!)
「…なんだなんだぁ?ガキの声じゃねえか。その覆面はなんだ?
すると、横にいるひょろ男がたしなめた。……随分と顔色が悪い。
「…止せって、ダズ…」
「なんで」
「…そいつは『ひとりで』カチ込んで盗賊団を壊滅出来るかを試されてるんだろ。…
「はっ」眼帯男は鼻で笑い、小馬鹿にする。
「ほんとに出来んの?」
「ええ。まあ」
眼帯男はヘラヘラと笑い出した。「ははっ、頼りねえなあ。どうやって?初見殺しの魔術師が襲撃に有利なのはわかるがな。受けに回ったら一気だろ?大勢相手じゃなあ」
「それとも俺たちに壁でもやらせるつもりか?それって良いんだっけ?」
「…駄目だな…」ひょろガリの答えに、ニヤニヤと笑いを深める。
「おいおい。でもお前はよう、こう、ぜんっぜん訓練受けた身のこなしじゃないよなぁ。ド素人だろド素人」
「いやいやいや、どうやんだよ。ぶっはは」
切田くんは挑発に答えず、『スキル』で気を落ち着かせて平坦に答えた。
「現地でお見せしますよ」
「…何ぃ?」面白くなさそうに、眼帯男がいきり立つ。
「案内、よろしくおねがいします」改めて頭を下げる切田くんに、笑いを消した眼帯男が吐き捨てる。
「…可愛げがないね、お前」
「…だから止せ、ダズ…」
「なんつーの?コミュニケーション?お前その意志がないよね。そんなんで俺らとの信頼が生まれるとでも思ってんの?それとも馬鹿にしてんの?ねえ」
「……」黙り込んだ少年に向かい、眼帯男は次々と苛立ちの言葉をまくし立てた。
「あのさあ、巻き込まれてるのはこっちなんだわ。お前、見た目も態度も不安がられてるわけ。そんな埋め合わせに手も付けずに『ええ、まあ。案内よろしくー』はねーわ。もうちょっと何か無いわけ?」
「俺らは今、切った張ったの鉄火場に行こうってんじゃないの?
「でも」
「でも、何だよ」
「場合によっては背中から刺せみたいなこと、上から言われてないんですか?」
切田くんの答えに、ふたりはピタリと動きを止めた。
「……はぁ?」
「それと、あなた達ふたりだけじゃないですよね。同伴者」
眼帯男とひょろりは顔を見合わせ、肩をすくめ合う。
そしてふたりは、切田くんに向かって言った。
「ダズエルだ。今日はよろしくな、キルタ」
「…俺はガゼル。よろしく、キルタ…」
「よろしくおねがいします」
「背中には気をつけろよ」
眼帯男、ダズエルは気安げに、切田くんの背中をぽんと叩いた。
「はい」
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