真なる『賢者』、切田くん
狭い小部屋を照らすふたつの光源。――しなだれかかって
吸い付く
光に影なす、絡みつく細身の曲線。
倒れ掛かる勢いで近づく、白く輝く魅惑の美貌。密室に意思を持って迫る獣の瞳が、
……固い、作り笑顔。本当は目を
躰の重みを預けたまま、カチャカチャと制服ズボンのベルトを外す。――しなやかな細身が影絵となって、蜘蛛の様に妖しく
切田くんは『精神力回復』の元でも、何がなんだかわからなくなっていた。
制服ズボンのホックをはずした彼女が、ふたたび不器用に、
「…切田くん…」
「…東堂さん…」少年も、うわ言の様に答える。
覆い被さって眺め下ろす、影の
「…緊張してる?」
「し、してますよ(そりゃ…)」声が裏返る。のどが渇いて声が出ない。
「…私も…」細指が白く
「…切田くんって、肌、きれいだね。…女の子みたい」
「…東堂さんの肌のほうが綺麗ですよ…」
「…フフ」
少女は
「…ありがと。どこ見てるの?切田くんのえっち。いやらしい…」
「……挑発して。知らないからね、どうなったって……」
声を
彼女は何かに気づき、固まってしまった。
……両手を
「…私」
切なげに目をそらす。
「…魅力ないかな。…女として」
「いやいやいや!それは違いますよ!」切田くんは慌てて(慌てて)答えた。今は慌てる演技も必要だ、と判断したのだ。
萎縮する彼女は、
「…さっきのも、リップだった?…私に合わせてくれていただけで…」
「そんなわけないでしょう!」(そんなわけ無いでしょう!?)
切田くんは逆ギレ気味に答えた。(そんなレベチのサラサラしっとり透明肌しといて何言ってんすか!?鏡を見てくださいよ!鏡を!)ビクリとした彼女に向け(…ヤベ)、この奇天烈な状況を何とかしようと、必死に落ち着いて語りかける。
「東堂さんは綺麗で、スマートで、初めて見た時アイドルかモデルさんかと思いましたよ。思わず
(あといい匂いがするし、普段からどことなくエロいし、もう最高だと思います)言うべきではない言葉を飲み込み、次の言葉を探す。
「…機転も利くし、落ち着いているし、気配りもしてくれている人です。そんな人ってなかなかいませんよ」
「…でも」下に目線を向けて言葉を
「僕だって健全な男子高校生です。そんな人に迫られたら嬉しいに決まってるじゃないですか。抱きつかれたら興奮するに決まってますよ!」
「実際、僕の内心はめちゃめちゃキテるんですよ」
「だけど」
そして、苦虫を噛み潰したように吐き捨てた。
「落ち着いちゃうんですよ!」
「『精神力回復』で!」
東堂さんは真顔で目をパチクリさせた。
「…そういえば、私もなんだか、変に落ち着いてしまってるわ」
「盛り上がりが無くなったというか、…こう、言いにくいのだけれど」
「性的な興奮が」
「きみとくっついていると、なんだか居もしない弟とくっついているみたいで」
(罠『スキル』…!?)
切田くんは戦慄した。
頼り切っていた有能スキルの思わぬ落とし穴。
(性的な興奮も『精神力回復』で平静に寄せてしまう)
(つまり、強制『賢者』モード!?)
(…こ、これが)
(奴らの言う、『賢者』の正体なのか!?)
「…ちょっと切田くん」額を寄せ眉根も寄せて、彼女は悩ましげに抗議する。
「ねえ、…ちょっと止めて。『精神力回復』」
「…どうやって止めればいいのかわかりません。…東堂さんはどうやって『生命力回復』を止めているんです?」
「…わかんない。止まっていないのかもしれない」
切田くんはあまりに情けなさそうな顔をした。この世の全ての罪を背負わされし絶望顔だ。
それを見た東堂さんは、こらえきれずにクスクスと笑いだした。
「…笑わないでくださいよ」
「ふふ…ごめん」懸命に衝動を抑え込む。まだプルプルしている。
「……ホッとしました?」ちょっと聞いてみる。
「意地悪ね、切田くん」
「す、すみません」
顔と上体を起こして離れ、ベッドの
「もう寝よっか。ちょっと詰めて」
「…一緒のベッドで眠るんですか?」
「もちろん」
切田くんは足だけで革靴を脱ぎ捨てると、そのまま身を
天井を見上げる固い横顔を眺めて、彼女はゆったりとした微笑みを浮かべる。
「…おたがい、『スキル』のコントロールを身に着けましょう」
「あるいは『スキル』を抑える何かを手に入れる」
「……」
しばし天井を見上げたまま、切田くんは尋ねかけた。
「こんなことになっても、まだ気は変わりませんか?」
「……」
東堂さんも身を横たえ、天井を見上げた。
しばしの沈黙の後、ポツリ、ポツリと
「さっき言ったこと、本当よ。切田くん」
「私、あなたとなら嫌じゃない」
「……こんな気持ちになれる人が、私の前に現れるだなんて。今まで思いもしなかった……」
「だから、ね。切田くん」
猛獣の瞳がギラリと光る。覆い被さる形に
柔らかなふくらみが、素肌が。形を変えて密着している。レースの生地も感じる。
スラリと長い片脚が上がり、
…
地の底から響くような声で、彼女は言った。
『…
……背筋に悪寒が走った。
切田くんは身を固くして、ただ天井を見上げていた。
今の東堂さんは、目を合わせることがどこかためらわれる。そう思った。
涼やかな声が、耳元に
「…ねえ、切田くん?」
「なんです?」
「やっぱり欲しいな、私」
「…何をです」
「ふふ」
「下着。エッチな下着」
「……」
「一緒に買いに行ってくれる?」
「…いいですよ」
「ありがと」
「……」
横顔を、微笑み顔のまま覗き込む。
……抱きつきもたれかかったまま、彼女はスゥと目を閉じた。
「……やっぱり落ち着く……」
やがて、静かな寝息が聞こえ始めた。
固まったままの切田くんは、やっとの事で密着する気配へと意識を向けた。
(…やっぱり疲れていたんだな。『生命力回復』、『精神力回復』とて万能じゃない)
(…安心して休める場所。何とか辿り着かないとな…)
(……『精神力回復』か)
燭台と机の上に意識をやって、ふたつの光球を消滅させる。
暗転。部屋を暗闇が支配した。
(東堂さんは『精神力回復』の力に依存している。…僕が思っていたよりも、ずっと)
(…突然振りかかった悪意に取り囲まれ、疲れ、そして傷ついている)
闇のすぐ向こう。絡みつく寝顔を眺めようとして、後ろめたさに目を逸らす。
(そして、たまたま近くにあった
(勘違いだ)
(神経の作用を僕への好意だと思い込んで、自分を粗末に扱ってでも繋ぎ止めようとしている)
(……そんな気持ちにつけ込むなんて卑怯だ……)
このままでは、膨れ上がる悪い感情に押し潰されてしまう。プレス式煎餅だ。……切田くんは仕方なさそうにため息を付き、ベッタリ抱きつく東堂さんを、ゆっくりと押しのけようとした。
静かな寝息が、ぞわぞわと肌を撫でている。
鼓動がトクトクと、肌から直接伝わってくる。
良い匂いが取り巻いている。嗅いでいると変な気持ちになってくる。
そして、汗ばむほどの熱い体温。
……意識がぐるぐる、ぐるぐる回る。
(…そ、そうだ。ここで押しのけたら東堂さんを起こしてしまうかもしれない。そうでなくとも目が覚めたときに悲しい思いをするかも…)
(僕個人の筋を通すというワガママで、彼女を傷つけてしまうことになるんだ)
(…そうだよ。仕方ないよな?)
押しのけるのを諦め、切田くんはギュッと強く目をつぶった。…駄目だ。伝わる感覚が全身を刺激し続け、意識をいっぱいに埋め尽くす。
…ぐるぐる回る。…ぐるぐる回る。
(……無いな!?安心…!?)バター煎餅だ。
(…これ、意識しすぎて眠れない例のやつだ。…本当にこっちで正解なの?ホントにぃ?…)
「…ん…」
切なげな吐息。密着に
収まりが良くなったようで、彼女はまた静かな寝息を立て始めた。
切田くんは石灰岩のように硬直し、ずっと頭の中がぐるぐるしている。…それでも無理にでも、脳と身体を休ませようと、両まぶたをギクシャクとつむる。
(落ち着けるものか!こんな生殺しの状況で眠れるものなどこの世には存在しない。…眠れるわけがない…)
(…ん?…でも、なんだか眠れそうだな…)
(……こうやって、全身や顔の、奥の力を抜けば……)
隣の部屋からはいまだ、男女の絡み合う声と
(……『精神力回復』。気休めでも、今晩はこうして眠る事ができる……)
(……こういう時は、役に立つんだけどな……)
やがて、切田くんも寝息を立て始めた。
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