上がる好感度

 朝日と共に動き出す街とはに、夜を主戦場とする繁華街は逆に静かな立ち上がりとなる。汚れた道。無人の店舗。浮浪者。ゴミ溜まり。早朝の蒼に沈む情景。


 裏通りなどさらに壮絶なものだ。惨憺さんたん憂鬱ゆううつを集めし混沌の坩堝るつぼ。ゴミの散らかりにまぎれて動かぬ人物なども見える。死んでいるのか酔いつぶれているのか、うかがい知る事は出来ない。



「……見ねえ顔だな」「ああ、どうも〜」



 早朝の酒場にズカズカと入り込んでくる、軽薄な男。見るからに神経質で落ち着きのない男だ。――マスターは侵入者に一瞥いちべつをくれると、磨いた食器を置き、ゆっくりとカウンター奥の狼牙棒に手を伸ばした。……一触即発の空気。


 軽薄男はだらりと両肘りょうひじを上げて肩をすくめた。


「今日からさ。グラシスさんか本部から、話来てない?」


「……」ヘラつく男から目を離さずに、店主は無愛想に返した。


「スカウト専門の『スキルホルダー』。ネッドだったか。聞いてるぜ」


「用心深いことで。仕事熱心だね〜。それよりなんか飲ましてくんない?」



 軽口に背を向け、マスターは元いた通りに食器を拭き始める。「…んだよ。無視かよ…」軽薄男は気に入らなそうに吐き捨てる。



「あれ。これ、歓迎会?そういうって良くないんじゃないの?」


「あーそ、いいんだぜぇ、別に。ポッと出がめられるなんざよくある話だもんなぁ。…だけどな、俺だってここには仕事で来てるんだ」わざとらしく鼻で笑う。


「責任とか責務とかだ。やんないとさ。…お前、わざとだろ。そう来るなら俺は、当〜然っ、上の意向とする事になっちまうよなあ。組織の権威ってもんがさあ。うはは」


「いいのかい?それで」


 眉ひとつ動かさない酒場のマスターに、軽薄男は酷くとして食い下がった。


「…認められてんだぞ?俺ぁ…」


 塩対応をしばらく睨みつけて、忌々いまいましげにカウンター前の椅子へと(勝手に)陣取ってしまう。そして軽薄男は声を裏返した。



「報告するからなっ!!」



 酒場のマスターはやれやれと厨房に引っ込んでしまった。「…絶対にだっ…」「…絶対に言ってやる…」「…権威ってもんがさぁ…」いまだにブツブツと毒づく声が聞こえる。食材のチェックをしながらも、マスターはげんなり顔で毒づき返す。


「…本部も趣味の悪いことだな」


 乱雑に積まれた調理道具が、ガチャリと大きな音を立てた。



 ◇



 薄明。温かくて穏やかな、揺籃ようらんの檻。……まどろみの中。おぼろげな世界の中。


 ――小鳥の鳴き声が聞こえる。切田類は、自分がとても心地よい感覚に包まれている事を発見した。(……なんだ?……)(……夢か。気持ちの良い夢だな……)


(…このまま沈み込んでいたい…)枕に位置する感触。やわらかくて張りがある。とても良い。


 誰かの冷たい手のひらが、自分の頭を撫でている。――やんわりと、いとおしに。飼い猫になったみたい。



 なんだかとてもいい気分だ。



 誰かの細指が額に触れ、前髪をかき分けている。毛づくろいされている。

 夢現ゆめうつつの中、と甘えたい気持ちになり、暖かみを感じる側へと寝返りを打つ。



 むに、と、顔面がサラサラした布地に埋もれた。布越しに柔らかな体温を感じる。(……)


(……な、なにかマズイ……)


 流石にすっかり覚醒してしまっていた。――自分は何か良くないことをしている。穏やかさなど一気に消し飛んで、過失の気配に全身が強張こわばる。


 眠りが覚めてしまっている事は、相手にも伝わっているはずだ。目を開くのが怖い。(…踏み出したくなぁい…)それでも何とか意を決し、厳粛げんしゅくに寝返りを打ち直して元の姿勢へと戻る。



 切田くんは、ゆっくりと目を見開いた。



「おはよ、切田くん」覆いかぶさって覗き込む東堂さんが、穏やかな声をかけてきた。



(…距離感!?)あまりの近さに、(いや、近い近い)切田くんは狼狽うろたえる。――ふたつ年上の、麗しき他校の先輩。印象値の高すぎる美人の顔が至近にあるのは、ドギマギしてしまって目が泳ぐ。


「…その、おはようございます?東堂さん」


「ふふ。起こしちゃった?」彼女ははかなげに、薄っすらと笑いかけてくる。


 昨晩と同じ場所、酒場の二階にある固いベッドの上だ。明かり窓よりうっすらと差し込む、緩やかな朝の光。


 太ももに頭を載せた切田くんは、そこでぼんやりと天を仰いでいた。――これは完全に膝枕だ。(…ドユコト?)


 太もものやわらかな弾力。スカートの布地を後頭部に感じる。もちもちしていて良い。


(……これは、とても良い状況。なのか……?)そこから感じる違和感が、一般同調の思い込みをバキバキに打ち砕き、踏みにじる。


(…いやいや待って。おかしいでしょ。…『スキル』の力が変に作用して、【洗脳ブレインウォッシュ】みたいに働いてしまっているの?)


(…それとも僕が、単に新しい関係性に適応出来ていないだけなのか。…後ろめたさの分だけ距離を取ってしまって…)


 同じ災禍に巻き込まれただけの、知り合ったばかりの男女。……しかしながら昨夜は一晩中絡み合い、望んで体温を分け合った仲でもある(言い方ァ!)。膝枕ぐらいなんだ、という話にはなる。(…流石にそれはうぬぼれがすぎる。…だったらどうして…)


「…その、僕としてはありがたいというか、…良いんですけど。…どうしてこうなっているんです?」


 上から覗き込む彼女は、そっけなく答える。「切田くんがいつまでも寝ているからこうなっているの」ツンと澄まし、こともなげに言った。


「してほしいって言っていたでしょう?昨日」


「……言っては…!」


 慌てて弁明をこころみるも、……激しい羞恥を『スキル』で抑え込み、ボソボソと答えた。


「……いえ、はい。言いました。確かに。暗に」


「ふふ。伝わりました」クスクス笑う彼女の手のひらが、ゆったりと額に当てられる。――冷たい素肌と、感情の温かみ。昨晩の不穏で仄暗ほのぐらい感覚など、そこには欠片かけらも存在していない。(……これは……)



(……これは、地獄!?)切田くんの情緒は混乱した。



 その温かさは、確かに切田くんへと向けられていた。……不正で手に入れたものな気がして、逆に酷く追い詰められた気分になる。


(嬉しい気持ちはもちろんある。……しかしこの状況、結構キツい!)


(デレデレするのは変だし、…変だよな?突き放すのもありえない…)


(…どうしてこうなったの?本心からの膝枕、って事は無いよな…)


 後ろめたさと気まずさが絡み合い、絶望感さえ覚える。


(…やはり、実利の問題。『精神力回復』が必要なあまり、恋人のように振る舞ってでもとどめ置こうと…)内心でかぶりを振る。


(…いや、そんなおとしめる考えは良くない。彼女が困っている事も、仲良くしようとしてくれている事も。結局のところ本当の事じゃないか。…それにしたってあんな軽口、律儀に拾わなくても…)



(……だって膝枕って、『プレイ』じゃないか!恋人同士の!)切田くんは変態っぽい思考になってきた。



(『プレイ』に走ってるって事になるでしょ。相互に演技ロールプレイの合意があって成り立つものだ。…だから、こんな風に一方的に形を追ったところで、僕の方は嬉しくもなんとも…)(…いや、嬉しいけれども、なんかつらい!!気持ちがキツくなってくるんですよ!)


 膝枕はされる側にも心構えが必要だということを、今回新たに学んだ。……この感触を手放すのは惜しいが、このままでは後ろめたさに押しつぶされてしまう。


 硬直をずっと見下ろしながら、東堂さんは悪い顔(可愛い)で、ニンマリと笑いかけてくる。


「ここまですれば、流石に起きちゃうって思ったのだけれど。切田くんって眠りが深いんだね?私も途中で楽しくなっちゃって…」(……ずっとこうしてたってコト!?)


「…あの、ホントすみませんでした。もう起きますから…」


「そう?」東堂さんは素知らぬていで少年の頭を撫でこすり、髪ももてあそぶ。なでなで。なでなで。切田くんは困ってしまった。「…あのぅ…」


「起きたければどうぞ?」


 手を止めずにツンとして言うので、切田くんは顔を赤らめたまま、額でおしのけるように身を起こした。……日はもう高い。だいぶ寝過ごしてしまったようだ。(…えっろ…)



 東堂さんは夏服だ。



 ネクタイを締めた半袖のブラウス。

 布地を持ち上げる、なだらかなふくらみ。

 白くてなめらかに光る、柔らかそうな魅惑の二の腕。


 スカートから伸びるスラリとした生足。適度にムチッとした太もも。合わせ目のつくる隙間。そして黒のソックス。(…うう…すごく眩しい。普段だったらキョドって目も合わせられないレベル…)


(…でも、その生足太ももの上に寝ていたってこと?)(…うぁぁ…)


 モヤモヤのなか、切田くんは違和感に気づく。(…ん?…夏服…?)


「…変、かな…」東堂さんがはにかみ、笑いかけてきた。


「変じゃないです。でも、どうしたんですかそれ。着替えの荷物なんて」


「ソーイングセットが無事だったから。ブレザーの内ポケットに入れていたの」



 なるほど、よく見れば昨夜と同じブラウスだ。袖がズタズタだったので切りそろえたのだろう。


 バランス良く袖丈詰めされており、そういう商品だと言っても過言ではない仕上がりで、服装に違和感はない。――シルエットにも手が加えられており、元々よりシャープな印象だ。良く出来ている。



「ストッキングは…ちょっと厳しいかな。無いと靴擦れしちゃうから…」


(…裁縫が得意なのかな?意外と家庭的なんだな。…しかし、これは…)


 ソックスもストッキングの残骸から再利用したようだ。一部薄布で補強してあるようだが、靴下にしては薄手である。なんとなく素足が透けて見える。


 ……肌との境目、生足への食い込みなども気になり、切田くんは激しく懊悩おうのうした。(正直ドチャクソエッッッ…駄目だ切田類!そんな目で見るんじゃない!)


(さあ、目をらすんだ。早くらすんだ!)


 ガン見しすぎたようだ。東堂さんが戸惑い顔を赤らめる。


「…ねぇ、そんなにまじまじと見られると恥ずかしいよ。やっつけただけだから。…やっぱり変だよね…」



 慌てて謝ろうとする彼の耳に、カリカリという幻聴が響く。――真なる『賢者』たる切田くんの頭脳が叫んでいるのだ。この局面、謝るという選択肢は正解ではない。



まぶしいです。東堂さん」


「…そう?」東堂さんはいたずらっぽい顔で、相合そごうを崩した。


 一方、切田くんは真剣な表情のまま、不器用ながらも落ち着いて感想を並べる。


「『スキル』がなければめちゃめちゃドキドキしてましたね。こう、挙動不審になって」


「…ふうん?」


 まんざらでもないようだ。彼女は興味深げなそぶりで、少し身を乗り出して覗き込んでくる。ろくろ回しの身振りをまじえながらも論評を続ける。


「正直フルコミットです。アグリーですね。でも今は『スキル』が押さえつけているんで、ドキすいー、ドキすいーって感じですかね」


「なにそれ」東堂さんは怪訝けげんながらも、くすぐったそうにクスクス笑った。


「まあ、一応ドキッとはするんだ?」


「ええ」真面目くさってうなずく。


「似合ってますよ。しっくり来てます」


「えへへ」


 東堂さんは嬉しそうに破顔はがんし、コンパクトミラーを広げて真剣に眺め始めた。……どうやら正解の選択肢は踏めたようだ。


(ご機嫌になってくれた?良かった。鏡も内ポケットに入っていたのかな。なんでも持ってるな…)


 反面、懊悩おうのうもある。(…だけど、衣食住さえも足りない現状って事だ。ダメージ服の修繕のためにずっと作業をしていたって事だろ?…今回は上からローブを羽織るんだから、だったらいっそ制服は脱いでしまっても…)


 下着の上に直接ローブを羽織る姿を想像してみる。駄目だ。エッチすぎる。


(…必要な衣類は早急に揃えておきたい所だな…)


(…向こうのものは、もう手に入ることはないんだろうけど…)


 内ポケットからシャープペンシルを取り出し、もてあそぶ。切田くんが服装以外に持ち込んだのはこれぐらいのものだった。少し感傷的な気分になる。



 ふと気がつくと、ジトッとした目で東堂さんが睨んでいた。



「…切田くんの女たらし」


(……なんでぇ?)「突然の理不尽」



 ◇



 昨日ローカス商店で購入した、地味な茶色のローブをお互いに着込む。ペアルックだ。


 背負い袋や装備を身に付け、さらに上から外套を羽織る。これで見た目の違和感は無いはずだ。「もこもこね。切田くん、暑くない?」


「すこし」答えながら手を差し出す。東堂さんも自然と手を差し伸べて、その手を握った。


 しかし、彼女は握った手を、そっと離す。……名残惜しげに腕をすくめて、微笑を浮かべた。「…大丈夫。今はいい」


「切田くんのおかげ。やるべきことは、決まったから」



 東堂さんは落ち着いている。



 結局は『スキル』への依存心など一時的なものだし、これが本来のふたりの関係性なのだろう。切田くんはうなずき、背中に手を回してフードを被った。


「行きましょう」


「ええ」東堂さんもうなずき返し、フードを被る。



 ……そして、彼の背に聞こえないよう、自身に言い含めるようにそっとつぶやく。



「…それに、心はもう繋がり合っているもの」


「そうだよね?切田くん」



 浮かぶ喜色。彼女は軽やかに少年の背を追った。


 部屋の鍵と空ジョッキを持って、慎重に階下へと降りていく。……おそらく下には、誰かが待ちかまえているはずだ。



 ◇



 酒場は営業時間外で閑散かんさんとしている。酒場のマスターが、ゆったりとパイプをふかしている。――見知らぬ男がカウンターに一人、でこちらを眺めている。……この男がそうだ。切田くんの内に警戒感が増す。


「マスター、ジョッキと鍵、ここに置きます」


「よく眠れたか?」


「おかげさまで」


「…安宿だ。贅沢を言うな」隣の部屋でことを言っているのだろう。そもそもが連れ込み宿なのだ。文句を言う方が筋違いである。(本当によく眠れたんだけどね)


「それより、お待ちかねの客だ」


「どうもー。おふたりさん?」マスターのげんを受け、カウンターの男がゆるゆると手を降る。軽薄そうな伊達男。


 人懐っこいと言うにはゆがんだ笑みを浮かべ、不躾ぶしつけな視線を送ってくる。……その軽薄さとはうらはらに、男からはどことなく暴力の匂いがする。


「よう。俺はこの辺を仕切る組のもんで、ネッドってんだ。よろしくな。お前らの名前は?」


+1田です」


「……」東堂さんは眉をしかめて口をつぐみ、フードを深く被り直す。


「無口な姉さんだなぁおい…」ネッドは肩をすくめ、切田くんに問いかけてきた。


「なんて名前?彼女」


+1もへもピョンピョンです」


「東堂」被せるようにキッパリと答え、東堂さんは抗議する。


「…なに、へもへもピョンピョンって」


「…すみません」


 叱られてしまった。切田くん的には面白いかと思ったのだ。


「んー」ネッドは微妙な顔で首をひねり、すぐに気を取り直して話を続けてきた。


「キルタにトードーか。なんでもだいぶ立て込んでいるんだって?」


「…+1うしてそんなことを?」


「まあ、知り合い経由でいろいろさ。それで口利きに来たってわけ。『スカウトマン』ってやつ。知ってる?スカウトマン」


「……+1たちのような流民の若輩じゃくはいをスカウトして何の得が?」


「とぼけるなって」口元を嫌らしくゆがめ、ネッドは言った。




「…昨日、運河の置き場で出た三つの死体。あれお前らだろ」




 殺気が一気に膨れ上がった。切田くんの視線も鋭さを増す。


 ――剣呑な、冷たい空気が流れる。


 切田くんはゆっくりと、胸のシャープペンシルを探る。

 東堂さんの足元から、ギュッと異音がした気がした。



「待て待て待て!責めに来たわけじゃねえっ!…隠し事に向いてなさすぎだろうお前ら!」ネッドが大慌てでおさえた。……カウンターの向こうでは我関せずと、マスターがゆったりパイプをくゆらせている。


「安心しなって。死体なんざこの迷宮都市じゃあ毎日掃いて捨てるほど出るんだから。…だけどな。お前らが殺ったあの三人、迷宮ギルドの連中だ」


「しかも、階下で荒稼ぎしている手練てだれだぜ?強い奴らだ。それを無傷で一方的に殺れるってんだから。すげーなぁ。そりゃあお前、どこの組織だって引く手数多あまただろうさ」


「まあ、おちつけって。お前らも『迷宮』目当てでこの国に来たんだろ?違う?」


 胸のシャープペンシルに手を当てたまま、切田くんは答えた。「+1いませんね」


「だが、お前らは正規の手段では『迷宮』に入れない。ギルドの審査、通る?」


+1りませんね、きっと」


「正直だ。うちに来るなら『迷宮』に入って稼げるようにしてやるぜ。もちろんアガリは収めてもらうけどな。ただし、うちだって強い兵隊が目当てなんだ。『迷宮』の外でも働いてもらうぜ。…どうだ?」


 軽薄で気安いネッドの言に、切田くんは慎重に答えを返す。「+1し断ったら?」


「ああ、別にぃ?」ネッドはわざとらしく天井を見上げ、両手を広げてみせた。


「その事を恨みに思ったりはしねえなぁ。ただなぁ、俺らの抱えた情報が、小金稼ぎに使われるぐらいの事はあるかもな。…だがよ、うちに入ればお前らはファミリーだ。誰だって家族は大事にする。家族を売るやつなんてどこにもいない。そうだろ?」



 ……ヘラヘラと笑うネッドに、ふたりは冷ややかな視線を向ける。



「…+1なみに、話を受けるとしたら、これから僕らはどうすればいいですか?」


「お、来る気になった?良いね、じゃあ決まりだ」パンと両手を打ち鳴らし、ネッドは早々に席を立った。


「いやぁ〜、気の合う相手で良かったよ。ウチのヤサ、アジトまで来てカシラに面通ししてくれ。まあ就職の面接みたいなもんだよ。気楽にな」


「実は、その前に買い物に行っておきたいんです。準備を整えないと」


 ネッドは気にしない、といったジェスチャーでひらひらと手を振る。


「ああ、いいよいいよ。そのぐらいなら付き合うぜ。何を買うんだい?」


 切田くんは慇懃いんぎんに答えた。




+1器です」


「殴り込み!?」




 ネッドは引き笑いを引きらせ、眉も吊り上げる。「え、えらく物騒だなオイ。…殴り込みに来る気なのか?なんで!?」


+1あいえ、他意はありません。でも僕たちはほぼ丸腰じゃないですか。これからは必要になるものでしょう?」


「…まあ、そうかもな。だったら裏のローカス商店で買えばすぐに済むぞ。顔の広い俺がナシをつけてやる。それでどうだ?」


「…+1っているんですか」(昨日のうちに買っておけばよかったな。とは言え、昨日の時点では売ってくれなかった気もする…)


「ハハハ。どうよ。俺が話の分かる相手で助かったろ。優しいだろ?」


「……」


「……」


「…なんだ、なんだよ。…ああ、子供にはわかんねえか!大人気おとなげねえって言うんだなぁ。こういう時は多少は相手に気ぃ使って、ちょっとの同意ぐらいはするもんなんだけどなぁ、普通の大人はさぁ?」声を荒げるネッドをガン無視して、東堂さんがそっとささやきかけてくる。


「…ねえ、切田くん。どうして武器を買おうと思ったの?」


「東堂さん、ずっとグーで行きますか?」


「…それもそうね?」


 彼女は眉をしかめながら、軽くエア素振りを始めた。

 どういう武器がしっくり来るのか考えているらしく、さかんに首を傾げている。


 そして切田くんにはまだ、必ず伝えねばならない、やり遂げねばならない大事なことがあった。


「あの、ネッドさん。他にも買うものがあるんです」


「…ああ、そゆことね。それを言い出したかったってこと?…まあ、武器は分かるよ。ただそこまで大事なものでないのなら、出来れば後回しにしてほしいんだがなぁ。…何を買うんだ?」


+1ッチな下着です」


「切田くん?」



 東堂さんは素振りを止めた。

 ネッドは沈黙し、本当に頭が痛そうに、指を当ててうつむく。



「…それは、大事だな?」


+1い」


「だが、流石に後にしてくれ。いいか?」


+1い」


「嫌よ」


「嫌です」


 ネッドは肩を落とし、口元をゆがめた。「…わかったわかった。とりあえずは裏に行くか。ローカス商店。それでいいだろ?」


+1え」


「……」


 ふたりの様子に肩をすくめ、ネッドは立ち上がる。


(……クク。暢気のんきなもんだなぁ、ガキ共。自分らがもう『終わっている』とも知らずに……)



 そして自身が』について、考え始めた。



(そう、お前らが無傷で三人倒したというのは、実に評価が高いんだよなあ。戦いというものがよくわかっている)


(戦いというのは力と技を競い合うもの、なんてほざく調子こきもいるがな。もちろん実際にはそうじゃない)


(一方的な攻撃を、どう相手に押し付けて行くか)



(俺の『スキル』。…ユニークスキル、『好感度』)


(俺の"質問"に対象が"直接返答"することで、対象に『好感度カウンター』が付与される)


(『好感度カウンター』の数に応じて精神にバイアスがかかり、効果対象は使用者に好感を持つようになる)


(そして『好感度カウンター』が100蓄積されることによって、対象は『魅了』状態になる。ジ・エンド)


(…クク。我ながら、ワケのわからん『スキル』だよなあ?)



(…この『スキル』の恐ろしいところはな…)


(『好感度カウンター』が100貯まらなければ『魅了』状態にならないところなんだよ。【アナライズ解析】や【ステータス状態看破】によって看破することが出来ない)


(つまり、看破不能の傀儡くぐつになりさがるのさ。好感が曇らせる思考によってな)


(絶対にバレない。バレることはない…ククク)



(すでにカウンター+15。ゴリゴリと『好感度カウンター』が貯まっていくお人好しのキルタはもちろん)


(…+0。警戒心の高いこの女も、二言三言ふたことみこと返答を引き出すだけで、どんどん『好感度』に抵抗する壁は薄くなっていく)


(意識の外から行われたとっさの質問に対しても、徹底してだんまりを決め込むなんざ、人間になかなか出来ることじゃない)


(…まあつまり?)



(俺が来た時点でもう、お前らは終わってるんだよ。クク)



 ネッドはふたりに、気安く声をかけた。「これからよろしくな、キルタ、トードー」そして、ふたりに聞こえないよう、彼は小さくつぶやいた。


インチキチート渦巻く魔窟へようこそ」

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