上がる好感度
朝日と共に動き出す街とは
裏通りなど
「……見ねえ顔だな」「ああ、どうも〜」
早朝の酒場にズカズカと入り込んでくる、軽薄な男。見るからに神経質で落ち着きのない男だ。――マスターは侵入者に
軽薄男はだらりと
「今日からさ。グラシスさんか本部から、話来てない?」
「……」ヘラつく男から目を離さずに、店主は無愛想に返した。
「スカウト専門の『スキルホルダー』。ネッドだったか。聞いてるぜ」
「用心深いことで。仕事熱心だね〜。それよりなんか飲ましてくんない?」
軽口に背を向け、マスターは元いた通りに食器を拭き始める。「…んだよ。無視かよ…」軽薄男は気に入らなそうに吐き捨てる。
「あれ。これ、歓迎会?そういう
「あーそ、いいんだぜぇ、別に。ポッと出が
「責任とか責務とかだ。やんないとさ。…お前、わざとだろ。そう来るなら俺は、当〜然っ、上の意向と
「いいのかい?それで」
眉ひとつ動かさない酒場のマスターに、軽薄男は酷く
「…認められてんだぞ?俺ぁ…」
塩対応をしばらく睨みつけて、
「報告するからなっ!!」
酒場のマスターはやれやれと厨房に引っ込んでしまった。「…絶対にだっ…」「…絶対に言ってやる…」「…権威ってもんがさぁ…」
「…本部も趣味の悪いことだな」
乱雑に積まれた調理道具が、ガチャリと大きな音を立てた。
◇
薄明。温かくて穏やかな、
――小鳥の鳴き声が聞こえる。切田類は、自分がとても心地よい感覚に包まれている事を発見した。(……なんだ?……)(……夢か。気持ちの良い夢だな……)
(…このまま沈み込んでいたい…)枕に位置する感触。やわらかくて張りがある。とても良い。
誰かの冷たい手のひらが、自分の頭を撫でている。――やんわりと、
なんだかとてもいい気分だ。
誰かの細指が額に触れ、前髪をかき分けている。毛づくろいされている。
むに、と、顔面がサラサラした布地に埋もれた。布越しに柔らかな体温を感じる。(……)
(……な、なにかマズイ……)
流石にすっかり覚醒してしまっていた。――自分は何か良くないことをしている。穏やかさなど一気に消し飛んで、過失の気配に全身が
眠りが覚めてしまっている事は、相手にも伝わっているはずだ。目を開くのが怖い。(…踏み出したくなぁい…)それでも何とか意を決し、
切田くんは、ゆっくりと目を見開いた。
「おはよ、切田くん」覆いかぶさって覗き込む東堂さんが、穏やかな声をかけてきた。
(…距離感!?)あまりの近さに、(いや、近い近い)切田くんは
「…その、おはようございます?東堂さん」
「ふふ。起こしちゃった?」彼女は
昨晩と同じ場所、酒場の二階にある固いベッドの上だ。明かり窓よりうっすらと差し込む、緩やかな朝の光。
太ももに頭を載せた切田くんは、そこでぼんやりと天を仰いでいた。――これは完全に膝枕だ。(…ドユコト?)
太もものやわらかな弾力。スカートの布地を後頭部に感じる。もちもちしていて良い。
(……これは、とても良い状況。なのか……?)そこから感じる違和感が、一般同調の思い込みをバキバキに打ち砕き、踏みにじる。
(…いやいや待って。おかしいでしょ。…『スキル』の力が変に作用して、【
(…それとも僕が、単に新しい関係性に適応出来ていないだけなのか。…後ろめたさの分だけ距離を取ってしまって…)
同じ災禍に巻き込まれただけの、知り合ったばかりの男女。……しかしながら昨夜は一晩中絡み合い、望んで体温を分け合った仲でもある(言い方ァ!)。膝枕ぐらいなんだ、という話にはなる。(…流石にそれはうぬぼれがすぎる。…だったらどうして…)
「…その、僕としてはありがたいというか、…良いんですけど。…どうしてこうなっているんです?」
上から覗き込む彼女は、そっけなく答える。「切田くんがいつまでも寝ているからこうなっているの」ツンと澄まし、こともなげに言った。
「してほしいって言っていたでしょう?昨日」
「……言っては…!」
慌てて弁明を
「……いえ、はい。言いました。確かに。暗に」
「ふふ。伝わりました」クスクス笑う彼女の手のひらが、ゆったりと額に当てられる。――冷たい素肌と、感情の温かみ。昨晩の不穏で
(……これは、地獄!?)切田くんの情緒は混乱した。
その温かさは、確かに切田くんへと向けられていた。……不正で手に入れたものな気がして、逆に酷く追い詰められた気分になる。
(嬉しい気持ちはもちろんある。……しかしこの状況、結構キツい!)
(デレデレするのは変だし、…変だよな?突き放すのもありえない…)
(…どうしてこうなったの?本心からの膝枕、って事は無いよな…)
後ろめたさと気まずさが絡み合い、絶望感さえ覚える。
(…やはり、実利の問題。『精神力回復』が必要なあまり、恋人のように振る舞ってでも
(…いや、そんな
(……だって膝枕って、『プレイ』じゃないか!恋人同士の!)切田くんは変態っぽい思考になってきた。
(『プレイ』に走ってるって事になるでしょ。相互に
膝枕はされる側にも心構えが必要だということを、今回新たに学んだ。……この感触を手放すのは惜しいが、このままでは後ろめたさに押しつぶされてしまう。
硬直をずっと見下ろしながら、東堂さんは悪い顔(可愛い)で、ニンマリと笑いかけてくる。
「ここまですれば、流石に起きちゃうって思ったのだけれど。切田くんって眠りが深いんだね?私も途中で楽しくなっちゃって…」(……ずっとこうしてたってコト!?)
「…あの、ホントすみませんでした。もう起きますから…」
「そう?」東堂さんは素知らぬ
「起きたければどうぞ?」
手を止めずにツンとして言うので、切田くんは顔を赤らめたまま、額でおしのけるように身を起こした。……日はもう高い。だいぶ寝過ごしてしまったようだ。(…えっろ…)
東堂さんは夏服だ。
ネクタイを締めた半袖のブラウス。
布地を持ち上げる、なだらかなふくらみ。
白くてなめらかに光る、柔らかそうな魅惑の二の腕。
スカートから伸びるスラリとした生足。適度にムチッとした太もも。合わせ目のつくる隙間。そして黒のソックス。(…うう…すごく眩しい。普段だったらキョドって目も合わせられないレベル…)
(…でも、その生足太ももの上に寝ていたってこと?)(…うぁぁ…)
モヤモヤのなか、切田くんは
「…変、かな…」東堂さんがはにかみ、笑いかけてきた。
「変じゃないです。でも、どうしたんですかそれ。着替えの荷物なんて」
「ソーイングセットが無事だったから。ブレザーの内ポケットに入れていたの」
なるほど、よく見れば昨夜と同じブラウスだ。袖がズタズタだったので切りそろえたのだろう。
バランス良く袖丈詰めされており、そういう商品だと言っても過言ではない仕上がりで、服装に違和感はない。――シルエットにも手が加えられており、元々よりシャープな印象だ。良く出来ている。
「ストッキングは…ちょっと厳しいかな。無いと靴擦れしちゃうから…」
(…裁縫が得意なのかな?意外と家庭的なんだな。…しかし、これは…)
ソックスもストッキングの残骸から再利用したようだ。一部薄布で補強してあるようだが、靴下にしては薄手である。なんとなく素足が透けて見える。
……肌との境目、生足への食い込みなども気になり、切田くんは激しく
(さあ、目を
ガン見しすぎたようだ。東堂さんが戸惑い顔を赤らめる。
「…ねぇ、そんなにまじまじと見られると恥ずかしいよ。やっつけただけだから。…やっぱり変だよね…」
慌てて謝ろうとする彼の耳に、カリカリという幻聴が響く。――真なる『賢者』たる切田くんの頭脳が叫んでいるのだ。この局面、謝るという選択肢は正解ではない。
「
「…そう?」東堂さんはいたずらっぽい顔で、
一方、切田くんは真剣な表情のまま、不器用ながらも落ち着いて感想を並べる。
「『スキル』がなければめちゃめちゃドキドキしてましたね。こう、挙動不審になって」
「…ふうん?」
まんざらでもないようだ。彼女は興味深げなそぶりで、少し身を乗り出して覗き込んでくる。ろくろ回しの身振りを
「正直フルコミットです。アグリーですね。でも今は『スキル』が押さえつけているんで、ドキすいー、ドキすいーって感じですかね」
「なにそれ」東堂さんは
「まあ、一応ドキッとはするんだ?」
「ええ」真面目くさってうなずく。
「似合ってますよ。しっくり来てます」
「えへへ」
東堂さんは嬉しそうに
(ご機嫌になってくれた?良かった。鏡も内ポケットに入っていたのかな。なんでも持ってるな…)
反面、
下着の上に直接ローブを羽織る姿を想像してみる。駄目だ。エッチすぎる。
(…必要な衣類は早急に揃えておきたい所だな…)
(…向こうのものは、もう手に入ることはないんだろうけど…)
内ポケットからシャープペンシルを取り出し、もてあそぶ。切田くんが服装以外に持ち込んだのはこれぐらいのものだった。少し感傷的な気分になる。
ふと気がつくと、ジトッとした目で東堂さんが睨んでいた。
「…切田くんの女たらし」
(……なんでぇ?)「突然の理不尽」
◇
昨日ローカス商店で購入した、地味な茶色のローブをお互いに着込む。ペアルックだ。
背負い袋や装備を身に付け、さらに上から外套を羽織る。これで見た目の違和感は無いはずだ。「もこもこね。切田くん、暑くない?」
「すこし」答えながら手を差し出す。東堂さんも自然と手を差し伸べて、その手を握った。
しかし、彼女は握った手を、そっと離す。……名残惜しげに腕をすくめて、微笑を浮かべた。「…大丈夫。今はいい」
「切田くんのおかげ。やるべきことは、決まったから」
東堂さんは落ち着いている。
結局は『スキル』への依存心など一時的なものだし、これが本来のふたりの関係性なのだろう。切田くんは
「行きましょう」
「ええ」東堂さんも
……そして、彼の背に聞こえないよう、自身に言い含めるようにそっと
「…それに、心はもう繋がり合っているもの」
「そうだよね?切田くん」
浮かぶ喜色。彼女は軽やかに少年の背を追った。
部屋の鍵と空ジョッキを持って、慎重に階下へと降りていく。……おそらく下には、誰かが待ちかまえているはずだ。
◇
酒場は営業時間外で
「マスター、ジョッキと鍵、ここに置きます」
「よく眠れたか?」
「おかげさまで」
「…安宿だ。贅沢を言うな」隣の部屋で
「それより、お待ちかねの客だ」
「どうもー。おふたりさん?」マスターの
人懐っこいと言うには
「よう。俺はこの辺を仕切る組のもんで、ネッドってんだ。よろしくな。お前らの名前は?」
「
「……」東堂さんは眉をしかめて口をつぐみ、フードを深く被り直す。
「無口な姉さんだなぁおい…」ネッドは肩をすくめ、切田くんに問いかけてきた。
「なんて名前?彼女」
「
「東堂」被せるようにキッパリと答え、東堂さんは抗議する。
「…なに、へもへもピョンピョンって」
「…すみません」
叱られてしまった。切田くん的には面白いかと思ったのだ。
「んー」ネッドは微妙な顔で首をひねり、すぐに気を取り直して話を続けてきた。
「キルタにトードーか。なんでもだいぶ立て込んでいるんだって?」
「…
「まあ、知り合い経由でいろいろさ。それで口利きに来たってわけ。『スカウトマン』ってやつ。知ってる?スカウトマン」
「……
「とぼけるなって」口元を嫌らしく
「…昨日、運河の置き場で出た三つの死体。あれお前らだろ」
殺気が一気に膨れ上がった。切田くんの視線も鋭さを増す。
――剣呑な、冷たい空気が流れる。
切田くんはゆっくりと、胸のシャープペンシルを探る。
東堂さんの足元から、ギュッと異音がした気がした。
「待て待て待て!責めに来たわけじゃねえっ!…隠し事に向いてなさすぎだろうお前ら!」ネッドが大慌てで
「安心しなって。死体なんざこの迷宮都市じゃあ毎日掃いて捨てるほど出るんだから。…だけどな。お前らが殺ったあの三人、迷宮ギルドの連中だ」
「しかも、階下で荒稼ぎしている
「まあ、おちつけって。お前らも『迷宮』目当てでこの国に来たんだろ?違う?」
胸のシャープペンシルに手を当てたまま、切田くんは答えた。「
「だが、お前らは正規の手段では『迷宮』に入れない。ギルドの審査、通る?」
「
「正直だ。うちに来るなら『迷宮』に入って稼げるようにしてやるぜ。もちろんアガリは収めてもらうけどな。ただし、うちだって強い兵隊が目当てなんだ。『迷宮』の外でも働いてもらうぜ。…どうだ?」
軽薄で気安いネッドの言に、切田くんは慎重に答えを返す。「
「ああ、別にぃ?」ネッドはわざとらしく天井を見上げ、両手を広げてみせた。
「その事を恨みに思ったりはしねえなぁ。ただなぁ、俺らの抱えた情報が、小金稼ぎに使われるぐらいの事はあるかもな。…だがよ、うちに入ればお前らはファミリーだ。誰だって家族は大事にする。家族を売るやつなんてどこにもいない。そうだろ?」
……ヘラヘラと笑うネッドに、ふたりは冷ややかな視線を向ける。
「…
「お、来る気になった?良いね、じゃあ決まりだ」パンと両手を打ち鳴らし、ネッドは早々に席を立った。
「いやぁ〜、気の合う相手で良かったよ。ウチのヤサ、アジトまで来てカシラに面通ししてくれ。まあ就職の面接みたいなもんだよ。気楽にな」
「実は、その前に買い物に行っておきたいんです。準備を整えないと」
ネッドは気にしない、といったジェスチャーでひらひらと手を振る。
「ああ、いいよいいよ。そのぐらいなら付き合うぜ。何を買うんだい?」
切田くんは
「
「殴り込み!?」
ネッドは引き笑いを引き
「
「…まあ、そうかもな。だったら裏のローカス商店で買えばすぐに済むぞ。顔の広い俺がナシをつけてやる。それでどうだ?」
「…
「ハハハ。どうよ。俺が話の分かる相手で助かったろ。優しいだろ?」
「……」
「……」
「…なんだ、なんだよ。…ああ、子供にはわかんねえか!
「…ねえ、切田くん。どうして武器を買おうと思ったの?」
「東堂さん、ずっとグーで行きますか?」
「…それもそうね?」
彼女は眉をしかめながら、軽くエア素振りを始めた。
どういう武器がしっくり来るのか考えているらしく、
そして切田くんにはまだ、必ず伝えねばならない、やり遂げねばならない大事なことがあった。
「あの、ネッドさん。他にも買うものがあるんです」
「…ああ、そゆことね。それを言い出したかったってこと?…まあ、武器は分かるよ。ただそこまで大事なものでないのなら、出来れば後回しにしてほしいんだがなぁ。…何を買うんだ?」
「
「切田くん?」
東堂さんは素振りを止めた。
ネッドは沈黙し、本当に頭が痛そうに、指を当ててうつむく。
「…それは、大事だな?」
「
「だが、流石に後にしてくれ。いいか?」
「
「嫌よ」
「嫌です」
ネッドは肩を落とし、口元を
「
「……」
ふたりの様子に肩をすくめ、ネッドは立ち上がる。
(……クク。
そして自身が
(そう、お前らが無傷で三人倒したというのは、実に評価が高いんだよなあ。戦いというものがよくわかっている)
(戦いというのは力と技を競い合うもの、なんてほざく調子こきもいるがな。もちろん実際にはそうじゃない)
(一方的な攻撃を、どう相手に押し付けて行くか)
(俺の『スキル』。…ユニークスキル、『好感度』)
(俺の"質問"に対象が"直接返答"することで、対象に『好感度カウンター』が付与される)
(『好感度カウンター』の数に応じて精神にバイアスがかかり、効果対象は使用者に好感を持つようになる)
(そして『好感度カウンター』が100蓄積されることによって、対象は『魅了』状態になる。ジ・エンド)
(…クク。我ながら、ワケのわからん『スキル』だよなあ?)
(…この『スキル』の恐ろしいところはな…)
(『好感度カウンター』が100貯まらなければ『魅了』状態にならないところなんだよ。【
(つまり、看破不能の
(絶対にバレない。バレることはない…ククク)
(すでにカウンター+15。ゴリゴリと『好感度カウンター』が貯まっていくお人好しのキルタはもちろん)
(…+0。警戒心の高いこの女も、
(意識の外から行われたとっさの質問に対しても、徹底してだんまりを決め込むなんざ、人間になかなか出来ることじゃない)
(…まあつまり?)
(俺が来た時点でもう、お前らは終わってるんだよ。クク)
ネッドはふたりに、気安く声をかけた。「これからよろしくな、キルタ、トードー」そして、ふたりに聞こえないよう、彼は小さくつぶやいた。
「
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